ハードボイルドって本当は何なの?


 関西弁の下手な速河出版の女性編集者がおれの本置き場にやってきたのは、おれが崩れた本の下敷きになっているときだった。

「ジロリンタン、そんなとこで何してるんや? 本の下に隠れたかて、あかんで」

「何しに来たんだい?」

「今度、うちの雑誌の雑誌で〈ハードボイルド特集〉を組むさかいに、ジロリンタンにエッセイを書いてもらいたいんや」

「たとえおれが書いても、おれの持論を理解する人間は少ないぞ。だいたい、日本では“ハードボイルド”という言葉が誤用されてるし、一人一人が勝手に解釈してるから、“ハードボイルド”なんて言葉は意味を持たなくなったんだ。おれ自身も最近“ハードボイルド”という言葉を使わないように努めてるくらいだ。トレンチ・コートを羽織って、バーボンを飲んでいたら、“ハードボイルド”だと思い込んでる連中が多すぎる」

「えっ、そうとちゃうのん?」

「おいおい、そんなんでよくもミステリ専門出版社の編集者をやってられるな」

「ほんなら、ハードボイルドってほんまは何のことか説明してくれへん?」

「そんなむずかしいことは大先輩の先生方に尋ねてくれよ。と言っても、日本で“ハードボイルド”という言葉を曲解、誤解したのは大先輩の先生方なのだ」

「なあなあ、ジロリン、そんなこと言うたら、やばいんちゃうのん?」

「そう、やばいから、こんなことを書きたくもないし、言いたくもないんだよ。パンドラの箱をあけるようなもんだ。英語がわかってるはずのアメリカ人にも、“ハードボイルド”の本当の意味がわかってないのに、英語のわからない日本人に“ハードボイルド”の意味がわかるわけがないってことだよ。インターネットのハードボイルド・メーリングリスト rara-avis でも、“ハードボイルド”をちゃんと定義づけられないんだからな」

「ほんなら、ジロリンの言う“ハードボイルド”っちゅうんは何なんや?」

「まず、日本人が曲解する前の原点に戻ってみよう。“ハードボイルド”ってのは、もともとどういう意味だろう?」

「“固茹で”っちゅうことやろ?」

「そうだな。玉子を固く茹でると、掻き混ぜられない。玉子を“掻き混ぜる”ことを英語で beat といって、“殴る”ことも beat という。だから、こちらが殴ることができない男を“ハードボイルド・ガイ”と呼んだわけだ。つまり、もともとは“強い男”とか“くえない男”という悪い意味だった。それから、意味が広がって、“ハードボイルド”が“非情な”とか“妥協しない”とか“情にほだされない”とか“世間ずれした”とか“強硬な”とか“血も涙もない”とかいう意味になった」

「ねえ、ジロリン、それは研究社の『リーダーズ英和辞典』の hardboiled の項の受け売りとちゃうか」

「ばれたか。意外と英和辞典の意味は正しいんだよね。その下にある文学用語としての“ハードボイルド”の意味を読んでくれ」

「“純客観的表現で道徳的批判を加えない”って書いたあるで」

「うん、その辞典の編者には失礼だが、意外とこれが正しいんだな。つまり、ハードボイルド・ガイとハードボイルド文体とは分けて考えるべきなんだ」

「どうゆうこっちゃ?」

「人間の性質を表わす“ハードボイルド”の意味は辞典に書いてあるとおりだから、小説の世界だけではなく、現実にも存在する」

「“タフで、やさしい”男のこととちゃうのん?」

「レイモンド・チャンドラーの『プレイバック』で、フィリップ・マーロウが言った台詞を誤訳して、読者や評論家がさらに曲解してしまった例だな。原文の“ハード”は“タフ”でも“しっかりした”という意味ではないく、“やさしい”の反対語と解釈しないと、あの台詞の皮肉は面白くない」

「例えば、誰がハードボイルド・ガイやのん?」

「例えば、ダシール・ハメットのコンティネンタル・オプとか、サム・スペイド、ネッド・ボーモント(『ガラスの鍵』)、ラウル・ホイットフィールドのベン・ジャーディン(『ハリウッド・ボウルの殺人』小学館文庫)、新しいところでは、ジョー・ゴアズのダニエル・カーニーなんかがハードボイルド・ガイだろうな。それに、ハードボイルド・ガイはスパイ小説にも、リーガル・サスペンスにも、サイコ・スリラーにも登場する。例えば、トマス・ハリスの『羊たちの沈黙』に登場するハンニバルなんかは、冷酷で、血も涙もないからハードボイルド・ガイだね」

「ほんでも、あいつ悪党やで」

「“ハードボイルド”は善悪に関係ない。それに、犯罪小説に登場するファム・ファタール、悪女は“ハードボイルド・デイム”と呼んでもいいじゃないかな。それに、ハードボイルド文体のお手本と言うべきポール・ケインの『裏切りの街』(河出文庫)に登場する主人公のジェリー・ケルズもどちらかと言えば悪党だ」

「ほんなら、リチャード・スタークの悪党パーカーもハードボイルド・ガイかいな?」

「そうだね。ハードボイルド・ガイについては理解したようだから、今度はハードボイルド小説について説明してもいいかな?」

「なあなあ、ジロリンタン、“ハードボイルド”っちゅうのは形容詞とちゃうのん?」

「うん、そのことを忘れてたな。形容詞だから、“非常にハードボイルド”とか、“少々ハードボイルド”とか形容できるわけだ。最上級は“ハーデストボイルド”と言うらしいが、現在では、めったに使わない。反対語は“ソフトボイルド”だ。玉子で例えると、半熟だな。それに、固茹でと半熟のあいだは“ミディアムボイルド”と呼ばれてるね」

「例えば、ハーデストボイルド探偵って誰やのん? ソフトボイルド探偵は?」

「ミッキー・スピレインのマイク・ハマーは当時“ハーデストボイルド探偵”と呼ばれていたらしい。そして、マイクル・Z・リューインのアルバート・サムスンや、ハワード・エンゲルのベニー・クーパーマンはソフトボイルド探偵だ」

「えっ、あのサムソンが?」

「そう、リューイン自身もサムスンのことを“ソフトボイルド・ガムシュー”と呼んでいる。ビル・プロンジーニも名無しの探偵のことをハードボイルド探偵とは呼ばないと言っている」

「ほんでも、私立探偵小説とちゃうのん?」

「私立探偵小説はすべてハードボイルド小説じゃないんだよ。そのあたりで、アメリカのミステリ書店なんかも誤解しているね。今日の私立探偵小説でハードボイルド小説と呼べるものはほとんどない」

「えっ、そんなアホな! ローレンス・ブロックとか、ジェイムズ・クラムリーはどうなるのん?」

「わかった、わかった。まず私立探偵小説とは何かということから説明しよう」

「アホくさ! 私立探偵が出てくるんが私立探偵小説や」

「そのとおりだ。だが、実際はそんな単純なものではないんだな。PWA、アメリカ私立探偵作家クラブは私立探偵を、“役所に雇われている捜査官ではなく、報酬をもらって事件を調査する人間”と定義づけている。だから、許可証を持った正規の私立探偵のほか、保険調査員(ジョゼフ・ハンセンのデイヴ・ブランドステッター、ウォーレン・マーフィーのトレース)、回収員(ジョー・ゴアズのDKA探偵事務所)、バウンティー・ハンター(ジャネット・イヴァノヴィッチのステファニー・プラム)も含むし、弁護士(エド・マクベインのマシュー・ホープ、ハロルド・Q・マスアのスコット・ジョーダン)や、許可証を持たない連中(ローレンス・ブロックのマット・スカダー、エド・マクベインの元探偵カート・キャノン、ジョン・D・マクドナルドの盗品回収人トラヴィス・マッギー)も含むわけだ」

「ふうん。ほんなら、アンドリュー・ヴァクスのバークも、ウォルター・モズリイのイージー・ローリンズも無許可探偵やしな」

「だが、ハードボイルド小説と私立探偵小説は違う。パルプ・マガジンが全盛だった頃の私立探偵小説はハードボイルド文体で書かれていたが、現在はハードボイルド文体で書いている作家はごく少ない。もう一度その辞典に書いてある“ハードボイルド”の意味を読んでくれないか」

「ええっと、“純客観的表現で道徳的批判を加えない”や」

「そう、例えば、ハメットの名作『マルタの鷹』では、台詞と動作だけで物語が進行する。三人称記述で、主人公を含む登場人物全員の心の動きは、動作や台詞だけで推測するしかない。しかも、登場人物が嘘をついている可能性もある。終盤におけるスペイドの台詞も嘘かもしれない」

「そんなことされたら、みんな何考えてるのか、わかれへんやん」

「そうだ。でも、劇とか映画のほとんどは、動作と台詞で物語が進行しているから、戸惑うことはないと思うよ。それに、現実では、自分以外の人間が本当に何を考えているのかわからないだろ? 自分で自分が何を考えてるのかわからない人もいるくらいだ」

「それはジロリンのこっちゃ。ほんなら、チャンドラーの小説はハードボイルドかいな?」

「うーん、むずかしい質問だね。チャンドラーがハメットに倣って三人称記述で書いた最初の短編「脅迫者は射たない」が文体の上では彼の一番ハードボイルドな作品だろうな。こう言えばいいかな。ハメットや先に挙げたポール・ケインほどハードボイルドじゃないと」

「なんでやのん?」

「独白が多すぎる。それに、文章や比喩が素晴らしいことと、ハードボイルド文体であることとはまったく別の話だ」

「ロス・マクドナルドはどうなんや?」

「彼の文体については、チャンドラーよりもむずかしいな。初期はチャンドラーの影響が強かったから、まあまあハードボイルドだったが、後期にチャンドラーの影響が薄れ、自分のスタイルを確立するにつれて、ソフトボイルドになっていく」

「ほんなら、“ネオ・ハードボイルド”とか“軽ハードボイルド”っちゅう言葉はどういう意味なんや?」

「もちろん、アメリカでは、そんな言葉を使わない。“ネオ・ハードボイルド”というのは、六〇年代後半から台頭した現代の私立探偵小説群を説明するために考え出された誤称だな。まあ、“ハードボイルド”という言葉が正確に理解できていなかった日本人読者や編集者、評論家にとっては、わかりやすい名称だったのかもしれない」

「なんで誤称やのん?」

「ケネディ暗殺事件後に登場した私立探偵は、さっきも説明した本来の意味では“ハードボイルド”ではないからだ。ロバート・B・パーカーのスペンサー、ロジャー・L・サイモンのモウゼズ・ワイン、アンドリュー・バーグマンのジャック・ルヴァインなどを単純に現代私立探偵小説を呼べばよかったんだけど、“ネオ・ハードボイルド“という言葉を使ったほうが売れるだろうと編集者も考えたんだろうね」

「“軽ハードボイルド”のほうは?」

「それも、“ハードボイルド”の本来の意味を曲解したことから来た誤称だね。五〇年代の第二次大戦後の私立探偵小説群をそう名づけたんだろう。マイクル・アヴァロンのエド・ヌーンとか、リチャード・プラザーのシェル・スコット、ヘンリー・ケインのピート・チェンバーズ、フランク・ケインのジョニー・リデルなど、酒と女と喧嘩に強くて、軽口をたたく探偵が登場するが、文体はミディアムボイルドだ。五〇年代に創刊された専門雑誌〈マンハント〉やその亜流誌に書いていた作家が復員兵を私立探偵にした探偵小説を書き始めた。第二次大戦後に普及したペイパーバックのおかげで、そういう探偵小説や犯罪小説がたくさん発表された」 「ほんなら、なんで現在ハードボイルド小説を書く作家が少ないのん?」

「まず、率直に言うと、ハードボイルド文体は時代遅れだ。と言っても、ハメットやチャンドラーの小説は古臭いと言ってるわけじゃない。うーん、説明しにくいな。例えば、ダヴィンチやゴッホやピカソの絵画が今でもなお素晴らしいと言っても、現代の画家は過去の巨匠のようなスタイルで絵画を描かない。バッハやモーツァルトやベートーヴェンの音楽が素晴らしいと言っても、現代の音楽家は過去の巨匠のように作品を書かない」

「そう言われれば、最近の私立探偵はいじいじしてて、ぐだぐだ理屈を言うのんが多いからなあ」

「うん、最近のミステリ小説はプロットで物語が進行するというよりも、登場人物の心理描写で物語で進行することが多い。だから、プロットもたいしたことがないし、結末の意外性も少ない。私立探偵の私生活が小説の大半を占めるようになってから、心理描写も増え、ますますハードボイルドではなくなっていく。それに、“ハードボイルド”という言葉自体が時代遅れなんだよ」

「そう言うたら、“ハードボイルド”っちゅう言葉を最近あまり聞かんようになったなあ。かわりに、“ノワール”っちゅう言葉を使てるわ。ほんなら、“ノワール”と“ハードボイルド”の違いは何やのん?」

「だんだんむずかしくなるな。“ハードボイルド”はさっき言ったように文体を表わし、“ノワール”は雰囲気を表わす。“ノワール”はフランス語で“黒い”という形容詞だが、この場合は“暗い”とか“陰気な”という意味だと考えたほうがわかりやすいかもしれない。つまり、“ハードボイルド”と同じように、形容詞だから、明暗の程度がいろいろあって、主観的である」

「研究社の『リーダーズ英和辞典』によると、“セリ・ノワール、暗黒小説、暗黒街などを舞台にした陰惨なハードボイルド風犯罪小説”って書いたあるわ」

「なるほど、どっかで出版したノワール読本よりも簡潔に説明してあるな」

「なんか、ええ例はないんかいな?」

「コーネル・ウールリッチ、またの名をウィリアム・アイリッシュの作品は、たとえあの〈ブラック・マスク〉に掲載されていても、ハードボイルドではないが、雰囲気はノワールだ」

「ほんなら、“パルプ・ノワール”って何やのん?」

「この言葉はどっかの編集者がクエンティン・タランティーノの映画『パルプ・フィクション』にあやかって名づけた誤称だろうが、その編集者はタランティーノと同様に、“パルプ・フィクション”の意味を誤解していた。それを真に受けた評論家たちが何の疑問も抱かずに、“パルプ・ノワール”という意味不明の言葉を使い始めたわけだ。だから、最近の日本の編集者や評論家の使う“ノワール”とか“ハードボイルド”という言葉には、何の一貫性もないから、無意味なのだよ。それで、ミステリを読まない一般読者とか、読もうとする読者の頭はますますこんがらがるってわけだ。これからも“ハードボイルド”や“ノワール”という言葉は誤解・曲解されたまま使われるだろうな」

「ほんで、ジロリンタンが初めて読んだハードボイルド小説っちゅうのは何やのん?」

「たぶん、ミッキー・スピレインの『大いなる殺人』だろうな。その頃、TVでダレン・マッギャヴィン主演の『マイク・ハマー』を放映していてね、視聴者プレゼントのポケミスが送られてきたんだ。それに、その頃〈マンハント〉という“ハードボイルド探偵雑誌”があってね、それも読んでたな」

「ふうん。それで、なんでジロリンタンは今まで日本で考えられてた“ハードボイルド”の意味に疑問を持つようになったんや?」

「一九八六年頃かな、『ブラック・マスクの世界』(国書刊行会)の取材のために、アメリカの西海岸に旅行したとき、ビル・プロンジーニやジョー・ゴアズ、ウィリアム・F・ノーラン、ウィリアム・ゴールトに“ハードボイルド”という言葉の定義について質問してみた。彼らの答えはおれが今まで考えていた意味とは違ったものだったんだ。それで、アメリカ人の私立探偵作家の概念と日本人の読者や評論家の概念との違いに初めて気づいたわけだ。もちろん、おれはアメリカ人の専門家の概念のほうが正しいと思うよね」

「ふうん。ジロリンタンにはそんな忌わしい過去があったんか。ジロリンタンの持論はあまりにも過激すぎて、エッセイを書いてもろても、うちの雑誌に載せられへんわ」

「だから、書きたくないと言っただろ。これ以上敵を増やしたくないからね。ほかの評論家に頼んでみたら、喜んで書いてくれるぜ」

「ほな、そうするわ」そう言うと、その関西弁の下手な速河出版の女性編集者は帰り仕度を始めて、コートを羽織った。「どや、このトレンチ・コート? 安い給料で買うたんやけど、ハードボイルドやろ?」

「うーん、やっぱりわかってないんだな」
----ハメットを愛読した故・広辻万紀に捧ぐ----//



[ジロリンタンから一言] ---- この「対話」は『ミステリマガジン』2002年2月号、ハードボイルド特集号のために木村仁良名義で書いたものです。「ハードボイルド特集号は売れないよ」と編集長には警告しておいたのですが、編集長は無謀にもハードボイルド特集を組んだのです。編集長自身も「ハードボイルド」の本当の意味を理解していないのではないかという印象を受けました。残念ながら、この「対話」に対する編集者や評論家からの反論はまったくありませんでした。しかし、「ハードボイルド」の意味を友人に説明するかわりに、この「対話」を見せるという読者もいたので、励みになりました。

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