(『世界の光・親鸞聖人』第1部より)
約八百年前、九歳の親鸞聖人は、天台宗比叡山に入り、出家なされました。
親鸞聖人は、なぜ出家なされたのでしょうか。僧侶は高い身分とされた時代でしたから、「地位や名誉を得るためであった」という人もいます。
しかし、世俗の欲を満たすために、わずか九歳で、厳しい仏道の門を自らたたかれた、と考えるのは、どうも合点のゆかない話です。
聖人ご出家の動機は、老若男女や貧富、美醜、賢愚など一切関係なく、すべての人に共通する大問題にあったのです。アニメ『世界の光・親鸞聖人』第1部を通して、お話しします。
明日ありと 思う心の あだ桜
親鸞聖人がお生まれになられた頃、各地で、源氏と平家の争いが繰り返されていました。木曽義仲の挙兵や、権力を握っていた平清盛の死去により、世上の不安は一気に高まります。街には盗みや放火が横行、四万人以上が京都内で餓死するなど、地獄のような光景があちらこちらで現出した、といわれています。
ご幼名を松若丸と名づけられた親鸞聖人は、四歳でお父さまである藤原有範卿と悲しい別れをされました。以後、杖とも柱とも頼っていたお母さまの吉光御前も、聖人が八歳の時、亡くなられたのです。
一人ぼっちになった寂しさに、どれほど心を痛められたか知れません。
同時に、「次は自分の番だ」と思うと不安で、居ても立っても居られなくなり、出家を決意されました。切迫した心境を、「次は自分が死んでいかなければならないと思うと、不安なんです」と、伯父の藤原範綱卿に告白されています。
養和元年(1181)、九歳の春、聖人は、範綱卿に手を引かれ、京都・東山にある青蓮院を訪れます。青蓮院とは、比叡山の座主をつとめ、聖人の遠縁にあたる慈鎮和尚がいた寺でした。
和尚は、若くして出家を決意した親鸞聖人(松若丸)の志を尊く思い、出家得度の式を行うと決めたのです。
得度は翌日に、と言う慈鎮和尚に聖人は、
「明日ありと 思う心の あだ桜
夜半に嵐の 吹かぬものかは」
との歌を返されています。
「どれだけ元気であっても、明日まで命があると、誰が保証してくれるでしょう。無常の風が吹く前に、一刻も早く得度をしていただきたい」との思いが、「明日ありと〜」の歌には、込められています。
一切は、時とともに変転し、とどまることがありません。物も心も人生も、絶えず変化し、常住しないものです。東京タワーや大阪城も、太陽さえ五十億年後には、滅してしまうといわれます。
大きく変化するか、少しずつ変化するかの違いはあっても、この世に変化しないものは何一つないのです。中でも、無常なのが、私たちの肉体です。
無常の風に吹かれたら
釈尊は、私たちの無常に対する感度を、四通りの馬にたとえて教えておられます。
一、鞭影を見て驚く馬
二、鞭、毛に触れて驚く馬
三、鞭、肉に当たって驚く馬
四、鞭、骨にこたえて驚く馬
第一の「鞭影を見て驚く馬」とは、落花や火葬場より立ち上る煙を眺めて、やがて我が身にも襲いかかってくるであろう死に驚く人をいいます。
第二の、「鞭、毛に触れて驚く馬」とは、葬式の行列や霊柩車を見て、我が身の一大事に驚く人です。
第三の「鞭、肉に当たって驚く馬」とは、隣家の葬式や眼前の無常を見て、驚く人を表しています。
肉親を失って自分の一大事に驚く人をたとえられたものが、第四の「鞭、骨にこたえて驚く馬」です。
国内では、三十二秒に一人が死亡している、と報告されています。(厚生労働省調べ)交通事故や病気などの死亡記事が、新聞に載らぬ日はありません。
私たちは、しかし、死に対して、あまりに鈍感です。確かに、種種の死を見聞きし、親しい人の死には声をあげて泣くでしょう。が、しばらくすると涙は乾き、悲しみも薄らぎます。死んでゆく本人の悲しみや寂しさを、一度たりと、自分自身のことのように、切実に受けとめてはきませんでした。なかったというより、できなかったというのが適当でしょう。「死」は「ある出来事」であり、「事件」であって、所詮は「他人事」でしかなかったのです。
その死が、いよいよ自己の上にふりかかってくると、実感はコロッと異なります。
「今までは 他人が死ぬとぞ 思いしに 俺が死ぬとは こいつたまらん」
とある医者が詠んだように、動物園で見ていた虎と、ジャングルで出くわした虎とは、天と地ほどの違いがあるようなものです。
医師から、至急手術をしなければならぬと言われた時、「眼前が真っ暗になり、足元が崩れるような気がした」とよく聞きます。それは手術が怖いからでなく、死ぬのが怖いからです。
腹が切り開かれ、血がたくさん噴き出て、あとは縫い合わせてうまくゆくかどうか。医師や看護婦に失敗はないか。診断の間違いや、手術のミスがあるかもしれぬ。腹を開けてみたら思ったより重症で手術できず、そのまま縫い合わせたという話も聞く。自分もそうではなかろうか、などの不安に襲われます。
死ねばどうなるのでしょう。私の死体は火葬場に運ばれ、焼かれて灰になるでしょう。この肉体が灰になるとは信じられません。目が見えなくなり、物音は何一つ聞こえなくなります。自分がなくなってしまうのです。
こんな恐怖があるでしょうか。「助けてくれ、助けてくれ」と言い、そこら中をはいずり回って助けを求めたい気持ちになります。
平生どんなに、理想とか真理とかを口にし、知識や教養を身に付けていても、すべてが音をたてて崩れ去り、何の支えにもならなかったと、ハッキリ知らされるのです。
人間はみな死んでゆきますが、今日死ぬと考える人は、雨夜の星の如く、まれです。明日になればまた、「今日死ぬ」と思う人もいないでしょう。結局、自分が死ぬとはどれだけたっても思えないのです。知識としての「死」はあっても、実感がまったくないのです。
死の本当の恐ろしさ
(『世界の光・親鸞聖人』第1部より)
死の恐ろしさの本質は、どこにあるのでしょうか。範綱卿との会話で、聖人は、
「死ねばどうなるんだろう」
と、仰有いました。また、
「次は私が死んでいかなければならないと思うと、不安なんです」
とも言われています。
「死んだらどうなるのか」
がハッキリしないから、不安になり、恐ろしいのです。
死ねばどうなるか分からない心、後生不安な心を、「無明の闇」といわれます。
これこそ全人類の苦悩の根元だと、親鸞聖人は喝破されました。
『正信偈』には、
「還来生死輪転家
決以疑情為所止」
(生死輪転の家に還来することは、決するに疑情を以て所止と為す)
と教えられています。
苦しみ悩みを、仏教では「生死」といいます。死ぬほどの苦悩はないからです。
「輪転」は、「輪廻」ともいい、車の輪がグルグルと果てしなく回るようにキリがない、際限のないことを表します。
「家」とは、出掛けた私たちが帰ってくる所で、人間にとって離れ切れぬもの、という意味です。
「還来する」とは、必ず還ってくる、ということです。
「生死輪転の家に還来する」とは、私たちが苦しみ悩みから離れ切れないのはなぜか、とのお言葉です。
健康や家族に恵まれ、お金や財産を余るほど手に入れても、本当の安心・満足はありません。それはなぜか、聖人は仰有います。
「決するに」とは、二つも三つもない、これ一つの意味です。
「所止と為す」とは、とどまっているのは、ということです。苦悩から離れ切れず、本当の幸福が得られないのは「疑情」一つのためなのだ、と断言されました。「疑情」はまた、「無明の闇」ともいわれます。
未来が分からねば、現在から不安になります。三日後に大事な試験があると思えば、テレビを見ていても楽しめません。一週間後に大手術を受ける患者は、今から不安一杯になるでしょう。
闇を破する弥陀の本願
私たちは幸せになるために生きていますが、苦悩の根元が抜けねば、本当の幸福にはなれません。
どうしたら、無明の闇は破れるでしょうか。親鸞聖人は、主著『教行信証』に、
「無碍の光明は
無明の闇を破する慧日なり」
と教えられました。
「無碍の光明」とは、何ものにも遮られない、阿弥陀如来の本願力です。
阿弥陀如来とは、大宇宙にましますたくさんの仏方(十方諸仏)がそろって、本師本仏と仰がれる仏です。
「本師」も「本仏」も、「先生」という意味ですから、阿弥陀如来が先生であり、お釈迦さまや十方諸仏は生徒か弟子なのです。
「本願」とは、誓願ともいわれ、平易にいえばお約束です。その内容は、
「どんな人をも
必ず助ける
絶対の幸福に」
となります。
「無碍の光明」を、「慧日」と親鸞聖人は仰有っています。阿弥陀如来の本願は、智慧の太陽なのです。
「天に二日なし」といわれるように、無明の闇を破る力は、阿弥陀如来にしかありません。
親鸞聖人が出家されたのは、死んだらどうなるかハッキリしない、この無明の闇を晴らすためであったのです。
阿弥陀如来の本願を聞信し、無明の闇が破れたなら、後生ハッキリします。親鸞聖人はこれを「往生一定」と教えられました。極楽往き間違いなし、と心が一つに定まるのです。
『歎異抄』には、「無碍の一道」と仰有っています。
人間に生まれて本当によかった、と心から喜べる身になるまで、聞法の一本道を進ませていただきましょう。