終     章

(二)


 内観法は、約五十年前に、故、吉本伊信先生によって、誰しもが簡単に行える心理療法として発展し、大学教授や精神科医、そして伊信先生の流れを汲む全国各地の内観研修所長たちで「日本内観学会」も設立され、今ではヨーロッパをはじめ、世界各地で、心のトラブルに悩む人達を救っている。
 集中内観は、朝の五時に起床し、各自が決められた場所の掃除を行い、五時半頃から内観に入る。食事は面接者が運んでくれ、勿論屏風の中で摂り、午後の九時まで十六時間延々と続く。
 一日目は和紀一人に一部屋があてがわれたが、二日目になると同室者のいる部屋へ移された。
 これはアルコール依存症が、極度に感じる対人関係への不安に対する配慮であり、導入から、内観者自身に集中できる環境を提供してくれたものであると思っている。
 屏風で仕切られた畳半畳の空間も、三日目になると広く感じてきて、案外楽に過ごせるようになってくる。
 時間の経つのも、そう気にならなくなってきて、腕時計をしきりに眺めなくても済むようになる。
 食事も美味しく、和紀の内観は順調に進んでいた。
 内観を始めてから、空模様は愚図つく日が続き、今日も絹糸のような雨が軒を打っている。
 梅雨寒のために、和紀は毛布を頭から被り、一心に内観した。
 この頃になると、自分の至らなさが痛感されてきて、両親に詫びる気持ちで一杯になり、一二時間おきにされる面接の度に、和紀は涙を流して、その非を懺悔するようになっていた。
 五日目に入った午後に、入浴の案内があった。寒さのため、温かい風呂は何より有り難かった。
 入浴中も内観を続け、湯から上がって下着を着けようと幾分背をかがめ、脱衣籠に手を掛けたその時、和紀の右肩背後から、袈裟斬りの状態で何かが入り込んで、胃の辺りに快い重さを感じた。
 目を閉じて、その正体を探ると小さな仏様が二体ある。一体は黄金色に輝いているが、もう一体はくすんだままとなっている。
 (不思議なこともあるものだ)
 そう思いながらも、全身で包むように大切にして浴室を出た。
 法座のある和紀の部屋まで長い外廊下が続いている。
 雨のなかから、生々しいが、しかし落ち着きのある穏やかな栗の花の匂いがした。
 和紀は自分の心が、伸びやかになってくるのを心地よく感じていた。
 栗の木の下で、折からの雨に打たれるドクダミの緑も、昨日よりも一層鮮やかさを増している。
 そのままの気持ちを永く保ちたいと、壊れ物でも下ろすように、静かに、静かに法座に就いた。

 病院に戻ってからは、和紀の心に落ち着きが現れていた。
 物事に接する所作に、穏やかさが伴った。
 (残された一週間。しっかり勉強しなくては)
 遠い山並みを見つめる和紀に、初めて希望という開きが訪れた。
 断酒生活は、容易なものではない。家のなかでは、味醂や奈良漬けに至るまで、アルコール類を一切排除した。
 健康飲料の中にも微量のアルコールが含まれる。疲れたからといって、安易にそれらを口にすることはできない。
 血糖のバランスを保つためか、身体が甘いものを要求するが、チョコレートの中にもアルコール分の強いものもある。ケーキにしても同じだ。
 アルコールに関しては、その一切を口にすることはできない。
 外食も控えていた。三度の食事のあとは、シアナマイド(抗酒剤)を少量服用する。粘性が低く、さらりとしているが、透明な苦さがあって、これを服用すると、食後の至福感は瞬く間に吹き飛んでしまう。
 嫌な薬だが、抗酒剤の服用と、断酒の成功率を追跡調査した結果、継続服用した者の断酒率が高いというデーターも示されている。
 和紀は、これを二年間もの間、根気よく服用した。
 夫婦のあいだに、中間媒体として存在していた酒がなくなったことで、二人の間は不自然にギクシャクしたものであった。
 しかし、和紀は内観を基礎にして、何とか自分を変える生活を見いだそうと懸命に模索した。
 箪笥の奥に仕舞われていた両親の写真を持ち出すと、それを床の間において線香をあげた。
 姪の挙式の日の両親は、年老いていた。正装しているが、見るからに足の弱ってきている父の傍らで、進行する糖尿に勝てず、式には出ない母は、普段着のままで写っている。
 二人は、弱々しいが、しかし、柔和な笑顔を浮かべている。
 老いるということは、悲しいことである。
 帰省して別れるたびに、顎を突き出し、薄れる目で和紀達を探すようにして見送ってくれた母を思い出す。
 玄関の柱に身を預け、何時までも何時までも見送っていてくれた。
 あの別れが辛かった。
 別れるときにも、酒が入っていたが、あの時ほど現実の残酷さを、思い知らされたことはない。
 父がよく言っていた。
 「キヨ(母には、ちゃんとした名があるが、父は何故か母を、こう呼んだ)はな、
  お前らの夢をよう見るらしい。それもお前らが小さいときの夢でな。
  それを嬉しそうに話しするんや。ワシには聞き飽きたけどな。ハハハハハ…」
 言いながらも、父の嬉しさが伝わってきた。
 その母が、事あるたびに
 「玲ちゃんを大事にしなきゃぁいかんのよ」と言っていた。
 (大事にする。かー……)
 今までの和紀は、玲子を大事にしてきたことにはならない。
 愛していると言いながらも、その実は、自分を愛して欲しいとの身勝手さがそうさせていたのかも知れない。
 和紀にはやることが沢山あるのだ。
 写真の額を念入りに拭いて、香を炊くと自然、落ち着きが出てきた。
 目をつむり、合掌すると、病院で見た燕のことが思い起こされた。
 あの後、和紀が退院するまで、誰も、燕を見たものはいない。
 父母の化身であったと信じて疑わなかった。

 和紀から遅れて、二ヵ月後に玲子も集中内観を体験していた。
 玲子の協力も大きく、断酒には益々磨きがかかった。
 断酒を続けていくための自助グループには、その名の通りの「断酒会」とA・A(アルコホーリック・アノニマスの略)がある。
 和紀達の時は、断酒会の下に「火曜会」というのがあって、火曜会では、断酒に入って間もない人達を対象に会が運営されていた。
 そのいずれもに参加して、そこで気兼ねなく話すことで、随分と癒された。
 二年の通院期間も、会社の温かい配慮で、成し遂げることができた。