■『パッション(2004)』■
ようこそ! おバカさん の世界へ
聖書 を学びたい人のための映画
■D『映画の中のイエス・キリスト』■
『パッション(原題:THE PASSION OF THE CHRIST)』 2004年 127分



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【スタッフ・キャスト】
 監督、脚本、製作:メル・ギブソン
 脚本:ベネディクト・フィッツジェラルド
 製作:ブルース・デイヴィ
 製作:スティーブン・マクヴィーティ
 エグゼクティブプロデューサー:エンゾ・システィ
 撮影:カレブ・デシャネル
 音楽:ジョン・デブニー
 美術:フランチェスコ・フリジェッリ
 衣装デザイン:マウリツィオ・ミレノッティ
 制作国アメリカ、
 イタリアプロデューサー:エンツォ・システィ
 配給:ヘラルド
 製作会社:アイコン・プロダクションズ

 出演者:ジム・カヴィーゼル(Jesus)
     モニカ・ベルッチ(Magdalen)
     マヤ・モルゲンステルン(Mary)
     セルジオ・ルビーニ
     ロザリンダ・チェレンターノ(Satan)
     ホリスト・ナーモヴ・ショポヴ(Pontius Pilate)
     クラウディア・ジェリーニ(Claudia Procles)
     ルカ・リオネッロ(Judas)
     マッティア・スブラジア(Caiphas)
     フランチェスコ・デ・ヴィート
     マッティア・スブラジア
     フリスト・ショポフ
     トニ・ベルトレッリ


【解説】
 イエス・キリストの死までの最後の12時間をリアルに、リアル過ぎに描いた問題作で、誰にも勧められる映画ではありません。
 心臓の弱い方や怖い映画が苦手な方は見ないという選択をお勧めします。

 公開の可否を巡っては、長期に渡って各キリスト教団体と論争が繰り広げられた末の製作であり公開でしたが、公開したことに後悔はなかったであろう驚異の大ヒットで、私もリアルタイムで見た(指と指の隙間から見ていのと、90分以上は恐らく泣いていて、涙でよく見えていなかった)人間の一人でした。

 セリフがすべてラテン語とアラム語で語られており、全米でも英語字幕付きで公開されましたが、私が洋画を見て、場所がフランスなのに、イタリアなのに、話す言葉が英語という、出川哲郎ではないが「why?」と思っていた不満点を解消してくれただけでも、大変価値ある作品と言えます。

 残酷なシーンが続き、目をそむけたくなりますが、全人類の罪を贖えるほどの痛みだったからこそ、あのような演出になったのだと思います。
 そして、最後の天から一粒の雫が落ちてくるシーンは、天の父もあまりの残酷さと我が子イエスの健気さに涙をこぼしたというメル・ギブソンの解釈であり、天の父からのメッセ―ジだったのではないかと思いました。

 「殺せ」、「十字架につけろ」と叫ぶ群集はユダヤ人ですが、それをユダヤ人種差別とか民族ヘイトと思う人は受け取り方を間違っており、あれこそ人間の中にある残酷性であり、人間だれしもが持つ周囲に流される弱さや自信のなさ、愚かさであり、自分自身の反省点として受け取っていない能天気さや鈍感さを恥じるべきだと思います。
 見ない方はこの解説とストーリーを読んで、見たつもりになって下さい。(By天国とんぼ)
 

【ストーリー】 (ネタバレ注意)
 紀元1世紀のエルサレム。
 夜明けの時刻である薄暗いなか、イエス(ジム・カヴィーゼル)はオリーブ山で祈っていると、悪魔が現れ、誘惑を試みるが、イエスは蛇となった悪魔を踏みつける。
 「出来ればこの苦しみを取り除いて下さい。
でもあなたの御心のままにしてください」と無事祈りを終える。
 そこに十二弟子の一人であるユダ(ルカ・リオネッロ)が裏切り、イエスを危険分子と見て殺そうと図る大司祭カイアファ(マッティア・スブラージア)が差し向けた兵と共にやってくる。
 ユダがイエスにキスをするのを合図に、兵たちは捕まえようとする。
 弟子たちが逃げる中。
ペテロはイエスを守ろうと剣で戦い、兵の耳を傷つけてしまう。
 イエスはペテロに「剣に立つ者は剣で死ぬ」と止め、兵の耳を元通りにする。
 イエスはおとなしく兵たちに捕まり、市の城壁の内へと連行される。
 (イエスの回想)
 夜の不法な裁判を咎める者もいたが、カイアファは無視し、イエスに救世主なのかと問い、肯定したイエスに対し、冒涜者だと宣告する。
 イエスを救おうとマグダラのマリア(モニカ・ベルッチ)はローマ兵にすがるが、望みは聞き入れられない。
 裁きの場に侵入していたペテロは、イエスの弟子ではないかと疑いをかけられ、自分は違うと3度否定する。
 最後の晩餐のとき、彼に対してあなたは鶏の鳴くときまでに私のことを3回否定するだろうといったイエスの言葉が実現した。
 マリアとマグダラのマリアとヨハと出会ったペテロは罪を告白し、逃げるように去る。
 己の罪を自覚したユダは首をつって死ぬ。
 イエスの身柄はローマ帝国の総督ピラト(ホリスト・ナーモヴ・ショポヴ)は、イエスに裁くべき理由が見当たらないと身柄をヘロデに引き渡す。
 ヘロデも罪に問う理由がないと再び、ピラトに託される。
 兵士たちはイエスを侮辱し、荊の冠を被せる。
 ピラトは、それでも収まらない群衆をみて、越しの祭りの日に一人釈放する決まりを理由に、民衆にイエスと盗賊バラバのどちらを釈放するかを問う。
 ピラトの望みもむなしく、大祭司たちに扇動された群衆はバラバを選ぶ。
 その後、ユダヤ人たちはイエスの死刑を求刑し続ける。
 ピラトは部下に厳しく罰を与えよ、死なしてはならぬと命令し、イエスは鞭打ちの刑に処される。
 血を見て狂う兵士たち。
 (マグダラのマリアの回想)
 変わり果てたイエスの姿を見かねたピラトは、水で手を洗い、この問題から身を引くことを示し、「これはお前たちユダヤ人の問題で、自分に責任はない」と告げたうえで、群衆の望みどおりにすることを兵に申し渡す。
 十字架を背負わされ、エルサレムの街をゴルゴダの丘へと歩むイエス。
 惨刑に薄れゆく意識の中、母マリア(マヤ・モルゲンステルン)と過ごした楽しき日々や、十二使徒との巡礼の道を懐かしむ。
 そしてゴルゴダの丘に着くと、イエスは十字架にくくりつけられ、さらに手と足を釘で打たれ、固定される。
 十字架が建てられ、イエスの周りには2人の罪人が同じように十字架にくくりつけられていた。
 磔にされてもなお、彼を裁こうとする人々の為に、「彼らをお許し下さい。自分が何をしているかわからないのです」ととりなしの祈りをするイエス。<
 十字架にかけられたもう一人の囚人は、「自分たちが刑を受けるのは当然だが、この方は違う。御国に入られるときはどうか私を思い出してください」と願う彼に、「今日あなたは私と共に神の楽園にいる」とイエスは告げる。
 そして、マリアとヨハネに、「その人があなたの母です」、「あなたの子です」と語りかけ、「あなたにすべてを委ねます」と言って最期を迎える。
 天から一滴の涙のような雫がこぼれ落ちると、辺りはにわかに暗くなり、大地が揺れ、神殿が崩壊し、動揺する祭司たち。

 イエスを十字架から降ろし、白い布で包むマリアたち。
 それから間もなく墓からイエスは光り輝く姿で復活する。

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