使徒行伝13―14章
「パウロの第一伝道旅行」
パウロは、その生涯において、大きな伝道旅行を三回しています。そしてこの 箇所は、その第一回目です。 パウロは、回心後、しばらくはシリアのアンテオケの教会で活動していました。 このアンテオケは、当時の世界では、ローマ、アレキサンドリアに次ぐ第三の都 会でありました。そして、早くからキリスト教が伝えられていました。これは、 聖霊降臨日の時から最初の教会のメンバーであったバルナバ(四・三六)が伝 えたものと思われます。このバルナバは、アンテオケの教会の最も中心的な指導 者であったようであります。そして、パウロは最初、このバルナバに見込まれて アンテオケの教会に招かれました(一一・二五ー二六)。このアンテオケの教会 の信者が初めてクリスチャンと呼ばれた、とあります。教会は、聖霊降臨日にエ ルサレムで始まりましたが、最初は、ユダヤ教の一分派と見られていました。し かし、このアンテオケの教会は、もはやユダヤ教の一分派ではなく、新たなキ リスト教という宗教として、皆から見られた、ということであります。 さて、第一回伝道旅行は、パウロとバルナバが、アンテオケの教会から正式に 派遣されたのです。 一同が主に礼拝をささげ、断食をしていると、聖霊が「さあ、バルナバ とサウル とを、わたしのために聖別して、彼らに授けておいた仕事に 当たらせなさい」と告げた。そこで一同は、断食と祈りとをして、手をふ たりの上においた後、出発させた。 (一三・二ー三) 二人は、まず、オロンテス川の河口にある地中海の港町セルキヤに行き、そこ から船でクプロ(キプロス島)のサラミスに渡りました(四節)。 この島は、バルナバの生まれ故郷です(四・三六)。パウロも最初の頃、郷里の タルソで伝道しました(九・三〇)。二人は、この島のパポスで伝道した時、 ユダヤ人の魔術師バルイエスというにせ預言者に妨害されますが、パウロが聖霊 に満たされて彼を睨みつけたところ、彼は目が見えなくなりました。そしてこれ を見た地方総督セルギオ・パウロは、福音を信じました(一三・六ー一二)。 しかし、その他には、さしたる成果もなく、クプロに教会が建てられたという 報告もありません。イエスは「預言者は自分の故郷では敬われないものだ」と 言われましたが(ヨハネ四・四四)、故郷伝道は難しいものです。 さて、二人はその後、船でパンフリヤのペルガに渡りました(一三・一三)。 そして、そこから北上して一六〇キロほどの旅を続けてピシデヤのアンテオケに 行って伝道しました。そこから、その南東百キロほどの距離にあるイコニオムの 町、その南方四〇キロの距離にあるルステラの町、次にそこから南東五〇キロの 距離にあるデルベの町に行き、それぞれの町で伝道しました。そして、それぞ れの町に教会が出来たようであります。 二人の伝道は、どの町でも大体似ていて、町に入るとまず、ユダヤ人の会堂に 入りそこで福音を伝えました(一三・五、一四、一四・一)。そして、福音を受 け入れた人もいますが、一方ではユダヤ人たちから妨害されたり、迫害されたり しました。ピシデヤのアンテオケでは、迫害されて町から追い出されたので、足 のちりを払い落として、町を出ました(一三・五一)。 さて、ルステラの町でのエピソードを見てみましょう。 ところが、ルステラに足のきかない人が、すわっていた。彼は生まれな がらの足なえで、歩いた経験が全くなかった。この人がパウロの語るの を聞いていたが、パウロは彼をじっと見て、いやされるほどの信仰が彼 にあるのを認め、大声で「自分の足で、まっすぐに立ちなさい」と言っ た。すると彼は踊り上がって歩き出した。 (一四・八ー一〇) 三章の所で、ペテロが「美しの門」で、生まれつき足の不自由な人を癒した、 という記事を学びましたが、ここでパウロも同じような業をしています。ただ 、三章の方は、足の不自由な男はペテロから何かもらえることを期待した、と ありますが、ここではこの男は、パウロの話を聞いていた、とあります。そし て、パウロは、この男を「じっと見た」とあります。この男は、パウロの説い た福音に真の救いを求めたのです。 その真剣なまなざしに対して、パウロもこの男が真に救われることを望んだので す。そのような人格的な関わり合いが、「じっと見た」という表現で言われてい るのです。 さて、この男が癒されたのを知った町の人は、パウロたちを神だと思った、と いうのです。 群衆はパウロのしたことを見て、声を張りあげ、ルカオニヤの地方語で、 「神々が人間の姿をとって、わたしたちのところにお下りになったのだ」 と叫んだ。 (一四・一一) 聖書においては、神は人間と厳然と区別されています。従って、どんな偉大な 人であっても、どんな奇跡を行っても、それは人であって、神ではありません (エゼキエル書二八・二参照)。そのような奇跡が起こった場合、それは 神がその人に働きかけたのであって、その人が神であった、というのではあり ません。ところが、ギリシア・ローマの世界においては、人間が神になったり 、神が人間になったりします。聖書においては、神はただ一人であり、天地万 物を創造された神だけです。十戒の第一の戒め(「あなたはわたしのほかに、 なにものをも神としてはならない」)にあるように、人間が神になることは厳 しく禁じられています。 さて、ここで、パウロとバルナバが足の不自由な人を癒したというので、ルス テラの人々は二人が神だ、と言って騒ぎ出したのです。パウロとバルナバは、こ の町の人々が何やら急に騒ぎ出したのを見ていましたが、最初は何のことか分か らなかったようです。それは、人々がその地方の言葉でしゃべっていたからです。 人々がゼウスの神殿の祭司の所に集まっているので、何かお祭でも始まるのかと 思っていました。ところが彼らは、神々に捧げる牛と花輪を、こともあろう にバルナバとパウロの所に持って来たのです。これには、二人とも非常に驚きま した。二人はいつの間にか、神にされていたのです。 彼らはバルナバをゼウスと呼び、パウロはおもに語る人なので、彼をヘ ルメスと呼んだ。そして、郊外にあるゼウス神殿の祭司が、群衆と共に、 ふたりに犠牲をささげようと思って、雄牛数頭と花輪と を門前に持っ てきた。 (一四・一二ー一三) ゼウスというのは、ギリシア神話の最高神の名前です。これは、ローマではユ ーピテルと呼ばれましたが、あのモーツアルトの交響曲四一番は、最高神の風 格を持つという所から「ジュピター」とあだ名されました。恐らく、バルナバ は、年配で風格もあったので、ゼウスと呼ばれたのでしょう。ヘルメスという のは、ゼウスの末っ子で、雄弁の神の名前です。恐らくパウロが専ら福音を語 る役であったので、この名がつけられたのでしょう。 異教の世界においては、神として称賛されることは、非常に名誉なことでした。 病人を癒すことの出来る人は、自ら神と自称したりもしました。また、権力者は、 しばしば自らを神と自称しました。エジプトのファラオは、神とされていました し、ローマ皇帝も神とされ、時には皇帝礼拝が強要されました。 しかし、聖書においては、天地万物の創造者が唯一の神であって、人間はいく ら能力や力があっても、自らを神とすることは厳しく禁じられていました。 ふたりの使徒バルナバとパウロとは、これを聞いて自分の上着を引き裂 き、群衆の中に飛び込んで行き、叫んで言った、「皆さん、なぜこんな 事をするのか。わたしたちとても、あなたがたと同じような人間である。 そして、あなたがたがこのような愚にもつかぬものを捨てて、天と地と海 と、その中のすべてのものをお造りになった生ける神に立ち帰るようにと 、福音を説いているものである。 (一四・一四ー一五) 「上着を引き裂く」というのは、深い悲しみの表現です。普通は、愛する者が 死んだ時とか、大きな災難にあった時などに行われました(創世記三七・三四 、ヨブ一・二〇参照)。 ここで、パウロとバルナバは、ルステラの町の人たちが、生ける神を冒涜する ような行為をしたことを深く悲しんだ、ということです。しかし、パウロは、こ の機会を捉えて、この町の人たちに聖書の神について説教しました。 この町の人たちは、決して悪気があったのではありません。むしろ、パウロと バルナバに対して、非常な尊敬の念を持ったのです。そして、その尊敬の気持ち を彼らの生活習慣に従って、素朴に表したのでありましょう。それが、二人 を神として崇拝するということでありました。それに対してパウロやバルナバが よもや怒るとは思わなかったでしょう。 しかしこれは、真の神を知らない者の考えです。このようなことは、真の神 を知る者にとっては、はなはだ愚かなことです。パウロは、ここで「愚にもつ かぬもの」と言っています。 去る六月、「自衛官合祀拒否訴訟」で原告の訴えが退けられました。自衛 官を合祀した隊友会の人達は、決して悪気があったのではないでしょう。むしろ、 好意的な気持ちから、あるいは親切な気持ちからしたのでしょう。自衛隊という 「お国」のために働いた人が死んだので、神として祀って供養しようとしたので す。普通の日本人なら、これに感謝したかも知れません。 しかし、聖書の神を知っている中谷さんには、それは耐えられないことでした。 合祀というのは、神として祀られる、ということです。聖書の信仰からは、 人間はあくまで人間であって、決して神になるのではありません。たとえ親切心 からであっても、そんな生ける神を冒涜するようなことをされて、中谷さんの信 仰が黙っておれなかったのでしょう。それにしても実に残念な判決が出ました。 日本の宗教事情は、二千年前のルステラと何ら変わりないような気がします。 パウロはここで、人間と生ける神が全く違うことを主張しています。人間 が簡単に神になったりすることを「愚にもつかぬもの」と言っています。そんな 愚にもつかぬものを捨てて、天地万物の造られた生ける神に立ち帰るようにと、 勧めるのです。ゼウスやヘルメスは、所詮偶像であって、これは死せるものです。 それらの偶像に頼っても、真の命と救いは与えられません。 このようにパウロが必死になって主張したので、やっとのことで群衆は二人に 犠牲をささげるのを、思い止どまりました(一八節)。 その後二人は、デルベ、ルステラ、イコニオム、アンテオケの町々をもう一 度訪ね、それぞれの教会に長老を任命した、とあります(二〇ー二三節)。そ れは、伝道者がいなくても長老によって教会を維持するためです。長老には、 教会を守るための重要な任務があります。 その後二人は、アタリヤから舟でアンテオケに戻り、こうして第一伝道旅行は 終わりました。