■『偉大な生涯の物語(1965)』■
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聖書 を学びたい人のための映画
■D『映画の中のイエス・キリスト』■
『偉大な生涯の物語(1965年)』199分
(原題:The Greatest Story Ever Told)

『偉大な生涯の物語〈特別編〉」(1965)』 を見る


【スタッフ・キャスト】
 監督、脚本、製作:ジョージ・スティーヴンス
 原作:フルトン・アワスラーの小説『The Greatest Story Ever Told』( 1949年出版)
 脚本:ジェームズ・リー・バレット
 撮影:ウィリアム・C・メラー
 撮影:ロイヤル・グリグス
 音楽:アルフレッド・ニューマン

 出演者:マックス・フォン・シドー(Jesus)
     ドロシー・マクガイア(Mary)
     ロバート・ロギア(Joseph)
     チャールトン・ヘストン(John_the_Baptist)
     ロバート・ブレーク(Simon_the_Zealot)
     デイヴィッド・ヘディソン(Philip)
     ピーター・マン(Nathanael)
     デイヴィッド・マッカラム(Judas_Iscariot)
     ロディ・マクドウォール(Matthew)
     イナ・バリン(Martha_of_Bethany)
     ジャネット・マーゴリン(Mary_of_Bethany)
     シドニー・ポワチエ(Simon_of_cyrene)
     Joanna Dunham(Mary_Magdalene)
     キャロル・ベイカー(Veronica)
     パット・ブーン(Young_man_at_the_Tomb)
     ヴァン・ヘフリン(Bar_Amand)
     サル・ミネオ(Uriah)
     シェリー・ウィンタース(Woman_of_no_name)
     ジョン・ウェイン(The_Centurion)
     ジョン・クロフォード(Alexander)
     ホセ・フェラー(Herod_Antipas)


【解説】
『偉大な生涯の物語』は、1965年にアメリカ合衆国によって制作された、イエス・キリストの生涯を描いた史劇映画です。
 原作は、フルトン・アワスラーの小説『The Greatest Story Ever Told, 1949年出版』です。
 マックス・フォン・シドーがキリスト役でハリウッドデビューし、当時の映画スター多数(ジョン・ウェイン、チャールトン・ヘストン、パット・ブーン、ホセ・ファーラー、ドロシー・マクガイアー、シェリー・ウィンタース、ロディ・マクドウォール、サル・ミネオ、シドニー・ポワチエなど)が共演しています。

 アメリカでは240分で公開されましたが、日本では199分版か141分版しか観られず、260分のオリジナル版は未だにリリースされていないのは残念です。
 日本で観られるのは短縮版と言えども199分ですから、長いです。
 それでも巨匠ジョージ・スティーヴンスの作品ですので、安心・安定の出来で落ち着いて見ることが出来ます。

 イエス・キリストの生涯のすべてを、映画で描き切るのは巨匠と言えも不可能です
 そこで、主にキリストの布教と奇跡、ユダの裏切りに焦点を合わせることで映画として成立させています。
 映像としてイエスの生涯をまとめて見てみると、正し過ぎるイエスが普通の人には異常な人、狂人にしか見えず、周囲を苛立たせたであろうことは容易に想像がつきます。

 かつては『白い巨塔』の財前五郎は悪人に見えて、ライバルの里見助教授が正義の人に見えましたが、段々財前のどこが悪いのか、彼だけが治せる手術であり、他の医師なら治る希望を持つことなく死んでいた病気で、結果死なせたからと言って、ただ一度の失敗を許せず、日本で有数の医師である財前の医師生命を奪うことで、何百、何千人の命を奪うことになるのにという気持ちから、里見の正義漢ぶりに違和感を覚えるようになったのも、私が、イエス・キリストの寛容の精神を知ったからでもありました。
 
 映画や聖書に出てくるイエスのことを狂人、危険人物としてしか思えなかった人たちは、弟子たち同様に、イエスの真理を知ることが出来なかったという意味では同じであり、だからこそ、イエスが十字架上で、彼らのことを許し、彼らの為に執り成しの祈りをしたのです。
 その後、クリスチャンになった欧米の人々も、イエスを殺したユダヤ人を差別し、苦しめたのも、イエスの教えに従っておらず、私が洗礼を受ける気にならなかったのは、そんなクリスチャンの頑なな正義感やローマ教会の黒歴史が気になったからでしたが、そうした彼らを批判している私自身にそんな資格がないと悟って漸く洗礼を受けることが出来たのでした。

 イエス様は、反対派の存在を容認していて、「彼らのことは放っておきなさい。もし、その行動や計画が人間から出たものなら自滅してしまうでしょう。もし神から出たものならばあなた方は彼らを滅ぼすことはできないし、もしかすればあなたがたは敵対するものになってしまいます」と言いました。
 実はパリサイ人のなかにガマリエルという大先生がいて、使徒パウロの先生でもありましたが、イエスの弟子たちをどうするかについて評議しているときに、彼も同様のことを言って、イエスやイエスの弟子たちに寛容であるようにと説きました。
 もし裁きの場に、神に対する確固たる信頼と従順で謙虚な姿勢の持ち主が多く居れば、自分と信条や意見が異なる者(イエスやその弟子たち)に対して寛容な対応ができたのにと思うと、そこが残念でたまりません。

 彼らは傲慢で、無学で貧しい地方の大工風情の若者の話など聞けるかと頑な心になって、イエスの話に素直に耳を傾けることが出来なかったのだと思います。
 だからこそ、彼らには、人間の社会が常識にとらわれない一人の、或いは少数の天才、異端、異常の人が発明・発見をしたお陰で栄え発展してきたので、常識好きな多数派の人々は彼らを、狂人とか、非常識な人間として扱って、その意見を封殺したり、社会的に葬ってはいけないのだということを知っていたらと思わずにいられません。

 本作で、政治を司るヘロデ王やピラトたちが、イエスが脅威としてしか見えなかった心理状況や、当時の社会状況が丁寧に描かれていた点については好感が持てました。
 なぜイエスをキリストとして受け入れられなかったか、そんな人間の心理がよく描かれていたと思います。
 またイエスによって病が癒されても、のど元過ぎればの例え通り、癒しは信仰を得る為のステップにすぎないのに、信仰にまでたどり着くことなく、日常の生活に埋没して忘れてしまった人々が聖書には多く登場します。

 『奇跡』や『ご利益』ばかりを求める人はいても、神の子として人類の罪を贖おうとするメシヤとしてのイエスの願いを知る人は一人もおらず、孤独なイエス様の姿が描かれています。。
 本作の特徴はイエスの起こした数々の奇跡を、神秘的には描き過ぎず、強い信仰心の結果とも解釈できるように描いているところに製作者の俯瞰した目を感じます。
 前半のクライマックスともいえる”ラザロ蘇生”のシーンにしても、ロングショットと目撃した人々の感動の表情を交互に映すことで感動を呼んでおり、”信仰”という目に見えないものを具現化する最適な答えを見つけた思いがしました。
 いろいろな宗教映画の中でもトップクラスともいえる名シーンでした。(By天国とんぼ)



【ストーリー】(ネタバレ注意
 処女マリア(ドロシー・マクガイア)が神の子イエス(マックス・V・シドー)を生んだのは、ユダヤのベツレヘムの貧しい馬小屋であった。
 3人の東方の博士たちは救世主の降誕を祝ったが大工ヨセフ(ロバート・ロギア)は身に迫る危険を感じ親子ともどもエジプトへ逃れた。
 その頃、残忍な野心家ヘロデ王(ホセ・フェラー)は予言されていた救世主の誕生を知り、2歳以下の幼児をみな殺しにしたが、イエスはまぬがれた。

 彼が30歳になった頃、ヨハネ(チャールトン・ヘストン) はローマの圧政に苦しむ民衆に天国の到来を告げた−−イエスこそ救世主だと。
 しかし、イエスの御名を讃えるヨハネの名声が我慢ならなかったのは時の王ヘロデである。
 彼はヨハネを捕えて土牢にとじこめ、彼の妻ヘロデヤは娘サロメをそそのかし、ヨハネの首を所望するのだった。
 イエスが伝道を開始したのはその頃である。
 そして12人の使徒をえらんだ。
 イエスが実現した奇跡は数えきれない。
 
 中でも最高のものは死者の復活である。
 イエスのエルサレム入城−−それは民衆のすさまじいまでの熱狂のうちに行なわれた。
 だが一方、彼に集る民衆の信望を見て、心安からぬ思いにかられたのは、祭司や長老や学者たちであった。
 彼らにとって、(偉大な神をわが父と呼び、後のものが先になり先のものが後になると教え、安息日を無視し、律法をないがしろにしているようにしか見えない)イエスは自分たちを脅かす危険人物以外の何物でもなく、到底共存することのできない存在であった。
 
 そしてイエスは捕えられた。
 捕えられる前日、弟子たちに囲まれて最後の晩餐をとったイエスは裏切者ユダ(デイヴィッド・マッカラム)に、暗黙のうちに悔悟を求めるのだった。
 処刑の日がきた。
 
 十字架にかけられ、母マリアやイエスに仕えてきた女たちの、悲しみと祈りの声の中で、彼は息絶えた。
 その時、すさまじい雷鳴とともに豪雨となり、暗黒が地の全面を覆った。
 奇跡である。
 十字架からはずされ、墓におさめられたイエスは、死の3日目に再びよみがえり、復活の奇跡をなしとげたのである。

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