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『『エクソダス 神と王(2014年)』 150分 (原題:Exodus: Gods and Kings) (原題:Exodus: Gods and Kings)を見る 【スタッフ・キャスト】 監督:リドリー・スコット 脚本:アダム・クーパー、ビル・コラージュ、 ジェフリー・ケイン、スティーヴン・ザイリアン 製作:ピーター・チャーニン、リドリー・スコット、 ジェンノ・トッピング、マイケル・シェイファー、 マーク・ハッファム(英語版) 音楽:アルベルト・イグレシアス 撮影:ダリウス・ウォルスキー 編集:ビル・リッチ 配給:20世紀フォックス 出演者:クリスチャン・ベール(モーゼ) ジョエル・エドガートン(ラムセス) ジョン・タトゥーロ(セティ) アーロン・ポール(ヨシュア) ベン・メンデルソン(ヘゲップ総督) シガニー・ウィーヴァー(トゥーヤ) マリア・バルベルデ(ツィポラ) ベン・キングズレー(ヌン) インディラ・ヴァルマ(高位の神官) ダール・サリム(キアン司令官) ゴルシフテ・ファラハニ(ネフェルタリ) 【解説】 『エクソダス:神と王』は、2014年のアメリカ合衆国の叙事詩的映画。 監督はリドリー・スコット、脚色はスティーヴン・ザイリアンが担当し、クリスチャン・ベールが主役を務める。 本作は、旧約聖書の出エジプト記をもとにして、モーゼに率いられたヘブライ人がエジプトを脱出する過程を描写した作品である。 キャスティングや内容的には、パラマウント映画、セシル・B・デミル製作監督、チャールトン・ヘストン主演の『十戒』のリメイク的な要素が強い。(Wikipedeiaより) 「出エジプト記」は、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教という世界の約半数の人々が信仰し、彼らの文化的生活の基盤となる道徳心や倫理観の規範となっている旧約聖書の中でも最も重要な部分であるモーゼの十戒の成立過程を描いた作品です。 十戒とは次の10個の戒めを指しています。 1.私以外を神とするな 2.偶像を作るな 3.神の名をみだりに唱えるな 4.安息日を守れ 5.父と母を敬え 6.殺すな 7.姦淫するな 8.盗むな 9.偽証するな 10.隣人のものを欲しがるな 以上の10個です 現代の世界の法律や人々の倫理観にも影響を与え続けているのがモーゼの十戒であり、そんな誰もが知る物語をリドリー・スコット監督が、現代的かつ科学的な解釈な解釈のもとに映像化した歴史スペクタクル巨編が本作です。 聖書から出来るだけ神秘性を排除し、科学的に解釈出来るように描いている点が特徴的で、単なる宗教映画にしたくなかった監督の意思が感じられます。 モーゼに見える子供のような神は、他の人間には見えないので、モーゼの妄想が創り出した産物であるかのように描かれており、「神は人間が作り出したものである」という彼の宗教観を窺い知ることが出来ますが、かといって数千年という人類の歴史において倫理的な規範として存在し続けてきた十戒を否定するわけでもない彼の中途半端な姿勢は、聖書という折角の題材を生かし切ることも出来なかったばかりか、映画としても、何を描きたかったのかがいまいち伝わって来なかったのは残念です。 本作にはとても陰惨な場面があるので、気の弱い方は注意が必要です。 ヘブライ人(ユダヤ人)への虐待や処刑、十の災いをはじめ、目を背けたくなるシーンが延々と続きますので、気持ち悪くなる人がいたとしてもおかしくありません。 それらを経てヘブライ人たちが、約束の地であるカナンへの帰還を果たして映画が終わるなら、理解できますが、ラストシーンは、まだカナンへ向けての移動している最中なのが残念といえば残念ですし、十戒を手に入れるシーンももう少し丁寧に描けていたらと思ってしまいます。 聖書の知識がない人がこの映画を観ても、なかなか理解できないのではないかと思いました。 モーゼと言えば、なんといっても有名な海が割れるシーンが有名ですが、期待するとガッカリするので期待してはいけません。 なお「ピラミッドやスフィンクスの建設はユダヤ教の祖とされるアブラハムが現れる時代よりも500年以上も前なので、それらをユダヤ人奴隷が建設したことになっているのは歴史的には正しくないようです。 文句ばかり言いましたが、それは私がクリスチャンだからであり、キリスト教系映画としては残念な点は多々ありますが、娯楽映画としてみれば、画面は美しく、戦闘場面は迫力がありますので十分楽しめる作品ではあると思います。 時間があるときに見たらよいと思います。(By天国とんぼ) 【ストーリー】(ネタバレ注意) セティ王(ジョン・タートゥーロ)が統治していた紀元前1300年頃のエジプト王国ではユダヤ人を奴隷として王国の支配を強いものにしていた。 エジプト王国の王子であるラムセス(ジョエル・エドガートン)、王族の一員で将軍でもあるモーセ(クリスチャン・ベイル)。 ヒッタイト帝国軍が攻撃してくると知った2人は戦いの準備を進めていた。 その折、王宮専属の占い師から「一方がもう一人を助けやがて指導者となる」という予言を告げられる。 そして予言通りにモーセは戦いの最中、ラムセスを助けることになる。 ユダヤ人奴隷を大量に抱えているピトンという街を訪れたモーセは、そこで劣悪な環境で酷使されるユダヤ人を目にする。 あるユダヤ人の集落を訪れたモーセは古老のヌン(ベン・キングズレー)と出会い、そこで実はモーセはユダヤ人で、生まれてすぐにナイル川に流されたことを聞かされる。 モーセがメンフィスに戻ると、セティ王は崩御しラムセスが王位を継承していた。 総督は、モーセがユダヤ人であることをラムセスに密告した。 結果、モーセはエジプト王国から追放されることになり、いくつもの砂漠を越えてモーセはミディアンの地にたどり着いた。 モーセはそこで羊飼いとなって新たな生活を始めることになった。 ツィポラ(マリア・バルベルデ)と結ばれ子にも恵まれたモーセだったが、ある日、山に出かけ嵐に遭い足を骨折してしまう。 気を失って泥に埋もれそうになった時、子供の声がどこからか聞こえてきた。 その子供は神が遣わされた姿であり、そこでお告げを受けることになる。 「仲間であるユダヤ人達をエジプトから脱出させよ」 モーセは村に戻りケガの治療をし、妻に神に会ったこととお告げについて話す。 モーセは妻子を残してエジプトに戻った。 ラムセスはモーセが生きていたことに驚く。 モーセは神からのお告げに従い、ユダヤ人奴隷たちの解放を訴えるがラムセスはそれを拒絶。 ラムセスはモーセを抹殺しようと考えはじめる。 ラムセスはユダヤ人狩りを行い公開処刑を次々とし始める。 モーセは、ラムセス軍に対抗する兵力を持つためユダヤ人を集め訓練をさせる。 そんな時、また神の使いが現れる、 そしてこれから何か悪いことが起こり始めることを告げる。 「エジプト王国に十の災いが齎される」と。 第一は、血の災い。エジプトの水が全て血に染まり川や海の生き物の死骸が浮かぶ。 第二は、かえるの災い。無数のカエルが出てきて大地を覆う。 第三は、ぶよの災い。無数のブヨがエジプト中を飛びまわる。 第四は、あぶの災い。無数のアブに大地を覆い尽くされる。 十の災いがもたらされ、モーセは宮殿に忍び込みラムセスにユダヤ人の解放を訴える。 しかしまた拒否されてしまう。 なぜなら奴隷を解放したらエジプト経済は成り立たなくなるからだ。 第五は、疫病の災い。家畜は疫病となり死ぬ前に血を吐き撒き散らす。 第六は、はれ物の災い。住民に吹き出物、おでき、発疹などの皮膚病が発生しラムセス一家も悩まされる。 第七は、雹(ひょう)の災い。大きく強烈な雹がエジプトを襲い建物が壊滅。 第八は、いなごの災い。イナゴが大量発生し、穀物を食い尽くす。 モーセは次に起こる災いを告げられ、ユダヤ人たちに指示する。子羊を殺し血を玄関戸に塗るようにと。 そしてその夜エジプトが暗闇に覆われた。 第九は、暗闇の災い。 第十は、最後の災い。子羊の血を塗っていないエジプト人の家の初子が無差別に殺害されていく。ラムセスの長男もその一人だった。 (過ぎ越しの祭りの起源となった出来事。なお神の救いの単位は、個人単位ではなく、家族単位である。ノアやロトも家族で救われた。この出来事は、イエス・キリストが現れる予表となる出来事でもあった)。 最後の災いである「エジプトの初子がすべて死ぬ」という災いが起きたことで、ラムセスは40万人のユダヤ人をエジプトから脱出させることを認めた。 エジプトから脱出したモーセだったが、危機はまだ終わらない。 ユダヤ人を約束の地へ連れて行くためモーセは砂漠を抜け紅海を目指した。 ラムセスの軍勢が追い迫り、行く手は海というどうにもならない状況に追い込まれてしまったのだ。 しかしモーセは覚悟して海へと進む。 モーセが剣を海に突き刺すと、海が割れはじめ、そこに1本の道が現れる。 そしてユダヤ人たちは渡り始める。 エジプトでは長男の死を嘆き悲しむラムセスがモーセたちを追うことにした。 ラムセスの兵士達が紅海に着いたころには、ユダヤ人の大部分が紅海を渡り終えていた。 すると割れていた海水は再びもとどおりに戻り始める。 モーセはヨシュア、アロンたちと留まり、エジプト王国軍を迎え撃つことに。 しかし水位はどんどん高くなるため、モーセは仲間たちを陸へと戻らせた。 それでもラムセスはまだ追って来ようとするが、エジプト軍の1000の戦車と4000の兵士を巨大な波が飲み込んでいく。 モーセとラムセスも波にさらわれるがなんとかモーゼは生き残った。 モーセはユダヤ人を引き連れ、ついに妻子の待つミディアンの地へと帰国する。 モーセは強い信仰の偉大さを妻と語り合い、固く抱きしめあった。 シナイ山に到着したモーセは黄金の子牛の像をユダヤ人が造っているのを見て、神の使いが不快に思うのを感じ、モーセは石板に十戒を刻む。 それから何年も経て老人となったモーセは、聖櫃(十戒が刻まれた石板を収めた箱)を持って馬に揺られている。 すると砂漠を進むユダヤ人の群集の中に神の使いがいるのを目にするが見えなくなる。 ユダヤ人は約束の地へと前進していく。 | |||||
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