九谷焼について


九谷焼は肥前の柿右ヱ門、京都の仁清と共に、 徳川時代の初期に興り、日本の上絵磁器の三大源 流をなすものである。中でも九谷は構図の自由奔 放さと彩釉の重厚な点に於いて、陶芸界に並びな きものといわれている。 九谷焼の本領は絵付けにあり、絵付けをはなれ て九谷焼を考えることが出来ない程、上絵付けを 生命としておりますが、一面、九谷絵付けは時代 の思潮に応じて変化していることも特徴である。 即ち、徳川初期、戦国の遺風未だ失なわれない 狩野派の武張った素朴な線で描かれた豪放な味わ いの窺われる古九谷、降って文政の頃、古九各窯 を再興、世に古田屋窯と呼ばれる文化文政時代の 天下泰平の世相を反映して、構図は通俗ながら、 描線に柔らかな味わいのあるものが出来た。 次いで天保時代には赤九谷の先成を見、これが 飯田屋風の始まりである。全体に漢時代前期の作 品の傾向が、どの作品にも現われていることもそ の特徴である。 明治維新後、思想の混乱時代に生まれた庄三風 は、釉薬にも画風にも複雑な当時の傾向が見られ る。当時、九谷庄三は数百人の門弟を指導し、多 くの人材を世に送り出した。そして彼等の作品は 海外にまで輸出され、現在の繁栄の基礎を作つた。  以来、九谷焼の技術は古九谷風(明暦年間)、木 米風(文化年間)、吉田屋風(文政年間)、飯田屋風( 天保年間)、水楽風(安政年間)、庄三郎風(慶応年間) と続き、現代風を確立して、東西の長所を採用調 和し、近代九谷の絢爛さを生み、石川県の重要産 物として伝統的工芸品にも指定されている。
(田谷仙龍堂の資料より)