Notscape: The CyberGumshoe


サイバーガムシュー


#69 -- 赤毛探偵はビーバーのお父さんになっていた



 アメリカの About.com(日本版は All About Japan)のミステリ・サイトが廃止になり、ミステリ・ニュースがなかなか入手しにくくなった。それで、ミステリ・ファンジンの〈デッドリー・プレジャーズ〉のニュース・ページ や主要新聞の書評ページなどをしょっちゅう訪問することになる。

 Book magazine は誌名どおり、書籍に関する雑誌であり、これはウェブ版である。無理に翻訳すると、なんと「本の雑誌」になってしまうではないか。活字版は隔月刊で、創刊は1998年10月である。毎号どこかにミステリに関する記事が載っているので、2カ月に一度はのぞいてみていただきたい。

 第13号(2000年11月号)では、ドナルド・E・ウェストレイクが尼僧の運営する学校で保健学の試験を受けた興味深い体験を話している。試験の内容は女性生理に関することで、一つの問題にも答えられないことがわかった。そのとき、まわりにいた女子同級生たちが順番に違う色のペンで正解を書いてくれたのだ。事情がわかっている先生は満点も零点もくれなかったが、及第点の70点をくれたという。

 第18号(2001年9月号)では、ローレンス・ブロックが自分の出生地バッファローと同じ名前の町を75カ所以上訪れたことを語っている。世界百カ国を訪れて〈トラヴェラーズ・センチュリー・クラブ〉に入会できるのはもうすぐだという。でも、日本の成田空港で飛行機待ちをしただけで、1カ国訪問したことになるのかね。

 創刊3周年になってから、記事のさわりの部分だけをウェブに載せて、残りは活字版で読んでくださいという方針を取り始めたのが残念だ。

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 エヴァン・ホーンもの(『脅迫者のブルース』文春文庫)を書いたビル・ムーディという作家が気にかかるのは、彼がもともとジャズ・ドラマーだったためだろう。

 彼のウェブサイト Bill Moody: Bird Lives! によると、彼はカリフォーニアで育ち、ボストンのバークリー音楽院に通っているときに、ジュニア・マンスやジミー・ラッシングのドラマーとして引き抜かれた。ヨーロッパではメイナード・ファーガスンやジョン・ヘンドリックス、アニー・ロスと一緒に巡業した。そして、1994年にジャズ・ピアニストのエヴァン・ホーンを主人公にしたミステリ小説『脅迫者のブルース』を発表して、注目を浴びたのだ。

 ジャズ好きのマイクル・コナリーもホーンものの愛読者で、推薦文も提供しているし、『わが心臓の痛み』(扶桑社)ではテリー・マッケイレブの隣人ロックリッジにホーンもの第2作『テナー吹きの死』(原題は Death of a Tenor Man)を読ませているくらいだ。このテナー吹きとは、ウォーデル・グレイのことじゃなかったっけ。

 ジャズ小説に関するエッセイでは、ジェイムズ・ジョーンズがジャンゴ・ラインハートの人生を基にした小説を書こうとしたが、私生活については矛盾が多くて、執筆を断念したという話を例に取って、ジャズ小説執筆の難しさを訴えている(でも、ナット・ヘントフの『ジャズ・カントリー』については言及していないぞ)。

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 マイク・シェインという赤毛の探偵さんを覚えている人は、本誌の読者の中でも少ないだろう。かつては映画化やTVドラマ化もされ、《マイク・シェイン・ミステリ・マガジン》という雑誌も発行されていたし、ハヤカワ・ポケット・ミステリからも10作以上翻訳されていた。

 というわけで、Flagler Street -- Home of Brett Halliday's Mike Shayne が8月に公開されたときは、懐かしさを感じたものだ。「フラグラー・ストリート」とは、シェインが探偵事務所を構えるマイアミの通りの名前。

 トップページでは、1939年刊のシリーズ長篇第1作『死の配当』(ハヤカワ・ミステリ)からの一節が引用されていて、シェインの身体的特徴が述べられている。背が高く角張った体格、そばかすだらけの頬、燃えるように赤いくしゃくしゃの髪、いかめしい顔つき。ほほえむと、まったくハードボイルド探偵には見えない。

 シェインの生みの親ブレット・ハリデイの本名はデイヴィス・ドレッサーといって、ミステリのほか、ウェスタン、ロマンス、冒険のパルプ・マガジンに小説を寄稿していた。女性ミステリ作家のヘレン・マッコイと結婚していたこともあり、共同で文芸代理店や出版社を経営したこともあり、アメリカ探偵作家クラブの創立会員の一人でもあり、53年にはエドガー評論賞を受賞した。1977年に72歳で死亡。


 長篇チェックリストによると、1958年からほかの作家がゴーストしていた。その中でも、マイクル・コリンズこと、デニス・リンズが1962年刊の Too Friendly, Too Dead を代作していたことは知らなかったな。作品の横にジャケット写真が載っているのが素晴らしい。ほとんどがボブ・マッギニスの描いたイラストレイションなのだから。

 初めに書いたとおり、1940年から42年までフォックス映画がロイド・ノーランをシェイン役にして映画化した。しかし、ハリデイの原作を使ったのは1作だけで、あとはフレデリック・ネベルの小説やレイモンド・チャンドラーの『高い窓』を原作にしている。1946年から47年までPRC映画が5作を製作し、シェイン役はヒュー・ボーモントが演じた。年配の方々には、TV番組『ビーバーちゃん』での父親役だと言えば、わかってもらえるだろう。

 TVでは、1960年に60分番組が32本放映された。シェイン役はリチャード・デニングで、年配の方々には、『めぐり逢い』でデボラ・カーの婚約者に扮した俳優だと言えば、わかってもらえるだろう。日本では、『探偵マイケル』というタイトルで放映された。

 マイク・シェインは40年代から50年代にかけて人気があった探偵だが、今ではほとんどのミステリ読者が知らない。現実というのは残酷なものである。つまり、現在いくら人気がある作家であっても、20年後に忘れ去られる可能性がなくはないということだ。 //


来月号に続く

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