アルコール治療劇 




アルコール依存症治療劇 −第5幕−

第一幕

 「先生、なんとかして入院させてください。」と妻の嘆願から第一幕が切って落とされるのがアルコ−ル依存症の治療の始まりです。アルコール依存症本人の治療が始まる前に、妻がアルコ−ル依存症という家族病に病んでいることが告げられ、妻が病院に通い始めます。しかし、アルコール依存症者は舞台裏にまだ身を隠しており、もう飲んでもおいしくない酒を飲みながら、いつ訪れるかわからない自分の出番を不安と苦悩の中で待っているのです。

第二幕

「先生、私はアル中ではないんです。いつでも止めれます。この3日間止めたことがあります。」と、スポットライトを浴びるような華々しさとは無縁のような形でメイン・キャストのアルコール依存症者氏が登場し、妻や家族を前にしてアルコ−ル依存症を否認する ことで、第二幕が始まります。医者は、問題飲酒行動を示しながら否認を崩しにかかり、否認を巡っての攻防戦が繰り広げられます。しかし、アルコール依存症者氏は酒を止めなければならないと頭ではわかっていますので、否認しながらも徹底抗戦は不可能で、入院ではなくてアルコ−ル外来通院という甘い誘惑に勝てず、家族や医師に断酒を誓って通院となります。

第三幕

 「先生、止めれません。入院します。」で、3カ月の入院治療の第三幕が始まります。アルコ−ルに蝕まれている体ですので、腹が痛い、頭が痛い、眠れない、転んだ傷が痛い、吐き気がするなど、身体症状のオンパレ−ドが続き、周囲の者に飽き飽きされます。 「先生、自分はアル中ではなくて、肝臓が悪いので入院したんです。」などと、集団精神療法の舞台では精神科に入院しながら、シナリオと異なったセリフが見られ、周囲のものをハラハラ、ヤキモキさせられます。以前に同じ劇を演じた先輩達からも自分の体験談もまじえてセリフの間違いを注意されますが、なかなか気付きません。

第四幕

「先生、主人だけが悪いと思っていましたが、自分に問題があるのがわかりました。アルコ−ル依存症は家族病です。」の発言が妻より認められ、第四幕の始まりとともに、治療の転回点でありひとつの山場です。この見せ場がなければ、この舞台劇は観客の興味を引くこともなく、ただ単に終幕に向かってキヤストが「酒をやめます。頑張ります。」とクリ−プのないコ−ヒ−のように虚しく舞台にセリフが行き交うだけです。
 「先生、妻や先生の話が少し素直に聞けるようになりました。やはり自分はアル中でした。」と、晴れ舞台のような訳にはいきませんが、しっかりしした足取りで語られる時、舞台に立っている者、観客席にいる者、舞台監督すべてのものがこの劇の成功を期待するのです。

終 幕

 「先生、酒を止めるかどうかよりも、その前に自分に問題点があることがわかりました。」で終幕を迎えます。エピロ−グ。「私の入院劇は終わりますが、これから断酒会やA・Aでの終わりのない自己探求劇が始まります。みなさまの厳しくかつ温かい見守りをお願い申し上げます。」
 私は、この舞台に登場するアルコール依存症とその妻や家族達に対して、「愛しきアルコール依存症達よ、酒よさらばの劇を成功りに終わってほしい。」と願ってやまないのです。


●ひ と こ と
 この治療劇で演じられるように、アルコールに依存した方の治療は、家族(特に妻)から始まるのが一般的です。他の身体の病気と違い、アルコール依存症を家族病と考え、治療している為かも知れません。私は、最初に医療機関に訪れる方は、家族の中で一番健康度が高く、家族病から回復するのが早い方だと思っており、そのように実行しています。一人でも家族病から治る人がでれば、その家族のメンバーが次第に回復に向かいやすいと確信しています。そのことがわかった方から、「先生、主人が飲んでいても楽になりました。」とか、「主人の病気に隠れていた自分の問題が見えてきました。」などと語られるようになります。

 早く医療機関に訪れていただければ、アルコール依存症の当人が二幕、三幕に登場しても治療はうまくいくものです。心も体も家族も失ってから、またどれも失う寸前にどうにもならなくなって訪れたときは、もう終演では寂しいではありませんか。

アルコール医療を、終末医療でなく早期医療に

 そのために、家族やアルコ−ル依存症者自身が病気について知り治療に結びつけることは勿論のこと、内科の医師や職場や地域において患者や家族に影響を与えることのできる方々に、早期治療の重要性を是非知っていただきたいものです。

 また、治療過程の中でどんな時も、主役はアルコ−ル依存症者であり、準主役が家族(家族が主役になることもあります)であります。舞台の上で悩み苦しむ中で新しい生き方や考え方を身につけ、舞台から去っていきます。治療者が主役になった時は、そのドラマは観客からのブーイングを受けると同時に、その公演は失敗に終わるのが常です。治療者は脇役に徹することが是非必要です。迷脇役でなく名脇役がいてこそ、主役が輝く者であることを治療者は肝に銘ずべきです。
(吉本 記)