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『愛欲の十字架(原題:David and Bathsheba)』(1951年製作)
(原題:David and Bathsheba) 【スタッフ・キャスト解説】 製作:ダリル・F・ザナック 監督:ヘンリー・キング 脚本:フィリップ・ダン 撮影:レオン・シャムロイ 音楽はアルフレド・ニューマン 出演者:グレゴリー・ペック(ダビデ) スーザン・ヘイワード(バテ・シェバ) レイモンド・マッセイ(預言者ナタン) キーロン・ムーア(ウリア) 【解説】 聖書『サムエル記下』に基づく古代史劇映画で、製作は「イヴの総て」のダリル・F・ザナック、監督に「拳銃王」のヘンリー・キングが当たったテクニカラー1951年作品。 「永遠のアンバー」と同じくフィリップ・ダンが脚本を執筆し、撮影はレオン・シャムロイ、音楽はアルフレド・ニューマンというスタッフ。 主演は「勇者のみ」のグレゴリー・ペックと「愛と血の大地」のスーザン・ヘイワードで、レイモンド・マッセイ(「ダラス」)、キーロン・ムーア(「タルファ駐屯兵」)、ジェイムス・ロバートソン・ジャスティス、それにサイレント時代のスター、フランシス・X・ブッシュマンなどが助演しています。 “3000 years ago…”から始まる、旧約聖書にある大昔の話。 例によってタイトルと原題が違いすぎます。 確かに不倫話なので言わんとすることは理解できますが、聖書の中でも有名な話ですし、ダビデがウリアの妻バテ・シェバと不倫し、その彼女が生んだ子がイスラエル最大の繁栄をもたらした偉大な賢者ソロモン王になったという歴史に残る世紀の不倫カップルの物語なので、現題”David and Bathsheba“のままの方が分かりやすいのにと思いました。 品行方正な役が多いグレゴリー・ペックが、こうした不倫するような役柄は珍しく、『大岡越前』の加藤剛さんが『砂の器』や『影の車』で犯罪者役をやったように、真面目な人でも罪を犯すことがあると知らせるためのキャスティングかも知れません。 ミケランジェロのダビデ像にしても痩せた美少年といったイメージでしたし、ムキムキのたくましいスーパーマンのような人にはしたくなかったのでしょうね。 作中では英語読みのデヴィッドですが、ここではダビデで通します。(ウリアの妻は英語読みでバスシバですが、聖書に従いバテ・シェバで通します)。 ダビデは本人の言う通り、王ではありますが、その前にただの男、いやただのオスでした。 神から選ばれた王でも、テラスから女性の入浴姿をじっと見つめるシーンはいやらしく、ただの窃視(覗き行為)で、犯罪です。 本能の赴くまま暴走した結果、神の逆鱗に触れてしまい危機に陥ります。 その後の展開も見てはいけないものを見せられている感じで、ノミの心臓の持ち主としては、ドッキンドッキンし始め、心臓が破裂してしまわないかと心配になります。 更にいけないのは、不倫相手の旦那を、王である立場を利用して、戦場に送り込んで死なせてしまう大罪を犯したことです。 卑劣にもほどがあると言いたいところですが、聖書の話がそうなのですから仕方ありません。 このような人間が神に選ばれるのは、もしスーパーマンのような肉体で品行方正、頭脳明晰な人間が王になれば、それは彼なら当然と周囲も思うでしょうし、本人もその気になって傲慢になる恐れがありますが、ダビデのような全く普通の人間が、巨人のゴリアテを倒したり、王になることが出来たのも、神のご加護(力)があったればこそと、栄光を神に帰すことのできる人間だったから選ばれたのだと思います。 人間は過ちを犯しても、罪を告白して、神様に心から許しを請い、その心を神様が認めて下されれば、許され、またやり直すことが出来るという神様からのメッセージですね。 犠牲になったウリアさんからしたら恨めしい話ですが、神は(人間から見れば)理不尽で気まぐれな存在なので受け入れるしかありません。 理不尽に見える試練や苦難も「神の恵み」と感謝できれば最高なのですが、まずはそのような信仰が与えられますようにと祈ることから始めたいと思います。 聖書のお話を分かりやすく描いた作品だと割り切って気軽にご覧下さい。 真面目な人はとても楽しめないかもしれませんが。(By天国とんぼ) 【ストーリー】(ネタバレ注意) 約3000年前のイスラエル。 エルサレムの宮殿に住むダビデ王(グレゴリー・ペック)は、ペリシテの町にあった聖なる神の櫃をイスラエルに移すことを企て、預言者ナタン(レイモンド・マッセイ)もこの企てを絶賛する。 ダビデ王は第一皇后ミカルとの仲がうまくゆかず、不快の日々を送っていたが、たまたまウリア(キーロン・ムーア)の妻バテ・シェバ(スーザン・ヘイワード)の浴みする美しい姿態を見て心を奪われ、宮殿に招く。 彼女も不幸な生活を送っていると知って、2人の仲は同情から恋に進み、不義の関係を結んでしまう。 数日後、神の櫃が城門に到着したが、神の怒りが現われ、ナタンは遷都の時期が悪いとて礼拝堂の建立をすすめる。 ダビデ王はすぐに礼拝堂を建て神を祭ったが、イエルサレムは日照り続きで大飢饉にみまわれる。 王はこれは自分とバテ・シェバの不義の関係が神の怒りに触れたものと思い、ナタンがこれを知っているのではないかと恐れた。 その頃バテ・シェバは王に身重になっていることを打ち明ける。 王はウリアを戦いの第一線に差し向けて、戦死させて、バテ・シェバを正式の妻として迎えたが、彼女は死産してしまう。 飢饉はいよいよつのり、民衆は王宮に迫って王に罪の償いを求めた。 ダビデ王は自分の犯したすべての罰を神に告白し、詩編第23篇を反復して祈り続ける。 神はついに罪を許し、勢いよく雨が降り始めた。 晴れて結ばれたダビデ王とバテ・シェバは、永遠の神の恵みと加護を祈るのだった。 | |||||
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