「わお、あなた、自称作家のジェイスン・ウッドさんでしょ?」
「そうだが、きみはこういうバーに来るには若すぎるんじゃないのかい?」
「若すぎないわ。あたし、こう見えても、れっきとした成人なのよ。ほらっ、これが運転免許証ね。それで、知ったかぶり(ペダントリー)で有名なウッドさんに訊きたいことがあるの」
「“知ったかぶり”とはひどいな。それで、何を訊きたいんだい?」
「あたし、この本の解説を書くように頼まれちゃったんだけど、何を書いていいのかわかんないのよ」
「じゃあ、どうして解説書きを引き受けたんだい?」
「担当の編集者がイケメンだから」
「おいおい、そんないい加減なことでいいのかよ。その本を見せてごらん。どれどれ、スー・グラフトンの『危険のP』だな。キンジー・ミルホーンものの長篇十六作目に当たる。もちろん、読んだんだろ?」
「絵がないんで、読みにくかったわ」
「おいおい、漫画じゃないんだぞ」
「それで、このスー・グラフトンって有名な作家なの?」
「おいおい、グラフトンを知らないのかよ。そうだな、キンジーものの一作目『アリバイのA』がアメリカで刊行されたのが一九八二年だから、きみがまだ生まれてない頃だ」
「わお、そんなに大昔のことなの?」
「八二年は、サラ・パレツキーがV・I・ウォーショースキーものの一作目『サマータイム・ブルース』を発表した年でもある」
「何なの、そのサラン・ラップツキーのアイヴィー・ウォータースキーものって?」
「若いんだから、ちゃんと覚えてくれよ。それまでは、私立探偵小説と言うと、タフな男の探偵が悪党どもをこらしめて事件を解決するという形式のものが多かったが、八二年にグラフトンとパレツキーがタフな現代的女性探偵を主人公にした小説を発表した。このあと、リンダ・バーンズとか、ナンシー・ベイカー・ジェイコブズなどが女性私立探偵小説を次々に発表する」
「わお、あたしには覚えきれないわ。すると、グラフトンとこのラップツキーが現代女性私立探偵小説の草分けってわけなの?」
「いや、七七年にマーシャ・マラーがシャロン・マコーンもの長篇一作目『人形の夜』(講談社文庫)を発表したので、グラフトンに“現代女性私立探偵小説の母”と呼ばれている」
「えっ、マシュマロのシャーベット・コーンだって?」
「おいおい、ちゃんと覚えろよ。《アルフレッド・ヒッチコックス・ミステリー・マガジン》七四年十一月号にマクシン・オキャラハンがディライラ・ウェストものの短篇を発表した。このディライラが小説における現代的女性探偵の草分けだっということで、オキャラハンは“現代女性私立探偵小説の祖母”と冗談半分に呼ばれてるんだ」
「へええ、さすが“知ったかぶり”って呼ばれるだけあって、よく知ってるわね」
「いや、キムラなんとかいうやつがどこかに書いた解説からの受け売りだ」
「それで、この『危険のP』はこれまでの作品とどう違うのかしら?」
「この十六作目はグラフトンにとっては画期的な作品なんだ。十五作目までは、ヘンリー・ホルト社という中堅出版社から刊行されていたが、『危険のP』からはパトナム社という大出版社が版元だ」
「どうしてグラフトンは版元をパンナム社に変えたのかしら?」
「パトナムだ。『アリバイのA』からの編集者マリアン・ウッドがホルト社からパトナム社に移ったので、グラフトンも一緒に移ったんだ。ちなみに、このマリアンはおれとは血のつながりがないからね」
「そのぐらい、あたしでもわかるわよ。それで、内容がどう変わったの?」
「内容は作品ごとに違うのは当然だが、構造的にはこの作品に限って言うと、キンジーの自己紹介文とエピローグがなくなっている。このあとの『獲物のQ』と『ロマンスのR』には、エピローグはついているがね」
「ほかには?」
「今までアルファベットの文字にクウォーテーション・マーク(引用符)がついていたのに、『危険のP』からはついてない」
「ねえねえ、ウッドさん、『危険のP』だから、失踪したダウ・パーセルのイニシャルがPなの?」
「ああ、そうだよ。『裁きのJ』ではウェンデル・ジャフィを捜したり、『逃亡者のF』ではロイス・ファウラーに雇われたり、もちろんアルファベットと主要登場人物のイニシャルとは関係がある」
「それで、ウッドさんはまぐれで犯人をよく当てるという評判なんだけど、『危険のP』での真犯人は誰かわかったの?」
「いちおう殺人事件が起こるんだが、探り当てるべきダウ・パーセルの居所は第一章で推測できたよ」
「そうね、第一章を読み返してみれば手がかりがちゃんと書いてあったわ」
「うまい作家は第一章に大いなる手がかりを書き込んでおくことがある。例えば、ウィリアム・デアンドリアの……おっとっと、タイトルを教えないほうがいいだろう」
「ねえねえ、これは二〇〇一年に刊行されたのに、キンジーは携帯電話もインターネットも使ってないわよね」
「うん、若いだけあって、いいところに気づいたね。『危険のP』の時代設定は八六年の秋だ。キンジーの誕生日が一九五〇年五月五日だから、キンジーは三十六歳だ。キンジーは三年に一歳しか年を取らないようだな」
「えっ、うっそー」
「懐かしい若者言葉だな。だから、キンジーものが『ゼロのZ』か『ゾンビのZ』で終わるときの時代設定は一九九〇年で、キンジーの年齢はまだ四十歳だ」
「キンジーが探偵事務所を構えてるサンタ・テレサって町なんだけど、カリフォーニアの地図を調べても載ってなかったわ」
「サンタ・テレサは架空の町だ。実在するサンタ・バーバラという町をモデルにしている。サンタ・バーバラはLAとサン・フランシスコの中間地点にあり、ステイト・ストリートが目抜き通りになっている。リュー・アーチャーもので有名なロス・マクドナルドが晩年この町に住んでいて、後期のアーチャーものはサンタ・テレサが舞台だった」
「今度はハンバーグ屋さんみたいな名前の人が出てきたわ。そうそう、キンジーはそのハンバーグ屋さんでビッグ・マックとか、フライド・ポテトを買うんだよね」
「別のマクドナルドだよ。本当は綴りも少し違うんだけどね」
「グラフトンもそこに住んでるの?」
「グラフトンは一九四〇年にケンタッキー州のルイヴィルに生まれ、育った。ルイヴィル大学を卒業したあと、カリフォーニア州のサンタ・バーバラ、ハリウッド、オハイオ州のコロンバスに移り住んだあと、サンタ・バーバラに戻り、今はその郊外のモンテシートに住んでいる。キンジーものではモンテベロと呼ばれているところだ。それに、生まれ故郷のルイヴィルにも家を買った」
「キンジーは長篇にしか登場しないのかしら? 短いほうが読みやすいかもね」
「八六年に「彼女は帰ってこなかった」という短篇を《レッドブック》という女性雑誌に発表し、九二年発表の「ささやかな人助け」まで八篇のキンジーもの短篇をいろいろなアンソロジーに寄稿した。そして、九二年に KINSEY AND ME という私家版の短篇集が刊行された。キンジーもの八篇のほか、グラフトンがずっと昔に発表した自伝的短篇八篇を収録したもんだ」
「そのあとは短篇を書いてるの?」
「いや、ここ十年以上短篇を書かなくなって、長篇だけに専念している。サンタ・バーバラに住む先輩作家マイクル・コリンズのダン・フォーチューンもの短篇集 CRIME, PUNISHMENT AND RESURRECTION に序文を書いたりしてるがね」
「それで、『危険のP』の次作は『キューピーのQ』と『アール・デコのR』だったっけ?」
「よくもそんな突飛なタイトルを考えつくもんだね。『獲物のQ』と『ロマンスのR』だよ。グラフトンは一年半に一作の長篇を執筆するスケジュールを保っていて、〇五年暮には S Is for Silence を発表するらしい」
「待ち遠ピー!」
「やっぱり、そういう古くさいギャグで締めくくったか」
「“下手っピー”って言いたいんでしょ?」
二〇〇五年四月
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