Notscape: The CyberGumshoe


サイバーガムシュー


#44--サイコ鳥を知りすぎたヒッチおじさんの災難



   
アルフレッド・ジョゼフ・ヒッチコックは1899年8月13日に生まれたので、1999年はヒッチコック生誕百年ということになるわけだ。1999年の8月に、MysteryNet.com が Alfred Hitchcock のサイトを特別に新設した。  
まず、プロファイルのページでは、彼の80年半の生涯について説明している。彼が敬虔なカトリック教徒だったこと、娘のパトリシアが『サイコ』や『見知らぬ乗客』にチョイ役で出演したことは知らなかったな。ここで誤解のないように説明しておくと、おれはヒッチおじさんの研究家ではないので、知らないことが多い。50年代と60年代のTV番組『ヒッチコック劇場』で初めて彼の存在を知り、初めてリアルタイムで観た映画は63年作の『鳥』である。全作品は観ていないが、いちおう名作と呼ばれている作品は観ているはずだ。  
TV番組『ヒッチコック劇場』のページによると、ヒッチおじさんが映画からTVの分野に身を「おとす」条件は、彼が番組に出演することだった。彼が番組の初めにスポンサーを皮肉るところは、今でも新鮮である。この番組を観て、ヒッチおじさんの劇場映画を観ようと思った人間も増えたはずである。そして、ヘンリイ・スレッサーの名前を知り、ミステリの世界に迷い込んだ人間もいるはずである。そう、おれのことだ。  
そして、本誌の読者にもお馴染みのインタヴュワー、チャールズ・L・P・シレット(アイオワ州立大学で映画学や現代文学を教えている)が『鳥』の脚本家エヴァン・ハンター(またの名をエド・マクベイン)にインタヴューをしている。ヒッチコックがハンターを脚本家に選んだのは、『ヒッチコック劇場』のいくつかのエピソードのほか、自作の『逢う時はいつも他人』の脚本も書いた有名な作家を雇いたかったからだという。  
それに、ヒッチおじさんが自作の映画に登場するのは有名だが、そのリストが役に立つ。初期の映画で俳優が一人足りなくなったので、ヒッチおじさんが小さい役を演じたというのが、始まりだという。それに、間違った理由でサスペンスを感じさせないように、できるだけ映画の初めのほうに登場するようにしているらしい。  
それでも、おれにとってのヒッチおじさんは「サスペンス映画の名手」というよりも、『ヒッチコック劇場』の名ホストである。ヴィデオ・デッキが存在しなかった70年代、ニューヨークで住んでいるとき、『ヒッチコック劇場』の再放送を観るために、午前3時まで起きていたのだが、クレジットにスレッサーやハンターなどの知った名前が出てきたときにはとくに感激したものだ。
 
同じように真夜中すぎに再放送があったのは『ペリー・メイスン』だ。そう、あの若い頃のレイモンド・バーの登場するオリジナル版のほうである。アール・スタンリー・ガードナーのペリイ・メイスンものはベストセラーだったが、このTV番組のおかげで一般市民にも名前が知られ、弁護士の代名詞にもなった(代名詞になるほど有名なもう一人の弁護士は、実在したクラレンス・ダロウ)。  
というわけで、ガードナーのファン・サイト、ErleStanleyGardner.com を訪問してみた。ここは、ジョン・アンソニー・ミラーが管理している。ミラーはカリフォーニア州ヴェンチュラにある《ファンタム・ブックショップ》の店主であり、その町を「世界一有名な弁護士の誕生地」と見なしている。実際、ガードナーは1933年にペリイ・メイスンもの長編第1作『ビロードの爪』(ハヤカワ・ミステリ)を書いたときに、ヴェンチュラの法律事務所にいた。そこのガードナーの事務所がメイスンの法律事務所のモデルになっているらしい。管理者のミラーは95年に初めてガードナーのファン・サイトを開設したが、なんとか新しく覚えやすいドメイン・アドレスを取得して、99年7月17日のガードナー誕生日に新生ウェブサイトを立ちあげたのだ。  
しかし、トップ・ページからアール・スタンリー・ガードナー市庁舎とか、デラ・ストリート、ドレイク・ドライヴという、ありもしない固有名詞を面白半分に使うと、冗談を解しない人や、ちゃんと文章を読まない人は誤解してしまう。それに、世界一有名な弁護士の名前をわざわざP---- M----と書く正当な理由がわからない。ここで誤解のないように説明すると、おれはガードナーの全作品を読んでいるわけではない。むしろ、TV番組の『ペリー・メイスン』のほうをよく観ていた。  
ガードナーに詳しい人にとって興味があるのは、ガードナーが書いた小切手とか、死ぬ直前に書いた署名だろう。とにかく、これからも新しい情報をどんどん掲載するというので、楽しみだ。
   
さて、だいぶ前にS・J・ローザンの甥が開設した彼女のウェブサイトを紹介したことがあるが、そこは閉鎖された。今度はローザンの公式サイト The Official S. J. Rozan Web Site が開設された。管理しているのは、版元のセント・マーティンズであり、99年刊の6作目 Stone Quarry の宣伝サイトである。  
ローザンが《PIマガジン》99年春季号に発表したビル・スミスものの珍しい短篇が再録されているので、ぜひ読みたまえ。作者とのインタヴューによると、ローザンはブロンクスで生まれ、中国人の友人が多かったという。初めはビル・スミスものの長篇を書き始めたが、相棒のリディアが自己主張を始めたので、リディアものの短篇を書いたらしい(例えば、扶桑社ミステリー文庫刊『ウーマン・オブ・ミステリー2』収録の「チャイナタウンで」)。  
シリーズ1作目『チャイナタウン』(創元推理文庫)から99年刊の6作目までの作品紹介と書評、そして、それぞれの作品の第1章が掲載されている。もちろん、新作のサイン・ツアーの予定も記されている。宣伝サイトとしては、標準であり、悪くないが、画像が大きく重すぎて、読み込むのに時間がかかるので、覚悟したまえ。  
ここで誤解のないように説明しておくと、おれはローザンの全作品を読んでいるわけではないが、94年に彼女が長篇デビューする前に、《PIマガジン》掲載の短篇を読んでいた。それに、彼女の勤める建築事務所に訪ねたことがある程度の仲である。 //


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