アニタが死んでいる

(ローレンス・ブロック『死への祈り』書評)

 二郎「おい、仁良、ローレンス・ブロックの最新作『死への祈り』(二見書房、田口俊樹訳)を読んだんだってな」

 仁良「ああ、読んだよ」

 二郎「原書の刊行年はいつなんだ? 原題は? マット・スカダーものの何作目なんだ? どんな話なんだ? 面白かったのか? 犯人は誰なんだ? 動機は何なんだ?」

 仁良「おいおい、一度にたくさん質問するなよ。一つずつ答えるから。でも、犯人の名前までは明かせないな。動機も」

 二郎「わかった。じゃあ、原書の刊行年から教えてくれ」

 仁良「二〇〇一年にモロウ社から刊行された。原題は Hope to Die(死を望め)だが、内容との関係は不明だ。それで、ニューヨークの私立探偵スカダーもの十五作目だ」

 二郎「へえ、もう十五作目になるのか。一作目の『過去からの弔鐘』(二見文庫)をニューヨークの小さな書店で見つけて読んだのが一九七六年だから、あれから二十五年もたつわけだ。最初の三作はペイパーバック・オリジナルで、“ロス・マクドナルドに対するニューヨークの返答”という謳い文句が表紙に書かれていいたっけ。そのときは、その謳い文句が大げさに感じたが、今ではぴったりに思えてくるね」

 仁良「古い話は覚えてないな」

 二郎「その頃、ブロックは一人目の女房ロレッタと離婚して、ニュージャージー州からマンハッタンの西五十七丁目に引っ越したばかりだった。一方、スカダーのほうは女房のアニタと別れて、ロング・アイランドからマンハッタンの西五十七丁目にあるホテルに移り住んだ」

 仁良「そのアニタがこの最新作で死ぬんだよ」

 二郎「えっ、あのアニタが? 殺されて、スカダーが疑われ、真犯人を見つけようと独自の調査をする話か?」

 仁良「いやいや、アニタは心臓発作で死ぬんだ。五十八歳の若さでね」

 二郎「アニタは可哀想な女性だったな。スカダーのあいだには息子が二人いたんじゃなかったっけ? 初期のスカダーもので、彼が息子をマディスン・スクウェアのバスケットボール試合に連れていく場面があったような気がするけど」

 仁良「息子の名前はマイケルとアンディだ。長男のマイクルは結婚して、娘が一人いて、西海岸のサンノゼに住んでいる。つまり、スカダーはおじいちゃんになったわけだ。次男のアンディは根なし草の風来坊で、現在はアリゾナ州トゥーソンにある自動車部品の卸売会社で働いているが、厄介なトラブルに巻き込まれる」

 二郎「どんなトラブルだ?」

 仁良「それはこの本を読んだらわかるが、メイン・プロットとは関係ない。とにかく、スカダーは葬儀に出席し、マイケルとアンディに会い、久しぶりに話をする。息子たちは家を出ていったスカダーを非難し、スカダーは事情を説明する。ただ、アニタはグレアム・シールという男と一緒に住んでいて、寂しく死んだわけではないことが救いだな。このあたりの親子間の口論は感動的だ」

 二郎「最近のスカダーものの短編「レッツ・ゲット・ロスト」(『ジャーロ』二〇〇一年冬号)では、時代設定がスカダーの刑事時代になっていて、アニタが二児の母として登場する。それに、スカダーの知り合いが次々に殺される事件で、スカダーがアニタに電話をかけて、ニューヨークから離れろと忠告したことはなかったっけ?」

 仁良「それは九〇年刊の『墓場への切符』(二見文庫)だった」

 二郎「スカダーはブロックの分身で、このシリーズはブロックの私生活を反映している可能性が大きい。とにかく、ブロックの家族に不幸がなかったことを祈るね。アニタや二人の息子がどうなったのかと、スカダーものの愛読者がしつこく尋ねたので、ブロックはアニタを死なせたのかもしれない。スカダーのアル中仲間だったジャンが死んだのも、一愛読者が音信不通だったジャンの近況を尋ねた直後だったからね」  仁良「そう言えば、そんな話もあったな」

 二郎「ところで、この最新作はどんな話なんだ?」

 仁良「そうそう、それを忘れてたよ。スカダーと女房エレインも出席したリンカーン・センターのパーティーから自宅に帰ったバーンとスーザンのホランダー夫妻が二人組の空巣に拳銃で惨殺される。スーザンはレイプされ、金目の物が盗まれる。数日後、ブルックリンで二人の男の死体が発見される。ホランダー夫妻を殺した二人組のイワンコとビアマンの死体だ。ビアマンがイワンコを同じ拳銃で射殺したあとに自殺して、事件は解決したように見える。しかし、スーザンの姪ライアは、ホランダー夫妻の一人娘クリスティンがその二人組に鍵を渡し、警報装置の暗証番号を教えたのではないかと疑い、スカダーのアシスタントであるTJに相談したところから、スカダーが関わってくる」

 二郎「うまくまとめられたな。クリスティンが遺産を相続するから怪しいわけだ。この日本版の登場人物表にはクリスティンの元恋人も載っているな。さては、こいつが……」

 仁良「おいおい、それ以上のことを言うと、これから読む人が先入観を持つじゃないか。いやいや、おまえが考えるほど単純なプロットじゃない。じつのころ、ややこしすぎて、動機には信憑性が薄いほどだ」

 二郎「特出したところはないのか?」

 仁良「スカダーの一人称記述のほかに、犯人の三人称一視点記述が挿入される」

 二郎「犯人当てのパズルの要素にサスペンスの要素を加えたわけだな。それで、この三人称記述は意味のあることなのか?」

 仁良「その質問に答えると、結末がわかりそうだから答えたくないのだが、じつは意味がある」

 二郎「となると、結末は二つ考えられる。一つは……」

 仁良「ちょっと待ってくれ。それ以上言うと、これから読む人に結末がわかってしまうじゃないか」

 二郎「そうだな。たぶん結末は二つのうちの一つだろう。それで、おまえはこの作品をどう思ってるんだ?」

 仁良「おまえさんはブロックの古い友人だから、面と向かって言いにくいが、これは傑作ではない。さっきも言ったように、犯人の動機には納得がいかない」

 二郎「じゃあ、ニューヨークの情景描写はどうなんだ?」

 仁良「いつもどおり、ブロックはニューヨークの情景描写がうまいねえ。スカダーとエレインはリンカーン・センターでクラシック音楽を聴いたり、十番街のジミー・アームストロングの店で食事を取ったりするんだ」

 二郎「だが、その店は二〇〇二年九月に閉店しちまった。四月にジミーが亡くなり、遺産相続人の甥には店を続けるつもりがないからだ」

 仁良「そいつは残念だ。一度は行ってみたかったのに。これからの作品ではそのことが話題にのぼるだろう」

 二郎「それで、ブロックはこのあともスカダーものを書くつもりなのか?」

 仁良「まだこの最新刊も読んでいないのに、次作の話をするなよ。じつのところ、次作は単発ものらしい。だが、『ミステリマガジン』十一月号にスカダーものの新しい短編「おかしな考えを抱くとき」が訳載される。スカダーがまだ巡査でブルックリンの分署に勤務していた頃の話だ」

 二郎「短いから、おれにもすぐ読めそうだな」

 仁良「おまえはいつもおかしな考えを抱いているから、おまえにはぴったりだ」

 二郎「それで、この最新作の総評は?」

 仁良「『死への祈り』はアニタが死んだ作品であり、三人称記述を挿入した特異な作品として覚えられるだろうな」

 二郎「つまり、スカダーもののファンには薦めるが、一作も読んだことがない人には薦めないということか?」

 仁良「おいおい、そんな露骨なことを言ってもいいのかい?」

 二郎「言っちゃいけないから、書いてるんだ」\\

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ミステリー研究家を自称する木村仁良が『週刊現代』2002年12月14日号のために書いたローレンス・ブロック『死への祈り』(二見書房、田口俊樹訳)の書評の第1稿です。活字になった書評は900字ですが、第1稿はそれよりも長いです。読み比べてくだされば幸いです。(2003年2月吉日)

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