新芽のつぶやき 

(貝の蕾・依存症からの回復)
林  仙 哉

目  次

断酒から907日自立心のない深酒今日の新聞から
アルコ−ル依存症の人格的側面五十の手習い吉祥天と黒闇天
脳がだんだん小さくなるナスとトマト何故「内観」をするのか
不安と飲酒悩んでいることを悩んでいる夫婦は鏡
断酒と内観何故家族も変わらなければいけないのか会 話
電  話共依存からの回復以心伝心
内観と食事


 ひ と こ と 


 私は、著者からいただいた「新芽のつぶやき」が17号も手元に貯まりました。読んでみますと、どの号もアルコール依存症からの回復の大変さとともに回復の喜びが満ちあふれています。普段なんとはなく流れてしまう日々の生活の中で、著者の鋭い感性によって自分を素直にかつ厳しく見つめ、このエッセーをしたためているものと思います。
 心の叫びが、毎号私が勤務している病院のアルコール依存症者の元に届けられ、共鳴とともに気づきに役立っています。著者にお願いして17編選択していただいて掲載しました。是非、このホームページに訪れた方々に読んでいただければ、アルコール依存症からの回復とは一体何なのか明らかになると思います。また、自己探求法としての内観にも触れることになるでしょう。


(吉本 記)


ご感想や、著者へのE−Mailがあればhy-comp@nsknet.or.jpまでお送り下さい。お待ちしています。























§− 断 酒 か ら 907 日



 修行僧の間で千日修行というのがあることを聞きました、かなりの荒修行でとても大変なことだとか、私の場合は907日、千日にはまだ僅かですが足りません。
 振り返ってみて断酒初期の酒に対する執着心は不思議なようですが余りありませんでした。でも、おいしそうに飲む人を見て羨ましく思ったり、人が一・二杯の酒を飲んでいる時でも何かぎこちない感じを持ちました。酒を飲みたい気持ちを遠去けた一番の原因は、自分が大人であって大人ではなかったことでした。現在の自分の言葉で表せば、心理的にも、情緒的にも、大人として成長していなかったことが一番悔しいことでした。
 そして、内観が私に大きな影響を与えてくれました。或いは内観が大人ではなかった自分を気付かせてくれたのかも知れません。私の場合は、飲めないと思う寂しさよりも、自立への寂しさの方が何にも増してつらかった、解かってくれる人が欲しかった、心 の開ける友人が欲しかった、妻でさえ悔欺の目で私を見ている時でしたから。そんな自分を解かって下さる、励まして下さる人が吉本先生と長島先生でした。そして、自分を変えろといって下さった上司と会社の恩に報いることでした。
 断酒から日と数えると病気ではない人は、未だ酒に未練があるように思う人もいますが、私にとってはかけがえのない成長への日数なのです。
 今日は大晦日、また今年もいい一年を送らせていただきました。






















§− 自 立 心 の な い 深 酒



 何故、酒を飲まなければならなかったのか、それには沢山の理由があると思います。例えば、
☆ 仕事がつらいから
☆ あの人がこう言ったから
☆ こんな事がしたいのに、それをやらせてくれないから
☆ 自分がこんな気持ちなのに誰も解ってくれないから
☆ 酒ぐらい飲めないと世渡りができないから


等等、
 でも、この言葉をよく吟味しますと、相当に受け身的で、自立心に欠けていることが明白です。この事が断酒初期にはなかなか理解できない事でしたし、断酒を困難にしている原因の一つなのかも知れません。私の飲酒は酔いの中にありました。酔って酔って酔っぱらって、今、現在、を忘れてしまっていました。遠くのこと(実現できそうもないこと)を思ったり、注目してもらえる事で、強い酒をあおったりもしました。他人にチヤホヤされることで自分が人とは異なっている、人は自分に一目おいている、そんな感情があったと思います。三年半余りたって思うことは、いかに自立していなかったか、いかに人任せであったか、いかに自己中心的であったか、いかに幼稚であったか、という事です。まさに、アダルトチャイルドであり、ピ−タ−パンだったのです。ちなみに、酒は飲めなくても充分世の中は渡って行けますので念のため。






















§− 今 日 の 新 聞 か ら



 今朝の新聞で、断酒5年になる人が、妻の腹部を刺して重症をおわせた事件が掲載されていました。口論の原因は、妻の雑煮の作り方にあったらしいのですが、外部の人からみれば何も刃物まで持ちだすようなことではない、と思うでしようが、アルコ−ルの問題をかかえる私としては人ごととは思えないのです。飲んだ理由はともかく酒を飲んだら抑圧されたものが一気に噴出してブレ−キがきかなくなってしまったのでしょう。
 日頃の夫婦間の関係がなんら解決されていなかったと思われます。あるいは又、自分自身の心の葛藤がそのままにされていたのかも知れません。私も三年にはなりますが、まだ、夫婦間の関係は充分に修復されてはおりません。例えば、
◆ 妻が不気嫌な時は自分も不気嫌になります。(自立性の欠如)
◆ 妻の言ったことにすぐに反対意見をいいます。あるいは、言争った時等はむきになってやりこめようとします。(敵対心)
◆ 子供と妻の話し合いの中に入ろうとしたり、子供への妻の意見を否定します。(トライアングル状態)
◆ 妻そのものを否定します。(自信欠如)


等、ほんの一部ですがあげられます。
 夫婦間の関係の修復とは、飲酒時に迷惑をかけていたことを詫びることも勿論ですが、極身近かな人に対する自分の心中のわだかまりを整理していくことも大切なことだと思います。私の場合は他人に感じない敵対心が、妻に対して強く働きます。話あってみますと、妻もまた私に対して敵対心を持っているそうです。《夫婦は鏡》といわれる所以でしょうか。
 ものの本によると、こういった夫婦は互いに引き合うということです。夫婦間、あるいは家族間にあって自分がどう変わらなければならないか、を絶えず考えていかなければならない自分にとって断酒は最も大切な基本だと考えています。私は、断酒を行う上で容易にそれが出来るように『内観』の御世話になっております。
 いくら頭で考えても、いくら態度で示そうとしても、自分の持っている性根は根源からは消えにくいものだと思います。一度、酒を口にすれば根底から崩れ、今朝の新聞のようなことになりかねない、そう思いますし、アルコ−ルはそれほど恐ろしいものであることを再認識させてくれる事件でした。
1995.1.3.






















§− アルコ−ル依存症の人格的側面



 ア症について、精神分析医の間では、発達理論からみて、口唇愛期に固着点があると、後年、ストレスフルな環境にさらされると、幼児期にまで退行し、母乳代わりに酒のボトルをくわえるとか、肛門期に固着点のある潜在性同性愛傾向が多い、とかの学説があるそうですが、これといった結論はないそうです。
 しかし、一般的にア症の人は、素面の時は 几帳面で、義理堅く、人のことを気にしやすい。過度の飲酒の動機は、対人恐怖的な精神緊張をまぎらわすためのものが多いようだ。ア症患者には欠損家庭が多く、そうでない家庭でも、幼児期の親子関係に問題があって、患者の精神成熟が妨げられていることが多い。また、一時期長男が多いとされた時期もあったそうですが、むしろ末っ子が多いとされてきた。これは兄弟の多い家庭では、いつまでも、「家庭の赤ん坊」として扱われることから、依存傾向が助長されるからだ,そうです。
(以上 中村希明 著 「薬物依存」より)

 最初の方の難しいことは、これから勉強するとして、中程からはなるほど、なるほど、とうなずいてしまいます。私は断酒初期にかなりの幼稚さを感じましたし、酒から離れても、奥さんに依存していることを感じ、それらをかなり意識の中において自分を変えようとしました。「内観」にふれていて、それができたとおもいます。
■ 口唇期 : 生後十八ヵ月くらいまでの、小児性欲の発育の第一段階。赤ん坊は乳房をくわえ、口唇粘膜に刺激を加えることで、快感を覚えるが、フロイトはこの快感は性的色彩をもつと考えた。
■ 肛門期 : フロイトによる小児性欲の発達の段階で、生後ほぼ八ヵ月から四歳まで、
■ 固着点 : 精神分析の用語、幼児の時の愛の対象(例えば母親)等に特に愛着を持つ、といったように、精神が未発達の段階にとどまること。
■ フロイト: オーストリアの心理学者、精神医学者、人間の心理生活を、下意識または潜在意識の領域内に抑圧された性欲衝動(リピドー)の働きに帰し、心理解明の立場を創始。
■ リピドー: 本来はラテン語で欲望の意味、精神分析の用語で、性的衝動を発動させる力、(フロイト)また、すべての本能のエネルギーの本体(ユング)
■ ユング : スイスの心理学者、精神医学者、プロイラーに協力し、連想検査を作った。また、性格を外向型、内向型に分類したことで有名。フロイトに共鳴し、精神分析運動の指導者となったが、後にフロイトと別れた。
(広辞苑より)






















§− 五 十 の 手 習 い



 私の奥さんは、一月の後半から、自動車の運転免許を取得するべく、自動車学校へ通い始めました。ここ数年、運転免許を取るか、取らないかで何度か迷っていましたし、そのことで、私と夫婦喧嘩に発展することもありました。でも、ここまで来ると、(酒をやめて、やがて四年)私の心にも、ゆとりがうまれて、彼女をひきとどめてばかりいるわけにはいかないだろう。そろそろ、そういう時期なのかも知れないと思い、奥さんの五十の手習いとなつた訳です。二月の末に、仮免許を取得しましたので、これが発行される時には、若葉マークをつけていることでしょう。
 奥さんが、運転免許を取ることで、車を買い換えなければなりませんでしたし、保険も書換えなければなりません。私の家庭にとっては、かなりの出費にはなりましたが、人生は二度もない。お金はなんとかなるもの。そしてなにより、奥さんの人生は、奥さん自身のものである。といったことが、体験的に分かってきたからです。

 アルコールに執着していたのでは、とてもここまで奥さんに対する配慮はできなかったとおもいますし、アルコールに縛られて生活していた時には、お奥さんが、私と同等か、或いはそれ以上に同じ事をするのが許されない事でした。奥さんは、絶えず私の下にあるべき存在だったのです。このことは、私が父を乗り越えることが出来なかった裏返しの心理が働いていたのかも知れません。






















§−吉 祥 天 と 黒 闇 天



 ひろ さちや著「仏教に学ぶ八十八の知恵」を読んでいたら、こんな文章に出会いました。ある男のところに、福徳の神である吉祥天と貧乏神の黒闇天とが訪れ、その男は、福徳の神である吉祥天だけを、家の中に招じいれた。ところが、貧乏神の黒闇天曰く、「あなたはバカねえ。さっきの吉祥天は私の姉よ。私達二人は、いつも一緒に行動しているのよ」といって、貧乏神の黒闇天は男の家を去った。するとまもなくして、姉の吉祥天もそこを去ったという。
 そこで、著者の ひろ さちや さんは、自分にとっての都合の善し悪しなどの例をあげ、結びにこういっておられます。「むしろ、積極的に黒闇天を招待して、これとお友達になるならば、必ず姉の吉祥天もやって来る。そして、すでに黒闇天とは、お友達になっているからまちがいなくそれとうまくやっていけるわけだ」と。世の中のすべてのものごとには、必ずや一長一短があると戒めておられます。
 以前の私は、くる日も、くる日も、吉祥天、吉祥天、で、黒闇天が来ることを拒み続けましたし、黒闇天が来ることが、絶対に許せることではなかったのです。その結果、アルコール依存症という大きな黒闇天が来てしまいました。でも、アルコール依存症という黒闇天とお付き合いしているうちに、それによって、「生き方の誤りを認める」という気付きがもたらされました。これ即ち、吉祥天、「災いが福をもたらす」とは、こんなことをいうのでしょう。






















§− 脳がだんだん小さくなる



 アルコール依存症として、酒を大量に飲用した場合に現れる身体的機能不全のひとつとして、「脳室の空洞化」があるようです。これはアルコールの作用による「脳の萎縮」で、飲用していた期間や量によって違いがあるそうですが、ある専門家によるとアルコール依存症の83%に、このような変化を認めたそうです。また、脳の萎縮は前頭部や脳の中心部の第三脳室付近に強いという結果もでているといわれます。
 症状としては、振戦せん妄、アルコール性てんかん、アルコール性痴呆の順で萎縮が進んでいる。一般に長期飲酒者は老人に近くなり、実際の年齢より老化しているが、老化だけでは説明がつかない。専門家の研究結果では、アルコール依存症で死亡した人の脳を丹念に調べたところ、30才から40才代の人でも、80才代の老人の脳と同程度であったといいます。長期間の酒の飲用によって、血液によって送られた栄養分が脳細胞で充分に利用できず、この結果となるようです。
 アルコール依存症者は、どうみても、2.30年早く「恍惚の人」となる可能性を秘めている。アルコール性痴呆にいたっては、飲酒を止めても元にはもどらないとか。しかし、軽度な脳の萎縮は「酒を止める」ことで回復できるそうです。
 アルコール依存症として、診断された方々は、なんとしても早いうちに酒とおさらばすることでしょう。






















§− ナ ス と ト マ ト



 一般にみられる、大酒家(大酒飲み)と、アルコール依存症との違い。また、アルコール依存症と類似した考え方を持つ、一般の人との違いは、どこにあるのでしょう。大酒家は、単に酒に対する耐性が強い人で、不規則な、或いは連続的な飲酒はせず、その形態は「問題飲酒」とはならないところに、大きな差があります。また、ア症と類似した考え方を持つ人が、飲酒行動をしても、なんら「問題飲酒」とはなりません。
 ではなぜ、私達だけがアルコール依存症となるのでしょうか。一口にかたずけてしまえば、ア症者の心理の奥底には「甘え」があるからだと考えます。以前にも書いたように、幼児期に於ける心理作用が影響を与えていることは事実であっても、「成長していく過程において、自分を野放しにしてきた」結果であると思います。成長していく過程において自分の葛藤を上手く整理してこなかった。いいかえれば、「何の不自由も感ぜずに、ノホホンと暮らしてきた」。その事にあると思います。これは「自分の責任」であって、「親の責任」ではないことを強く記したいと思います。
 何をしてもらっても「あたりまえ」、少しでもつらい事があると「あの人のせい」、になるのも「甘えの心理」が働くからで、会話の中で自分が不利になると「皆がそう言っている」と、対象が極めて漠然とした大勢を引き入れるのも幼児性の現れで、やはり「甘えの心理」と言えるでしょう。
 こういった幼児性を伴う甘えのままに、大人になってきていますから、少しのストレスにも耐える事が出来ず、アルコールの酔いへの逃避になるのでしょう。酔っていれば当座の間、問題(出来事)を考えずにすみますから、それは自分にとって快(楽)であり、アルコールを多用することで、自分に対しての問題意識を希薄にしていきます。また、アルコールの作用によってもそれに拍車がかかるのでしょう。「男らしく」に必要以上に執着するのも、「甘えに寄りかかっている生きている自分」を偽っている、裏返しの心理だと考えます。
 冒頭の違いの差は、ナスとトマト位に、似て異なるものなのです。






















§− 何故「内観」をするのか



 アルコール依存症として入院してくる人達の多くは、自分がアルコール依存症であることを認めようとはせず、どうにかして上手な酒飲みになれないだろうか、と考えがちである。自分が、酒によって苦しんでいて、助けが欲しいのに酒から離れることができないでいる。私も会社の上司の適切な助言がなかったら、身体の治療だけに三ヶ月と言う貴重な時間をついやしたことでしょう。
 その助言とは、「自分が変わらなければ、酒は止められない」と言っていただけたこと。そして、その基盤となるべき「内観」に出会わせていただけたこと。それらが、今の私がこれからの人生を歩むのに絶大なる影響を与えてくれました。
 「内観」を発展させ、自己の歩みを進めるうち、仏教語の「輪廻転生」と言う言葉に出会いました。それを理解し易くするために、インドの哲学者が、ビリヤードに例えて、自分の打った白い球は、次の赤い球に当たって止まる。しかしながら、白い球のエネルギーを伝えられた赤い球は、次の目的に向かって転ろがって行く。これが「輪廻転生」だと。これからいくと、まさに心身二元論で、個は亡くなっても、心(魂)は、次の 世代へ受け継がれて行く事になります。
 私の今は、アルコール依存症で、責任を持って、歩まなければならなかった人生の大半を、酒に奪い取られてしまいました。心身二元であり、「輪廻転生」であるなら、私は、これからの人生を来世の自分のために備えたいと思うのです。来世の誠実な自分のために、そして、自分の人生は「素晴らしい人生だった」と言えるように、いいかえるなら、「自分で納得の行く生きざま」のために、「内観」を続けていきたいと思うのです。






















§− 不 安 と 飲 酒



 アルコール依存症は、こころの病気(問題)を抱えながら酒を痛飲しています。一人で飲むことが多く、酒に酔っても絶えず不満や不安を感じていて、どことなくしっくりしないものなのです。それですから、このしっくりしないものを払拭しようと、もっと、もっとと酔いを欲しがります。程よい酒を飲む人からみれば、毎日が宴会状態です。でも本人にとっては、すっきりしていないものなのです。酔って訳が分からない、正体不明の時こそ、その漠然とした不安な感情から逃れられている時だと思うのです。いや、正確には正体不明になるほど酔っているから、よけいに不安から抜け出ることができないのかも知れません。いいかえれば、酔っていても不安だということです。
 依存症の人は、自分の殻に閉じ籠もってしまい、人前では、自分のこころを容易に開くことができません。このことは、相手の人を受け入れることができないことともなります。誰でも、普通の人でも不安を感じている時があるのですから、アルコール依存症 だけが不安を感じているものではないのです。不安は対象が曖昧で漠然としているものですから、こういった対処をすれば絶対に不安がなくなってしまうというものではないといわれています。
 不安から抜け出る方法は、不安を拒んだり、不安を消去しようとしたりしない事だと思います。自分の主観によって不安の大きさや強さは違うものなのです。不安は不安として、そのまま生活を続ければ自身の精神の成長とともに、感じる不安は変わってくるものだと考えます。そのためにも、自分の殻に閉じ籠もってしまうことは感心できることではありません。自己中心的であればあるほど自己防衛の姿勢は堅くなりますし、他者を拒否することも強くなってきます。
 感謝できる人、そんな人が結局は自分を助けているのだと思います。

「素直に生きれば感謝ができる。感謝ができれば強く生きられる」
あらためてそう思います。






















§− 悩んでいることを悩んでいる



 生活を変えて断酒に専念するようになると、自身の中に様々な葛藤が生まれてきます。自分なりに簡単に解決できればいいのですが、古い自分のままでいる時などは、簡単に考えればいいことでも回りくどく考えて、取り組もうとしている問題をよけい複雑化して、出口を見出せないでいます。このような時は同じ考えがどうどうめぐりをしているだけで、考えあぐねているものですから精神的な疲労感に襲われ、圧迫感を感じて、どうしても自分のこととして考えが及ばず、自分より外部のほうに目がいってしまいがちです。また、適度に体を動かすこともしていませんから、心地好い疲れとは違っていつまでも疲労感が残ります。
 私はこういった状態の時を、「悩んでいることを悩んでいる状態」だと思って、今まで考えていた問題を一次棚上げして、「今、やらなければいけない自分の役割」を行うべく行動を起こすようにしています。
 悩んでいることを悩んでいるそのものが、今までの古い自分であったのですから、そして、このような状態にあって今まで何かいいヒラメキがあったでしょうか。方々の友人に電話をしてみても適切な答えが返ってくることは難しいことでしょうし、ただ自分の中に疲労感と、問題を解決できない不満が残るだけだったのです。酒を飲んで一箇所にじっとしていて問題を解決しょうとしていたことに似ています。
 病院の治療課程の中に「行軍」というのが組まれています。行軍という言葉は、いささか時代錯誤の感もあって、私は余り好きな言葉ではありませんが、さりとて、これほど的を射ている言葉もないと思っています。
     「頭だけで考えている自分」
     「何事も最後までやり遂げられなかった自分」
     「人に頼っている自分」
     「人のせいにしている自分」
     「体験することで初めて得られる事を学ぶ」
 これらの事から、「行動することから学ぶ自分」と「それをやり遂げようとする自分」を示唆しているように思っているからです。行動しなければ問題は解決せず、強く生きることもままならず、ましてや自分を表現すること等、程遠いことなのです。洞察力だけで人が変われれば、それに越したことはないのですが、私は「行動と、それを継続する力」だと考えています。頭だけで感謝している人は、態度に粗忽さや醜さが現れ、人をうつまでには至らないでしょう。見せ掛けの自分ではなく、体で感じ取り、それを表現できるできる人になりたいものです。






















§− 夫 婦 は 鏡



 アルコール依存症の夫婦に限らず、似たもの夫婦という言葉が示すとおり、縁あって結ばれた二人の間柄は、不思議に鏡のようなもので、甲乙付けがたいものがあるようです。まして依存症の夫婦ともなれば、その距離は接近していて「どっちもどっち」といった感を強く抱きます。
 以前酒に苦しんでいて、入院すると決めた時に、職場の或る上司に入院に至るまでの経緯を聞いて戴いた時のこと、私の奥さんが私のことをクドキ始めますと、その上司の方は、「どっちもどっちなんだ」と言われました。その時は私達夫婦を非難する言葉として受け止めていましたが、そうではなく、その上司の方の家庭での夫婦の在り方もまた「どっちもどっち」であったのです。「どっちもどっち」という表現を借りて、「夫婦は鏡」、「夫がそうであるなら、妻もまた、そうである。大して差異はない」そのことを言いたかったのだと、これは内観に触れてから理解できたことでした。
 私はかなり理屈っぽい方ですが、奥さんもまた理屈っぽく、口喧嘩になると「それは貴方の主観の問題です」とか「客観性に欠けている」等と変に回りくどくなったりして、争っている焦点がボヤケてしまうことだっていくらでもあるのです。
 話は変わりますが、この度の「さわやか会」でのこと三木先生からだされた「あなたはどんな時に精神の成長を感じましたか?」とのテーマに沿ってグループで話し合いをした時のこと、(偶然にも吉本先生と同じグループで照れ臭い思いもしたのですが)「私は現在、舞鶴、上越と出張を繰り返していますが、どの現場に行っても、そこの人達がとても良い人達で、ありがたいと思うし、幸せでもある。少しは成長したのかも知れない」と申しましたところ、内観に非常に熱心な島さんという女性の方から、こんな嬉しい言葉を戴きました。「それは貴方が良い人になられたからよ、人は鏡って言うでしょ。自分の姿が相手の人に出ているのよ。素晴らしいことだわ」。
 私には、身に余る光栄な言葉です。自分が相手となる人を拒めば、相手の人もまた私を拒否します。これからも人間恐怖症にならず、出来るだけこころを開いて、素直に生活できるようにしていきたいものです。






















§− 断 酒 と 内 観



 私の断酒初期においては、酒をやめ続ける不安よりも、アルコール依存症になっても、まだ尚且つ、会社に於ける自分の地位を与えられていたことに、感慨無量なものがあり、温かく指導して下さる上司と、普通に接してくれる同僚とに恵まれ、何度となく感謝の涙を流したことでした。
 依存症になるまでは、会社や家庭に於ける自分の立場や役割が、分かっているようで全然理解できていなかったものですから、感謝できるような状態ではありませんでした。「依存症になって良かった」とよくいわれますが、病気になったことへの負け惜しみ的発想ではなく、どんな病気になってもそれで初めて体験できて、目から鱗が落ちたような思いをするものであろうと考えます。
 このような時に、「どうしたらまた以前のように酒を飲めるだろうか」とか、「どうしたら酒をやめ続けていけるだろうか」を考えることはなく、「どうしたら恩に報いられるか」を考えたものです。この、「どうしたら恩に報いられるか」を考えさせるに至った「内観」とは、素晴らしいものだと思います。
 「内観」では、自分の幼少の頃よりの母に対して、また父に対して、配偶者に対して、兄弟、親戚に対して、ひいては会社や社会に対して
      (御世話になったこと)
      (して返したこと)
      (ご迷惑をお掛けしたこと)
この三点のみを、それぞれの対象を通して自分の身調べをおこなうのですが、単純なだけに誰でもが体験し易く、前向き思考になれること請け合いです。酒をやめ続ける秘訣とは、『自分が変わり、家族も変わる』ことだと考えています。「酒を飲んでいた本人が変わるのはあたりまえ、自分がどうして変わらなければならないのか」と家族の人は考えがちです。そして「性格もそんなに簡単に変わる訳がない」と思われます。ですが、家族の人も本人も「酒で人が変わっていたのですから、その酒をやめた時から、皆が変わっている」と私は考えるのです。  「内観」によって、何もするべきことをしていない自分を知った時、私を産み育ててくれた父や母に対し、酒びたりの自分が余りにも身勝手であつたことを詫び、他界した今でも、何かしらお返しすることはできないものかと考えたものです。そんな時に、長島先生から「父母恩授教」というテープを聞かせて戴きました。それをヒントに、毎朝、夕、一本のお線香を焚き、父と母に手向けて感謝を重ねております。今では、私のこころを静ませるまでに至っています。






















§− 何故家族も変わらなければいけないのか



 アルコール症に限らず、依存症の家族は一様に患者の症状に巻き込まれています。例えば、患者が食事を摂らないならば、赤子が母親に食べさせてもらうように、患者の口許へ食べ物を運んでやったりすることがあります。この時の家族(妻)である人の心情は、「酒ばかり飲んで食事もろくに摂ろうとしないんですもの、私が食べさせてあげないといつかは死んでしまうのではないかと心配で」といった気持ちでおられるのが一般的ではないでしょうか。
 或いは、酒の酔いによってなされる患者の虐待行為をひたすら忍耐し、挙げ句、「あの人に酒を飲まさなければなんとかなるのでは」と酒をとりあげたり、隠したりしていないでしょうか。そして、その度毎に一悶着(一騒動)起きていませんか。こういった状態は、家族が気付かないうちに、依存症という病気に巻き込まれていることなのです。
 依存症の家族は、夫婦が互いに共依存関係にあり、自立した夫婦とは言いがたいものがあります。そのために患者が断酒状態に入ると、(妻)である人は自分が見失われてしまい、極めて不安定な精神状態になるようです。ましてや患者である夫が45才位だとすると、妻である女性は〔更年期〕にさしかかり、ホルモンのバランスも崩れて、心身ともに不安定になり易いそうです。この時期には個人差もありますが、ホルモンが体を支配しているといっても言い過ぎではないものがあるようで、私の奥さんなどは大変に苦労をしました。対象は夫そのものではなく、夫が、依存症という病気になって初めて気付く「家族が抱えるこころの問題」を明らかにしていくために、依存症という「病気」を見極めていかなければならないと思うのです。
 例えば、依存症の家族全員が「前向きな考え方で生活することができない」ことはどうしてなのか、「夫婦の過度な融合状態」とはどのような状態を指しているのか、個々の立場で考え、勉強することだと思うのです。そして、夫婦の間のもつれ合った感情の糸を、徐々にですが整理していかなければなりません。
 家族には、患者によってもたらされた多大な迷惑が頭に焼きついて離れませんから、「病気を見極める作業」はなかなか大変なことだと思います。しかし、これらは私が断言するのではなく、私達夫婦が共に体験し、乗り越えて来たことで、私の奥さんの言葉を借りれば、「気が狂わんばかりのことが何度もあった」といいます。それでも私の奥さんは、自分を変えるためにやってくれました。娘も病気を理解してくれています。親も子も、やっと自由に自分の気持ちを表現できるようになってきて、家族の間に〔なごみ〕や〔信頼〕も生まれてきました。
 家族自身が抑圧されているこころの解放を促すために、変わる必要があるのではないでしょうか。「断酒のための家族の協力」にはこんなことも含まれていると私は思います。






















§− 会     話



 女 「また朝から酒を飲む。朝から酒を飲む人なんてどこにおるいネ」
   (男を子供扱いしている言葉遣いをしている)
 男 「夜勤明けやもんャ、朝から飲まんでいつ飲むんけ」
 女 「ホンデモおかしいワネ」
   (日頃飲み過ぎると言いたいのですが、こんな会話になってしまいます)
 男 「夜勤明けは皆そうヤンカ」
   (酒の力を借りて眠りたいのですが上手く言えません)
 女 「誰がそうヤッテ言うのョ」
 男 「Kさんだって、Hだって夜勤明けには朝から飲んでるワイネ」
   (自分たちが、酒とどう係わっていったらいいのか、
    女は飲んでもらいたくない。男は飲んで眠りたいといった
    自分たちの気持ちが表れていません)
   (男は具体例を揚げて説得しょうとしますが」」ッ)
 女 「アンタみたいに冷でガブ飲みなんてしないワネ」
   (女は何とかして飲ませたくないのですが、男は
    の部分の言葉で飲んでもいいと解釈しています)
 女 「また飲む、いい加減にしたらドゥィネ。御飯も食べんと」
 男 「昼間明るいし、夜また出てかんナンケ」
   (昼間は眠れないし、夜の仕事に嫌気がさしてイライラしています)
 女 「フン、アンタみたいな酒飲みと結婚するんじゃなかったワ」
   (ナンダカンダと言って酒を飲み続ける男に業を煮やして、
    男にとって打撃を与えようと構えてきています)
 男 「ュ」」」」ッ」
   (こころのイライラが、女に対しての怒りの感情に変化しつつあります。
    自分の気持ちを伝えられないもどかしさに、黙り込んでしまいます)
 女 「勝手にしらレ、私、アンタのことなんかどうなっても知らんしネ」
   (女も素直に気持ちを表現できませんから、困らせればやめるかも知れないと
    最後の捨て台詞で感情の整理をしようとしますがュ」」ッ)
 男 「夜勤明けの朝から飲んでどこが悪いんヤ、オレのこと知らんやとオー。
    コノ野郎ー」
   (胸ぐらを掴んで女に迫りますが、やめにして酒の入ったコップを
    割ります。茶碗を床に叩きつけます)

 不自然な会話しかできない私達夫婦でした。(   )書きを省いた次頁の会話をもう一度読んでみて下さい。

 女 「また朝から酒を飲む。朝から酒を飲む人なんてどこにおるいネ」
 男 「夜勤明けやもんャ、朝から飲まんでいつ飲むんけ」
 女 「ホンデモおかしいワネ」
 男 「夜勤明けは皆そうヤンカ」
 女 「誰がそうヤッテ言うのョ」
 男 「Kさんだって、Hだって夜勤明けには朝から飲んでるワイネ」
 女 「アンタみたいに冷でガブ飲みなんてしないワネ」
 女 「また飲む、いい加減にしたらドゥィネ。御飯も食べんと」
 男 「昼間明るいし、夜また出てかんナンケ」
 女 「フン、アンタみたいな酒飲みと結婚するんじゃなかったワ」
 男 「ュ」」」」ッ」
 女 「勝手にしらレ、私、アンタのことなんかどうなっても知らんしネ」
 男 「夜勤明けの朝から飲んでどこが悪いんヤ、オレのこと知らんやとオー。
    コノ野郎ー」

 場面を想定しないと、一見なにげない会話のようにも思えますが、お互いの気持ちを伝えるような会話ではありません。依存症の夫婦にみられる大半の会話は、何方であれ、どのような時であれ、これに似たような会話が成されていると思います。「感情が前面に立ち、自分の気持ちがおろそかになっている」ために起きる会話のように思います。こういった会話の不自然さは、一般の家庭にもみられることがあります。
 アルコール依存症の回復した家族の良いところは、会話一つ取っても、何とか努力をして相手の人に気持ちを伝えようとするところではないでしょうか。






















§− 電       話



  疲れ切った眠りから目を覚ますと、時計の針はもう八時半。
  疼くような頭痛と吐き気に苛まれ、その上低血糖で体に力が入りません。
  昨夜の浴びるような飲酒の果ての空騒ぎの虚しさと、仕事に遅れたその原因が
  昨日の昼から飲みはじめた酒にあることで、重苦しさの中に深い罪悪感を感じ
  ているのです。

  しかし、弱々しい体の動きとは別に神経だけは逆立っているのです。        (……  ………)
       (………… … ……)
  人に見られないように度の強い酒を口に含むと、渋さの中に啌壁がヒリヒリと
  刺激されるのですが、襲い来る吐き気に逆行して一気に呑み込みます。
  鳩尾に鈍痛を感じて、しばらくして胃壁が温かくなってくると
  (… 救われた …) と思うのです。
  酒のおかげで体が僅かに楽になって………
  今更仕事に行っても仕方がない……と
       (ストーリーを書いてしまうのです)

  男 「今日、体の具合が悪いから
        仕事休むって  会社に電話してもらえんかな」
  女 「ナニケ! 酒ノンで具合悪いクセに。ナンテ言うんケ……
        アンタ自分でシラレ!」
  男 「仕事休む本人が電話してたら
        何んともないと思われるヤンケ…」
  女 (………… ……)
  女 「アッ○○ですけド…。○○さんお願いします。
      アッ○○ですけド。うちの人酒ノンで休みたいって言ってるんですケド。
       うん、そう、昨日も……。  ウン。ソウ………。
             云々…………。     云々…………」
  男 「仕事休むってだけ電話すればいいのに
        何くだらんこと長々と話とるんケヤ!」
  女 「ゼーンブ言ってやったしネ」
  男 「何オー。オレの身にもなってみろヤ……。
        ホントに腹立つナー。オレの身になって少しは考えて物言えヤ」
  女 「電話してくれっテ頼んだのアンタやがいネ。
        私がナニ話しょうと私の勝手やがいネ。
             言われるのイヤかったらアンタ自分でスッコッチヤ」
  男 「ナニ様のつもりで話してるン ケヤ。
        云々…………。     云々…………」

  自分のことを人に頼むこと事態が依存関係にあると思われるのですが、
  女の話の内容はともかくとして、頼まれたことを実行するのも。
  影では男の飲酒を援助していることになるのです。
  この後、喧嘩になるのは目に見えていますが、会社を休めるということで、
  男の心に某かの安堵感を植えつけてしまっているのは事実でしょう。

  アルコール依存症は、このように援助者としての周囲の者を利用し、そして欺き、
  まんまと酒にありつくのです。
  そして、二口、三口と女の気配を伺いつつ酔いに溺れていくのです。
  明日もまた、憂鬱で暗い日が待っているのに……。

 依存症の家庭の方なら、何度となくこのような形態を持った経験がお有りでしょう。 こういったネガティブな関係は、病的にまで発展してきているわけですが、当人同士はなかなか気づかないもののようです。病的にと言う言葉を嫌うとするならば、異常に歪んだ関係にあると言えるでしょう。そして紛れもなく、男に酒を飲ませるように仕向けていることに気がついてもらいたいのです。アダルトチャイルドオブアルコホーリック(ACOA)ならではの会話の稚拙さにも耳を覆いたくなるようなものがあります。男ならずとも、女も著しく成長に欠けたものがあります。
 私は依存症を契機に、酒ばかりではなく、こういったことも同時に考えて行く必要を感じているのです。自分たちの形態を考えてみてください。






















§− 共依存からの回復



 アルコール依存症者とその家族は、共依存関係にあることは何度となく述べてきまし たが、共依存関係にあることそのものがひとつの習癖ではないかと考えています。即ち、生活のなかに組み込まれてしまっているお互いの依存関係を、正常な関係に修復していくことで、互いが自立した大人としての夫婦の存在が可能となると思うのです。しかし、これは容易なことではなく、やがて七年目を迎える今でも吉本先生のアドバイスを受けながら、時々自分の身辺をチェックしている次第です。
 断酒を始めて初期のころは、患者となった者は、「アルコール依存症」という病理的 に明確な形で顕れるので、比較的病気に対して取り組みやすいのですが、家族にとっては体の痛みを感ずることがないので、自分は健康だと思える節があり、アルコールの援助者」として身も心も疲れきっているのに気づくことはなく、「飲んだ、飲まない」に終始していて、「心の病気」としても「家族間の病気」としても捉えることが難しい有り様でした。
 更に、「心の病気」として認知することで、昔語りの偏見が根強い性もあってか、「まさか私までが病気だなんて」(そんなことは嫌だ、断じて許されない)という思いが支配的であったようです。アルコール症は「否定の病気」と言われるくらいですから、病気が「心に出る人と、体に出る人」があるということが、なかなか納得できません。
 私もここまで到達するにはかなりの時間を必要としてきましたが、「自分だけは人と は違う」といった高慢な意識は持たないほうがいいように思えます。最近では精神科の外来を気軽に訪れる人も増えてきたと聞いていますので、或いは私達夫婦の事だけなのかもしれません。
 共族依存からの回復は、自分達の毎日の生活を逐一見直して、改善していかなければ なりませんが、共に依存する関係を保つことで、お互いに感じている不安や寂しさを解消しようとするのでしょうか、非常に激しいギクシャクした家族関係に陥ることが度々あり、「何のために自分はここまで頑張ってきたのだろう」と愕然と膝を折ってしまうのですが、自分が死んで行くときに、「自分なりによく頑張った」と満足して死んで行きたいと、そしてそうすることが私を支えてくれた人達への「お返し」になるのではないかと、必死に生きているのです。
 大人としての自分、自立した夫婦の関係、そして家族の絆、アルコール症は「単なる 病」ではなく、回復していく過程において、さまざまな問題を投げかけてくれる人生への問いかけの病気のような気がします。






















§− 以  心  伝  心



 以心伝心とは、言葉に出さないで、互いに気持ちが通じ合うこと。を言うのですが、これは家内と結婚し、夫婦として生活を始めた時から「こうあるべき」として、私が家内に望んでいたことでした。夫婦である以上は妻は夫に注意を払い、夫の所作を逐一理解し、夫が何も言わくても身の回りの世話をして、快適な環境を私に提供してくれることでした。
 夫が「出掛けるぞ」と一言言えば、スーツを出し、靴下を揃え、大急ぎで靴にブラシをあて、「いってらっしゃい」と笑顔で送り出す。それが夫婦であると思っていたのです。しかし、そう望んでいる自分であることを、自分が解っていませんでしたし、彼女と「自分たちのことについて」対等に話そうとする時には、煩わしさの余り酒で誤魔化し、酔いの勢いを借りることが必要でした。
 普段の会話と言えば、他人の行動やその日の出来事等、『周囲からもたらされる状況』を話し合うことが多かったものですから、【状況を伝達する】ことがすなわち【自分の気持ち】だと思っていたのです。ですから、家内が私のことや私達の生活について触れようとする時、匂い立つような現実味が漂ってきて、煩わしく、とても嫌な気持ちになり、やはり行き着く先は酒だったのです。

 自分の気持ちを相手に伝えると言うことは、普通の人には難なく出来ることでも、アルコール依存症にとっては大変難しく、相当な忍耐と自分をモニターする訓練が必要とされるのです。いや、もしかすると「自分の気持ちを相手(家族)に伝える」ことは、普通の人にでも難しいことなのかも知れないのです。依存症という病気を通して、家族関係の修復を図ろうとする【動機】があるからこそ、普通の人以上に真剣に取り組むことが出来るのだろうと思います。

 以心伝心とは、何も言わないで自分のことを理解してもらったり、理解させる依存的な関係にあることではなく、その前提には、自分にとって都合の悪いことでもとことんまで話し合って、相互を理解し合う能動的な積極性が必要であり、その結果生まれた信頼によって、いつの間にか周りが変わってきていることに気づくことではないでしょうか。

 相互依存では決して生まれることがないものとの思いを深くしています。






















§− 内 観 と 食 事



 「長島先生のとこの食事は美味しいよぅー」
とは、以前入院していた時に中林看護主任が、明日から内観に行く私に言った言葉ですが、内観を終わって再び病院に戻ると、
 「どう?長島先生のとこの食事。美味しかったやろ」
 「私の時も、あれが食べたいなぁーと思うと、それが出てきたり、もう、何と言おうか、贅沢とは違った美味しさやったからね」
 中林主任に言われるまでもなく、先生のところの食事は美味しかったのですが、最近になって、家内が移動検診車に乗ってパートで働きに出ると、朝は早く、大変な数の検診をこなしますので、疲労困憊で帰宅して夕食の用意をしますので、粗末な食事が余計見た目に悪く映ります。そんな時は、努めて家内に感謝し、前に出されている食べ物にも感謝をするように心掛けると、粗末で貧弱な食事がだんだんと美味しくなってきて、幸せを感じながら食べることが出来るのです。

 入院している時は、こんなんもんじゃありませんでした。
 同室のH氏が「餌や!エサ!馬か豚に食わせる餌や!」と言うのに同調していたのですから、穴があったら入りたい思いがしています。確かに酒に溺れていた頃は、食事など喉を通りませんから、家内が肉だ、魚だ、いや、刺し身だと手を替え、品を替えして出してくれたものですから、自然食卓は賑やかで、贅沢な物が溢れ返っていたものでした。
 そして、その殆どは食べられずに捨てられていたのです。

 七月に入って佐渡に出張に出掛けた時のことです。
 泊まった旅館では豊富な魚を日本食に仕立ててみたり、洋風に仕立ててみたりして、誠に手の込んだ温かいもてなし方をしてくれたのですが、二十人いる中で酒を飲まないのは私一人ですから、当然、全部平らげたのも私一人でした。その時に感じたことは、裏方の人達の真心でした。主善、二の膳は勿論のこと、大船盛りの鯛の刺し身が三叟もあるのですから、種類が違うといっても、いくら魚の好きな人でも、多少は食傷ぎみになる筈です。私のために身を投げだしてくれた魚を思い、裏方の人達の真心を思い、今日も無事に過ごされたことを思いして、有り難く戴くことが出来たのです。

 どんな食事でも、作ってくれた人と出されているものに感謝が出来れば、それなりに美味しく戴けるように思っていますが、長島先生のところの食事は決して貧弱なものでは無いことをお断りしておかなくてはなりません。
 内観の心を持って食事を戴く…。
 有り難いことです。