■『ジーザス・クライスト・スーパースター(1973)』■
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聖書 を学びたい人のための映画
■D『映画の中のイエス・キリスト』■
『ジーザス・クライスト・スーパースター』1973年 107分
(原題:Jesus Christ Superstar)

『ジーザス・クライスト・スーパースター(1973)』
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【スタッフ・キャスト】
 監督 - ノーマン・ジュイソン
 撮影 - ダグラス・スローカム
 作曲 - アンドリュー・ロイド・ウェバー
 指揮 - アンドレ・プレヴィン
 字幕翻訳 - 高瀬鎮夫
 出演者:テッド・ニーリー:イエス・キリスト
     カール・アンダーソン:イスカリオテのユダ
     イヴォンヌ・エリマン:マグダラのマリア
     バリー・デネン:ピラト総督
     ボブ・ビンガム:カヤパ(カイアファ)


【解説】
『ジーザス・クライスト・スーパースター』 (Jesus Christ Superstar) は、聖書を題材にイエス・キリストの最後の7日間を描いた、台詞のない音楽と歌曲のみで物語が進行するロック・オペラ。
 アンドリュー・ロイド・ウェバーが作曲、ティム・ライスが作詞を担当。
 福音書の受難に関する記述、ジーザス・クライストおよび他の登場人物の心理の描写、ジーザスの弟子たちに対する教えに不満を持つユダの物語を大まかに基にしている。
 ロック・オペラの歌詞に現代的な意識、感覚、スラングが取り込まれ、政治的描写には現代社会への皮肉が込められている。
 そのため舞台や映画での描かれ方にはアナクロニズムが存在する。

 ひとりの人間として神や民衆の狭間で苦悩する「ジーザス・クライスト」と、その使徒の一人でありながら「裏切り者」の名を浴びて歴史にその名を刻むことになるイスカリオテのユダのふたりに、現代的な視点から「教団主導者には必須なはずの計画性に欠け、早すぎた聖者としての名声の上にあぐらをかいて、新しい方策を見いだすことができないジーザス」と「ジーザスに対する期待があまりにも大きすぎたゆえに、やがてそれは大きな失望となり、ジーザスの存在はローマ支配下にあるユダヤ人社会を危険にさらすものになりかねない、という危惧を抱くようになるユダ」という新しい解釈を加え、その愛憎に満ちた両者の関係に、マグダラのマリアとの愛情に満ちたもうひとつの関係を絡めて、鮮やかに描き出した作品である。

 全編で語りの台詞はなく、音楽と歌曲のみで物語が進行するオペラ型式のロックミュージカルである。
 斬新な演出と芸術性が高く評価され、興行面でも大成功を収めた。
 ロイド・ウェバーを大ミュージカル作家に押し上げた出世作で、彼のブロードウェイにおけるデビュー作となった。
 語りがないので理解しにくい面があり、映画を見るより、ストーリーを読むほうが、聖書をより理解出来るように思う。(By天国とんぼ)


【ストーリー】(ネタバレ注意)
第1幕
 12人の使徒の1人であるユダは、ジーザス・クライストの信者たちが制御がきかずローマ帝国から脅威とされ弾圧されることを危惧している("Heaven on Their Minds")。
 他の使徒たちはジーザスと共にエルサレムへ行くことを望んでおり、ジーザスにそのことを尋ねると未来のことを心配するなと返される("What's the Buzz")。
 マリアはジーザスがくつろげるよう世話をする。
 ユダはジーザスに、教えと矛盾しているとされて不利益を被る可能性から、娼婦であったマリアと関わるべきではないと語る("Strange Thing Mystifying")。
 ジーザスはユダに、自分自身に何の罪もない者でなければ他人を裁くべきではないと語る。
 ジーザスは使徒たちを??責し、誰も自分の教えに忠実な者はいないのかと嘆く。
 マリアはジーザスに聖油を塗りながらなだめる("Everything's Alright")。
 ユダは、油に支払う費用は貧民を助けるのに使うべきだと怒る。
 ジーザスは貧困をなくす方法はなく、今そこにある幸せを喜ぶべきだと応える。

 一方、大祭司のカイアファはファリサイ派と司祭たちを召集する。
 ユダと同様、彼らはジーザスの信者たちがローマ帝国から脅威とされ、その結果として多くのユダヤ人が困難に陥る可能性について恐れている。
 カイアファは大義のためにジーザスを殺害すべきと結論づける("This Jesus Must Die")。
 ジーザスと信者たちがエルサレムへの到着を喜んでいると、カイアファがジーザスに群衆の解散を要求する。
 しかしジーザスは歓喜に沸く群衆に挨拶をする("Hosanna")。
 使徒の1人であるシモンはジーザスに、群衆を率いてローマ帝国に抗い、絶対的権力を持つことを提案する。
 ジーザスはこれを拒否し、信者たちの中に真の力を理解している者は誰もいないと語る("Simon Zealotes/Poor Jerusalem")。
 ユダヤ属州総督ピラトは1人のガリラヤ人が群衆の手による暴力で亡くなり、非難される夢を見る("Pilate's Dream")。
 ジーザスは聖堂が市場として使用されていることを知り、怒って皆を追い出す("The Temple")。
 ハンセン病の人々がジーザスに治癒を願う。
 人数が増えていき、圧倒されたジーザスは彼らを拒絶する。
 マリアはジーザスを寝かしつける("Everything's Alright (Reprise)")。
 ジーザスが眠っている間、マリアはジーザスを愛していることを認識し畏れる("I Don't Know How to Love Him")。
 対するユダは自分の言うことを聞いてくれないジーザスに自分を認めさせようと、ファリサイ派の人々を探し出し、ジーザスを捕まえるのを手助けすると提案する。
 代わりにユダは銀貨30枚を提示される。
 最初は断るが、カイアファにこれで貧民を助けることができると提案されて受け入れる("Damned for All Time/Blood Money")。

第2幕
 最後の晩餐において、使徒たちは酔っ払い、ジーザスのことをあまり気にしていない。
 ジーザスは皆が飲んでいるワインはジーザスの血、パンはジーザスの体かもしれないと語る。
 ジーザスは使徒たちに自分のことを覚えておいてほしいと語るが、理解に乏しく落胆し、ペトロがのちに3度否認し、他の誰かも自分を裏切ると予見する。
 ユダはそれは自分だと認め、ジーザスが物事をより良くしようとしないことを理解できないと語り出て行く("The Last Supper")。

 残された使徒たちは眠りにつき、ジーザスは祈りのためにゲッセマネの庭園に向かう("Gethsemane (I Only Want to Say)")。
 ジーザスは神に、自分の使命は成功したものがあるのか、待ち受ける自身の恐ろしい死をなぜ苦しみ待ち続けなければならないのかを怒りを交えて問う。
 応えはなく、神の意思に逆らうことはできないと悟り、神に委ねる。

 ユダがローマ兵士たちと共に到着し、ユダはジーザスの頬にキスをしてローマ兵士たちにジーザスの存在を知らせた("The Arrest")。
 ジーザスがサンヘドリンの裁判にかけられ、カイアファはジーザスに自身を「神の子」だというのかと質問し、ジーザスは「その通りだ」と応える。
 アンナスはこれが充分な証拠となると語り、カイアファはジーザスをピラトのもとに送る。
 一方ペトロはジーザスを知っていることを3人の人々に否定される("Peter's Denial")。
 マリアはジーザスがこれを予言していたことに気付く。

 ピラトはジーザスにユダヤ王なのか尋ねる。
 ジーザスは再び「その通りだ」と応える。
 ジーザスがガリラヤから来たことから、ピラトは管轄外としてジーザスをヘロデ王のもとに送る("Pilate and Christ")。
 派手なヘロデ王はジーザスに奇跡を起こして自分が神であることを証明させようとする("King Herod's Song")。
 しかしジーザスはこれを無視し、ヘロデ王は怒りジーザスをピラトのもとに戻す。
 マリア、ペトロ、使徒たちはジーザスの信者となった時のことを思い出し、平穏が戻ることを願う("Could We Start Again, Please?")。

 ユダはジーザスの辛辣な扱いを恐れる。
 ユダは永久に裏切者として語り継がれることを危惧し、ファリサイ派の人々に後悔を口にする。
 カイアファとアンナスは正しいことをしたのだとユダに確信させる。
 ユダは受け取っていた硬貨を投げ捨て出て行く。
 ユダは自分を操る神を呪い、自殺をはかる("Judas's Death")。

 ジーザスの裁判にて、ピラトはジーザスを尋問しようとするが、ジーザスのはりつけを要求する殺気立った群衆により中断する[注釈 1]。
 ピラトはジーザスは無罪であり死に値しないが、群衆を満足させるためジーザスをむち打ちにかける("Trial Before Pilate")。
 ピラトはジーザスに自己弁護の機会を与えるが、ジーザスは弱弱しく全ては神の導きであると語る。
 群衆はジーザスの死を要求し続け、ついにピラトはジーザスのはりつけに仕方なく同意する。

 ジーザスのはりつけの前にユダの魂が戻り、なぜジーザスはこの時この機会に来ることを選んだのか、これも神の導きなのかと尋ねる("Superstar")。
 ジーザスは十字架にはりつけにされ、最後の言葉を発し息絶える("The Crucifixion")。
 ジーザスの遺体が十字架から下ろされ埋葬される("John Nineteen: Forty-One")。

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