内村鑑三「1887年4月15日(26才)朝の祈祷」より

あなたは1997.10.10以来番目の来場者です。


余の貴神(あなた)に来るは、
  余の清浄潔白にして愛すべきものなるが故にあらず。

余の貴神に来るは、貴神によりて満たされ、
  かくして更に熱心に貴神に祈り、
  更に此の世を愛し、更に貴神の聖言(みことば)と
  真理とを教えられ得んがためなり。

貴神の余に要求し給ふは、貴神によりて生き、
  凡ての善と慈愛と愛の原潜なる貴神を所有せんことなり。

従順、忠信、純潔はただ貴神よりのみ来る、
  而して余は如何に奮闘努力するとも
  之を産出すること能(あた)わず。

貴神が貴神の律法に対して従順を命じ給ふは、
  我々が独力にて其を為し得るが故にあらずして、
  我々が自己の無能力を意識するに至ることに依りて、
  貴神の許(もと)に来たりて、貴神を所有せんがためなるなり。

貴神の我々に律法を与へ給ひしは、
  其れが我々を貴神の許に伴ひ行かんがためなるなり。

されば嗚呼、主よ、余の全然たる無能力と堕落とを認むるが故に、
  余は貴神の許に到りて、貴神の生命を以て満たされんとす。

余は潔からず、余は貴神に余を潔め給はんことを祈る。

余に何等の信仰あるなし、貴神が余に信仰を与へ給え。

貴神は善其自身によりて在まし給ふ、
  而して貴神なくして余は全く暗黒なり。

見よ、余の汚穢(おわい)を、
  貴神が余を余の咎より潔め給へ。アーメン。  



内村鑑三「余は如何にして基督教徒となりし乎」(岩波文庫)より


すてきな祈りへ