写真週刊誌:AERA('00.2.7)

「いい子が陥るアルコール依存症」

20代女性たちの心の葛藤が招く

スポーツライター:山田ゆかり 写真:原山カヲル

 どちらかといえば優秀で、素直に育ってきた子がアルコールづけになってしまう。心のバランスを崩した若い女性たち。一度落ちると、はい上がるのが大変だ。

 夜、アルバイトから帰り、コートを脱いでテレビのスイッチを入れる。お湯を沸かし、日本酒をガラスの器で湯煎する。毎日五合、眠るまで飲み続ける。
「私にとってアルコールは『忘却水』ですね」
 華子さん(23)は、そうつぶやく。
 忘れたいものは何なのだろう。バイト先ではアネゴ肌で通っていてバイト頭を任される。溜まったストレスを発散したい。そんなこともあるが、なんといっても悩ましいのは母親のことだ。
 華子さんが高校を出るころ、バブルの後遺症もあって、父の会社がうまくいかなくなった。ほとんど働こうとしない父に代わり、母が家計を支えた。

留学後にガラリ変わる
 しかし、やがて両親は離婚。学年で十番内に入るほど成績がよかった華子さんは、名門短大英語科と外語大に合格したものの、学費、生活費などを分割で支払える短大に入学した。華子さんは離婚した母と二人で暮らし始めた。
「母一人子一人の生活は、つつましくも支え合って充実していました。精神的に、私は、母をずっと支えて生きてきたつもりでした」
 ある日、母から「好きな人がいる」と聞かされた。嬉しくて心から祝福した。そんな人がいるなら、母も寂しくないだろうと思い、かねて考えていた留学を決意する。
 ところが、一年後に帰国すると状況はガラリと変わっていた。
 その男性は、華子さんと母の二人の家にいりびたり、華子さんは居場所がない。母の関心のすべてが彼に向けられ、以前のような母からの愛情は微塵も感じられなくなってしまった。華子さんはつまはじきにされたような気持ちだった。
「私はこんなにお母さんのこと思っていたのに、どうして?」

睡眠薬がわりに
 華子さんの心にポッカリ穴が空いてしまった。母には何でもしてあげたいと、いつも思ってきた。母と一緒におしゃれなレストランへ行ったり、買い物をしたり、エステサロンへ行ったり・・・・。母の満ち足りた顔を見るのが華子さんにとって一番の喜びだった。
「そのためには、お金もいる、地位もいる。だから留学後は四年制の大学に編入学して頑張ってきたのに。特別仲のよい母娘だったのでよけいにショックでした。母を幸せにするという『夢』をなくしてしまったんです」
 いろいろ考えると眠れない。ときどき使っていた睡眠薬に代わってお酒にのめりこんでいった。
 そもそもお酒を最初に飲んだのは、父の会社が傾いたころだった。今と違って友達と騒ぎながら楽しむお酒だった。家庭の嫌なことがスッと遠のいていくような気がした。
 飲む量は格段に増えた。日本酒のほか、ワインなら二本、スコッチウイスキーはロックでボトル半分。母との暮らしをやめ、心機一転と思ったのに、酒浸りの毎日では、まともに授業も受けられず、好きで選んだ英語も勉強が進まない。自己嫌悪と自信喪失はひどくなるばかりだった。
 いくら飲んでも眠れないときもある。睡眠薬とお酒をチャンポンにして勢いづき、電話口で母に不満を爆発させてしまったことがある。泣き叫び、言い争い、母との関係が決定的になった。
「あんなに母を大事に思っていたのに。情けなくて、後悔して、いっそ死のうと思いました」
 何とか思いとどまるが、睡眠薬をお酒で飲んでブラックアウト(記憶がなくなること)になったこともある。
 いまは不眠症がひどく、三時間以上眠れない。悪夢を見ることが多く、頭痛がひどい。昼夜の区別がつかず、起きているのか、寝ているのか分からない時もある。とにかく飲みたい。飲まないと眠れない。アルコールがないとやっていけない。
 母に対するしこりは消えず、このごろは、母とほとんど口をきかない。
「嫌なこと、母のことを忘れたい。こんな自分が嫌。惨め。そんな思いがぐるぐる頭を巡ります」
 二年ほど前、パソコン好きの華子さんは、インターネットで、たまたまアルコール依存症のホームページを見つけた。それからは、メールによる専門医との相談を続けている。

依存症認めるのに時間
 そのホームページは、富山市民病院のものだった。この病院の精神科部長を務める吉本博昭さんが、メール相談を受けている。一九九六年三月から九九年二月まで三年で百二十件だったのが、九九年二月以降だけで八十件に上っている。アクセス数も一日三十件だったのが最近は百件に上った。
 相談者の平均年齢は三十歳。二十代と三十代が九割、女性は半数を占めている。
 華子さんも、
「メールだと一方的に何でも話せますから」
 と話す。しかし、吉本さんは、
「メールはあくまでも直接相談してもらうための最初の窓口」
 と、メール相談の限界を認める。
 華子さんも依存症だと認めるまでに時間がかかった。毎日アルコールを欲しがる自分に、「もう依存症だな」と思ったが、精神科の病院に行く気はなかった。医者から面と向かって、「あなたは病気です」と言われたくなかったからだ。
 アルコール依存症になる若い女性は、単にアルコールにのめりこんでしまうだけではない。よくあるケースは、拒食や過食などと一種の合併症を起こす例だという。
 春美さん(28)がアルコールを離せなくなったのは十人歳。コンパニオンとして飲んだコップ半分のビールが引き金になった。
「それまで緊張して生きてきて、すっごく疲れてたの。けどね、お酒飲んだ途端、フッとカが抜けた。お酒飲むと楽しいし、お金にもなるし、私に合ってるなって思ったんです」
 自分に無関心な親を振り向かせたくて、高枚三年生のとき、わざとコンパニオンのアルバイトを選んだ。親は激怒するだろうと思ったら、返事は「いいよ」。
 母親は美容室経営で忙しいし、父親はやさし過ぎた。子どものころから、叱られることもなく、肝心なところで手助けもしてもらえなかった。春美さんがいくら両親と向き合おうとしても、いつも背中合わせだった。
 最初の拒否反応は十六歳から始まった拒食症だ。食べずにお酒を飲んだら太らないと信じ、十八歳から十年間、痩せるのに「命をかけて」お酒を飲んできた。
 仕事は一般職に落ち着いたが、お酒のせいかどうか、掛け算ができなくなつて不安だし、何に対しても自信がなく、鬱になりがちだった。
 どうにかこうにか三年間断酒したが、自分のおかれている状況に押し潰されそうで、今、またお酒に手を出してしまっている。五百ミリリットルの缶ビールを毎日六〜七本飲んでいる。

女性の方がなりやすい
 女性にとってアルコール依存症が怖いのは、男性よりアルコールの害を受けやすいことだ。女性の場合、肝硬変やアルコール依存症が発症するまでの期間は、一週間に四日以上の飲酒習慣が始まってから、男性の半分の十年。三、四年という例もあるという。この男女差は、女性ホルモンの影響とみる説が有力だ。女性ホルモンはアルコールの分解を遅らせることが分かっている。
 アルコール依存症になると、肝臓だけでなく、消化器系、骨、皮膚、神経系までがポロポロの状態になり、ついには脳が侵され、痴呆性などへと移行していく。女性の身体への影響が大きいのは妊娠したときだ。飲酒習慣があったり、妊娠してもお酒を飲み続けると、赤ちゃんに障害が現れる危険性がある。
 断酒会などの自助グループでも最近はメンバーが女性だけのグループができている。
 日本では、断酒会のほかAA(アルコホーリクス・アノニマス)という組織もある。
 断酒会はメンバーが互いに氏名を明かして、体験を聞いたり語ったりするのに対し、AAは匿名性とメンバー間に上下関係を作らないという違いがある。
 断酒会にはメンバーが女性だけのアメシストというグループがあり、AAにも十、二十代の女性だけが参加できる集まりがある。

本人の自覚が大切
 長野県飯田市の池田倫子さん(42)は、「しなのアメシスト」という機関紙を作っている。アルコール依存症の人たちの体験談を集め、メンバーに配っている。
 池田さん自身も、かつてはひどいお酒の飲み方をしていた。大学まで必死に勉強し、希望の大学に入学すると途端に襲ってきたのは、無為にすごしていく学生生活だっ た。やがてお酒にのめりこむ。
 二十一歳のときにアルコール依存症の診断が下され、断酒会につながるまで十七年、入院した精神病院は七つ、入退院は四十回を下らなかった。断酒会を知り、いろいろな人の体験を聞くうちに、安心感を得て回復への道を歩むことができたと池田さんは振り返る。
 池田さんの場合、現在の主治医との出会いが幸いしている。アルコール依存症は麻薬と同じだ。まずお酒を断つことが回復につながる。しかし、無理強いしては断酒が続かない。あくまでも本人が病気だと自覚しないとだめだ。主治医は、根気よく池田さんと向かい合った。この体験を池田さんは小冊子にして依存症に悩む女性や家族に配った。
「アルコールにハマるとどうなるのか、それを知ることで、まだ入り口の段階にいる人たちに、その怖さに気づいてほしいと思ったのです」
 断酒会やAAは、体験談などでアルコール依存症の怖さにメンバー自らが気づき、立ち直るきっかけにしたり、仲間で励まし合ったりするものだ。決して治療機関ではない。

「精神科をたずねて」
 アルコール依存症に詳しい甲府市の住吉病院副院長、大河原昌夫さんは、こう呼びかける。
「若年で気安く飲む人は増えているが、彼らが依存症になっているかどうかは別の問題だ。お酒の飲み方がおかしいと感じたら、精神科をたずねてほしい」
 専門の病院に足を運んでほしいというのだ。大河原さんによれば、病気のまだ初期の段階で軌道修正ができる。一時間ていねいな説明を聞けば、翌日から飲酒がピタリと止まる人もいる。
 また、若い女性に発生しやすいとされる摂食障害も、それに気がついた家族が相談に訪れるだけで、解決の糸口がみつかる場合も多いという。
 前のメール相談を受けている吉本さんの病院には、三カ月間の入院回復プログラムがある。
 依存症者と心理療法士、精神科医を囲んでのミーティングが主な内容だが、プログラムの中で一番の気分転換が毎月一回の行軍だ。いわばウォーキングエクササイズである。体力が比較的回復した人たちが、一日がかりで、病院から富山市内や郊外のコースを十五キロほどを歩く。牧場や城址や小高い山を登ったりする。
 お洒に浸り、夜も昼もなかった人たちにはかなりきついが、新鮮な空気を吸いながら、汗を流して体を動かせば、体中からお酒が抜けていくような気がする。
「真水がこんなにおいしいとは思わなかった」
 こんな清々しさを体感することが、回復への第一歩なのだろう。

(文中、名前だけの人は仮名です)