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賢治は、小学生の時から頭がよくて、高校には一番の成績で入った。

 賢治は岩手県花巻町に生まれ、 家は、質古着屋(質屋と古着屋を合わせた店)で、金持ちだった。賢治はその長男だった。親せきの人たちから、かわいがられて、食べすぎてはらをこわしたことがあった。せきりにかかったのは、七歳の時だった。 お父さんとお母さんがかんびょうしてくれたから、ひどくはならなかったが、それいらい、生物は、たべるなと言われた。

花城小学校に入ったのは、日露戦争のときだった。 童話が好きで、石や虫を採集するのも好きだった。 綴り方(作文)が得意だった。 4年生の時、鉱物、植物、昆虫採集、標本作りに熱中した。 5年生の時に、鉱物採集に熱中し、家人から、石っこ賢さんとよばれる。 6年生の時 、「遠方のともにつかわす」、「皇太子殿下を拝す」の作文を書いた。

13歳、盛岡中学(今の盛岡第一高等学校)に入学、鉱物採集に熱中、HELP(ヘルプ助けるという意味)のあだながつく。 中学2年、博物学教師につれられて、岩手山初登山、その後、たびたび登る。

中学3年、短歌の創作開始。 3月、盛岡中学卒業。 4月、肥厚性鼻炎手術で、岩手病院に、入院、手術後、発疹チフスの疑いのある、 高熱のため再入院。 5月末退院。


感想でーす!

賢治は、はじめから、才能が、あったんだな。 賢治は、あまり体が強くなかったんだな。 賢治は、小学校のときから石や昆虫採集をするのがすきだった。 賢治は、ほかの人とかわっているな、と思った。 賢治の子供時代のことを調べたら、いろいろなことが分かってちょっとは、くわしくなった。

担 当内潟恒二&森谷惇希でした。