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サイバーガムシュー


#37--あるときはマイルズ、あるときはストーン



   
作家がペンネームを使う理由はいろいろある。その昔、ミステリが大衆向けの低俗な「二流小説」と見なされていた頃は、有識者や詩人は金銭や娯楽のためにペンネームを使ってミステリを書いていた。そして、近年になると、雑誌に2作以上の作品を発表する場合とか、スタイルがまったく異なる作品を執筆する場合とか、契約上同じ著者名でほかの出版社から作品を刊行できない場合などの理由が挙げられる。  
ケン・フォレットは『針の眼』(新潮文庫)でエドガー賞を受賞して、国際的なベストセラー作家になったが、その前には水準以下の作品を発表していた。そのときにペンネームを使った経緯が The Ken Follett Official Website で詳しく述べられている。フォレットには約20年前にエドガー授賞式で会ったことがあるが、この公式サイトで彼の白髪混じりの顔を見て、歳月の流れを痛感した。  
トップ・ページの Ken Follett の文字をクリックすると、フレームを使った目次ページが現われる。library(図書室)のページでは彼の全作品と著者の一言が読める。まず、最新作の The Hammer of Eden は98年暮に刊行され、フォレットによると、彼の最高作だという。最低作は『黄金の6人〜史上最大の金庫破り作戦』(サンケイ出版)で、ルネ・ルイ・モーリスがフランス語で発表した原書を2人の翻訳者が英語にしたが、翻訳があまりにもひどいので、フォレットが12日で「超訳」したのである。『針の眼』を書いたあとだったが、刊行前だったので、金が必要だったという。だが、『針の眼』がベストセラーになり、出版元が『黄金の6人』をフォレット名義で出版しようとしたので、フォレットは出版を差し止めようと裁判所に訴えた。結局は共著者ということになった。  
そのほか、マーティン・マーティンセン名義で児童書を、ザカリー・ストーン名義で『モジリアーニ・スキャンダル』と『ペーパー・マネー』(いずれも新潮文庫)を、サイモン・マイルズ名義でアップルズもの3作を(イギリス版とアメリカ版のみ)、バーナード・L・ロス名義で『カプリコン・1』のノヴェライゼーション(既訳?)を発表した。  
Biography(経歴)のページが興味深い。『針の眼』の成功のおかげで、フォレットと当時の妻メリーは好きなところで住むことができ、フランス南部のグラスで3年間暮した。イギリスに戻ってから、82年に労働党のヴォランティア仕事をしているときに、バーバラ・ブロアーと知り合い、84年に結婚した。そして、バーバラは97年に労働党の英国議会下院議員になった。フォレットは「シャンパン社会主義者」の一人である。  
このサイトの文章はフォレット自身が書いていて、正直に私生活を語っているところに好感が持てる。
 
90年代になると、《バーンズ&ノーブル》や《フォックス・ブックス》などの大型書店チェーンが台頭してきて、コンピューターで注文部数を決めるため、出版部数をも左右するようになった。つまり、それほど売れない作家の新刊の注文部数はごく少なくなり、出版社は作家との契約を打ち切る。それで、商業的に成績の悪い作家は、ペンネームを考えて、「新人作家」として再デビューすることになる。ウィリアム・ベイヤー(『キラーバード、急襲』早川書房)がデイヴィッド・ハント(『魔術師の物語』新潮文庫)というペンネームを使い始めた理由の一つは、それである。  
William Bayer's Web Site によると、1994年にベイヤーがコネティカット州にあった自宅の屋根の上で雪おろしをしているときに、天窓から落ちて、大怪我をした。それで、サン・フランシスコに引っ越したらしい。そこで、サン・フランシスコを舞台にした新しいシリーズを書くために、新しいペンネームを考えたという。短い名前だと、表紙の字が大きくなるというので、デイヴィッド・ハントというペンネームにしたらしい。それに、ハントのHは書店のミステリ・セクションの真ん中あたりに来るそうだ。  
このサイトには、『ダブル・カット』(扶桑社ミステリー)が刊行されたときに(1987年)《クリーヴランド・マガジン》のローリー・オコナーが書いた長いインタヴュー記事も載っている。いろいろと驚くべきことがわかった。Bayer は「ベイヤー」ではなく、「バイヤー」と発音させる。父親のレオ・グロスバーグ・ベイヤーは弁護士で、母親のエレノア・ローゼンフェルド・ベイヤーは戯曲家だった。両親はオリヴァー・ウェルド・ベイヤーという共作ペンネームで4作のミステリを発表している。ウィリアムが小さいときに両親は離婚し、エレノアのほうはハリウッドへ行き、監督フランク・ペリーと再婚し、エレノア・ペリーという有名な脚本家になった(『去年の夏』『泳ぐひと』など)。  
ベイヤーはハーヴァード大学を卒業したあと、ニューヨークで働き、その頃のガールフレンド、ナンシー・ジェンキンズ(のちに《ニューヨーク・タイムズ》のフード・ライター)と共同で Love with a Harvard Accent を発表した。そのときの合作ペンネームはレオニー・セント・ジョンだった。  
ベイヤーの妻はポーラ・ウルファートというは有名な料理本作家らしいが、不勉強なおれは知らなかったな。デイヴィッド・ハント名義で執筆中の次作 Back Shadows は、女性写真家ケイ・ファローものではない。
 
William Bernhardt は、もちろんウィリアム・バーンハート(『多重追走』講談社文庫)の個人サイトである。1年ほど前に訪問したあと、98年刊の弁護士ベン・キンケイドもの(『過ちなき裁き』TBSブリタニカ)7作目 Extreme Justice の紹介と、Bill's Word という近況報告、バーンハートが編纂した98年刊のリーガル・アンソロジー Legal Briefs のまえがき、お好みリンクのページが増えていた。  
お好みリンクの中に、バーンハートの出版元バランタインのサイトがはいっている。バランタインのサイバーPR誌 Murder on the Internet の購読申し込みができるし、バックナンバーもダウンロードできる。98年までは上級編集者スーザン・ランドルが毎月編集を担当していたが、99年からは副出版人ジョー・ブレイドが季刊で発行する。とにかく無料なので、購読すべし。 //


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