2009年 / 兄の死
 兄が82歳の天命を全うして逝ってしまった。生のある限り死は避けることができない。これまでに幾人の人と別れて涙してきたであろうか。母の死、岳父の死、世話になった人の死・・・。いずれのときもこの世の無常を感ぜずに居れなかった。無常とは常なるものは無いということ。いつかは死別によって人間関係も変化していくのだ。生まれし里も段々と遠のく。さびしい限りである。
 名付け親でもあり、年が20歳も離れていただけに父親代わりの兄であった。いろいろなことがあったが、父の思いを果たしてくれたと思う。自然と込み揚がる悲しみに涙して、感謝しながらお別れした。
 一週間前に見舞った折、もう家には帰れないれないなぁ、とそっとつぶやいた。死の近いことを悟っていたのだと思う。痛いのはイヤだといっていたが、聞くところによると2時間ほどは苦しんで危篤に陥ったようだ。死ぬときに苦しまなければならないのはこの世に生まれたものの定めとは言え、辛かったであろう。だけども死に顔は穏やかであった。
 父と若くして別離した兄は人一倍苦労をしたようである。しかし、営農に精を出しながらしたいことを成し遂げ、存在感のある生き方をし、村の世話役として名を残し、そして最後は3ヵ月後に誕生予定の5代目となるひ孫に付けられる名前も知らされて旅立つことができた兄は幸せ者であったといえよう。
 兄は火葬され骨となったけれども、自分が生きているかぎり心の中ではいつまでも生き続ける。兄のように生きた証として名を成して人生に幕を引くことができる人は幸せである。そうであるためにも、しっかりと生きなければならないのである。合掌    

 

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