Notscape: The CyberGumshoe


サイバーガムシュー


#65-- スティーヴハミルトンはお寒いのがお好き?



 マギー・グリフィンはニューヨークのグリニッジ・ヴィレッジにあるミステリ専門書店、《パートナーズ&クライム》の共同経営者の一人であるし、リー・チャイルドやローレンス・ブロックの公式ウェブサイトの管理者でもある。

 マギーの電子メールのシグニチャーにスティーヴ・ハミルトンの公式ウェブサイトのアドレスも書いてあったので、さっそく Steve Hamilton - The Official Site を訪ねてみた。トップページには「あったかいコートを着込んで、アレックス・マクナイトの世界にはいる準備をしろ」と書いてある。それで、マクナイトのキャビンにはいってみた。マクナイトもの(『ウルフ・ムーンの夜』ハヤカワ・ミステリ文庫)の3作目 The Hunt-ing Wind が2001年6月に刊行されたばかりなのだ。ハミルトンは Southpaw Spring というタイトルを考えていたらしいが、編集者に反対されたという。この新刊のシノプシスによると、マクナイトのマイナー・リーグ時代の選手仲間(そう、左腕投手)がはるばる訪ねてきて、30年前に別れた昔の恋人を捜してくれと頼む話だ。

 いちおうハミルトンを知らない方のために、略歴を紹介しておこう。ハミルトンは1961年にミシガン州デトロイトで生まれ育った。ミシガン大学を卒業してから、ニューヨーク州北部にあるIBMでインフォメーション・ディヴェロッパー(つまり、テクニカル・ライター)として働いている。初めて書いた小説『氷の闇を越えて』(ハヤカワ・ミステリ文庫)がセント・マーティンズ私立探偵小説コンテストの第一席に選ばれ、98年に刊行されると、アメリカ探偵作家クラブよりエドガー賞、アメリカ私立探偵作家クラブよりシェイマス賞を受賞した。

 このサイトのインタヴュー記事によると(インタヴュワーはたぶんマギー・グリフィンだろう)、現在4作目の North of Nowhere を執筆中らしい。刊行時にはタイトルが変更になるかもしれない。それに、このサイトからリンクされているアバウト・コムとのインタヴュー記事によると、そのあとハミルトンは単発作品を執筆するという。

 今もなおIBMに勤めながら小説を執筆しているハミルトンに関する近況を知りたい方には、メーリング・リスト The McKnightly News に登録することをおすすめする。

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 ミステリ雑誌でよく見る名前だが、長編を発表しないので、経歴がよくわからない短篇作家が幾人かいる。アーサー・ポージズもその一人だ。ひょんなことから The Arthur Porges Fan Site を見つけた。このファン・サイトの管理者はリチャード・シムズという40歳のロンドン人だ。

 これまで気がつかなかったが、ポージズはSF雑誌にも多く短篇を寄稿していた。彼の処女短篇と言われる The Rats は初め《マンズ・ワールド》1951年2月号に発表されたあと、アンソニー・バウチャーが編集する《マガジン・オヴ・ファンタジー&サイエンス・フィクション》(MFSF)51年12月号に再録されたのだ。各務三郎編の『世界ショート・ショート傑作先』(講談社文庫)に収録された「1ドル98セント」は初めにMFSF54年5月号に掲載されたものだ。

 ポージズはSFかファンタジーかミステリか区別できないような作品を書いていたが、初めてのミステリらしいミステリは《エラリイ・クイーンズ・ミステリ・マガジン》(EQMM)57年2月号に発表したシャーロッキアン・パロディーの Her Last Bow だろう。1915年イリノイ州シカゴ生まれだから、もう80代半ばだが、EQMM2001年2月号にもステイトリー・ホームズものの最新作を寄稿した。そのほか、《ヒッチコック・マガジン》や《マイク・シェイン》、《ザ・セイント》、《ビザー》などにも寄稿したことがある。おれが偉そうなことを書いているのも、このサイトにある短編作品リストを参照しているからだ。これは役に立つ。

 ポージズがパット・ロジャーズとかピーター・アーサーというペンネームのほかに、デレック・ペイジというペンネームを一度使ったこともわかった。

 ときどき最新ニュースを報じてくれるので、短篇小説に興味のある方には、再訪問するようにおすすめする。

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 2002年3月にオレゴン州ポートランドで催されるミステリ大会、《レフト・コースト・クライム12》 のことを調べていたら、ドン・ヘロンがファン主賓として招待されるという。そのときに、ドン・ヘロンが自分のウェブサイト (http://www.donherron.com) を持っていることを初めて知ったのだ。

 ドン・ヘロンと知り合ったのは、80年代前半だ。ドン・ヘロンと私立探偵のデイヴィッド・フェックハイマーがサン・フランシスコで《マルタの鷹協会》を創立したというので、おれはすぐに会員になった。そのうえ、何を血迷ったか、日本支部を創立する許可を得るための手紙まで書いて、承諾されたのだ。そのときに、ヘロンはもうすでに The Dashiell Hammett Tour (1979) という小冊子を自費出版していたし、週末にサン・フランシスコのダウンタウンでハメット・ツアーを催していた。

 ヘロンはロバート・E・ハワード評論書 The Dark Barbarian (1984) や、チャールズ・ウルフォード伝 Willeford (1997)、The Dashiell Hammett Tour, 3rd edition (1991)、サン・フランシスコ文学案内書 The Literary World of SanFrancisco and Its Environs (1990) を著わしている。

 このサイトは、著書の宣伝とハメット・ツアーの案内のためにある。ハメット・ツアーは今年でなんと25周年になるという。5月と6月の毎土曜日の正午に、新しい中央図書館の角で集合する。値段は一人10ドル。今年だけ9月と10月にも特別にツアーを組むらしい。

 そのほか、ウィルフォード初版本の収集方法を書いている。これは書籍収集家のための雑誌、《ファースツ》の98年6月号に寄稿した記事を再録したもので、ウィルフォードが1984年刊の『マイアミ・ブルース』(創元推理文庫)まで出版社に恵まれなかったことが語られる。

 暖かい季節にサン・フランシスコを訪れる方には、このサイトを見てハメット・ツアーを予定に組んでいただきたい。 //


来月号に続く

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