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聖書 を学びたい人のための映画
■G『キリスト教誕生後の世界』の映画■
『天国からの奇跡(2016年)』109分
(原題:Miracles from Heaven)


『天国からの奇跡(2016年)』を見る
(原題:Miracles from Heaven) 109分



 

【スタッフ・キャスト】
 監督:パトリシア・リゲン
 製作:ジョー・ロス、T・D・ジェイクス。<デボン・フランクリン
 製作総指揮・マシュー・ハーシュ、デリク・ウィリアムズ、ザック・ロス
 原作:クリスティ・ビーム
 脚本:ランディ・ブラウン
 撮影:チェコ・バレス
 美術:デビッド・サンドファー
 衣装:メアリー・ジェーン・フォート
 編集:エマ・E・ヒコックス
 音楽:カルロ・シリオット
 製作会社:アファーム フィルムズ、ロス・フィルムズ、
      フランクリン・エンターテインメント
 配給:コロンビア ピクチャーズ
    ソニー・ピクチャーズ エンタテインメント

 出演:ジェニファー・ガーナー(クリスティ・ビーム)
    カイリー・ロジャーズ(アナ・ビーム)
    マーティン・ヘンダーソン(ケヴィン・ビーム)
    ジョン・キャロル・リンチ(スコット牧師)
    エウヘニオ・デルベス(ヌルコ医師、アンナの主治医)
    クイーン・ラティファ(アンジェラ、病院で働くウェイトレス)
    ブライトン・シャービノ(アビー・ビーム、クリスティの娘)
    ザック・セイル(ブリス医師)



【解説】
 私はイエス・キリストを知り。好感を持ったにも関わらず、洗礼を受けるまで30年以上かかった疑い深い人間です。
 というのも理数系の人間で、「そんなことある?」とすべて疑いかかってみる人間で、「そんなの信じるって恥ずかしい」、「馬鹿じゃないの?」と思ってきた人間で今更生き方を変えるなんてできないと思って生きてきました。
 私の周りには所謂神秘体験と思われるような不思議な体験がこれでもかというほど、沢山起きていましたが、合理的でないことに関しては、全て偶然の一言で片づけていました。

 家庭礼拝に参加するようになっても、神という存在を信じたいけれども、キリスト教というものに、どこか胡散臭さみたいなものを感じ、洗礼を受ける踏ん切りがつきませんでした。
 その胡散臭さがどこからくるものか、当時は分かっていませんでしたが、今ならわかります。
 それはカトリックの黒歴史からくるものでした。

 やがて私はある信仰的な理由で会社を辞めました。
 行き先が決まらないときでも焦ることなく、のほほんと暮らしていました。
 それでも、神様は不思議な方法で、私たち家族を養ってくださっていました。

 その日、私は二階のオーディオルームで昼寝をしていると、人の気配で目が覚めました。
 立ち上がり、部屋の中を見渡しても誰もいません。
 不意に後ろに人の気配を感じて振り向くと光り輝く人物がいました。
 
 顔は見えませんでしたが、イエス様だとわかりました。
 私は中学生の時から、意識的に真面目に生きてきましたし、そんな悪いことをした覚えは全くなかったにもかかわらず、なぜか気が付けば私は号泣しながら、ただひたすら「ゴメンナサイ」を言い続けていました。
 それ以外の言葉が見つからず、ただただ申し訳ない気持ちでいっぱいでした。
 
 そして、その瞬間はやって来て、私は光の洪水の中に巻き込まれ、焼き尽くされました。
 「熱い!」「死ぬ!」と思いながらも何故か許されたと思ったところで死にました。
 気が付けば、オーディオルームで寝ていで、枕にしていた座布団は涙でびしょびしょになっていました。
 
 それは、夢で見たものかも知れませんが、それは体で実際に体験した出来事のようでした。
 私は過去にも夢で見たことが実現したことが何度もあり、それらは普段見る夢とは明らかに違うもので、「これは何なんだ」と起きたときに思うような印象深い夢だからこそ、記憶していたのです。
 聖書の中に出てきたアブラハムやノア、マリアやパウロ、マリアやヨセフ、エリザベツ、シメオンたちも夢を見たのだけれども、ただの夢ではないと確信させる出来事であったに違いないことを私も体験したからこそ理解できる思いがしています。
 1994年4月14日の出来事でした。

 それ以来、「騙されたっていいじゃないか、騙す人間よりはいよほどいい」、「疑い深い人間って、恥ずかしい、そんなに偉い人間と思われたいの?」と思うようになりました。
 それから2年後にホームページを立ち上げました。
 その時の事や経緯を教会に提出した洗礼白文に書いておりますので間違いない事実です。(読みたい方は、最初のHPの「会田夏彦とその仲間たちのHP」で載せていますので、ご覧ください)

 ですから、本作のアナに起きた出来事、これらを奇跡と受け止める家族の気持ちはよくわかります。
 大事なのは、感謝する気持ちではないでしょうか。
 神や神の国など存在しないと思っている方がいるかもしれませんが、もしいなければ、死んだら終わりで後悔することもありませんが、もし本当に存在していたなら、信じていなかったことを後悔することになりますが、どちらが良いのですかと問いたいと思います。

 神様の力がたとえ働いていなかったとしても、感謝されて神様が怒るとも思えません。
 的外れであってもいいし、間違えたとしても損したと思わず、感謝し続ける人間の方が器が大きく、人として豊かな気がします。
 騙されない様に人を信じない人間は「凄いですね」と感心されても人として愛されないでしょうし、騙されても騙されても人を信じたい人間の方が「しょうがないな」と思いながらも心配されたり、愛されるのではないでしょうか。

 騙されるのは恥ずかしいことではありません。
 恥ずかしいのは騙す人です。
 これは、詐欺に騙された父を罵倒した次兄に言った言葉で、私の真実の心です。

 アナは治りましたがヘイリーは死にました。
 それを分けたものは何でしょう。
 それが何か人間にはわかりません。

 時には試練や苦難が訪れることもあり、神を恨みたいようなこともあるかもしれませんが、そこで何を思い、何をするかで人生は変わってくるような気がします。
 信じるから救ってくれと言うのはまるで取引行為ですし、とても傲慢な姿勢です。
 映画の中で、人の信仰を裁く人間が出てきますが、自分の信仰によほど自信があるのでしょう。

 私などは、「自称クリスチャンです」とか、「なんちゃってクリスチャンです」と言っていたのを、洗礼を受けて、やっと漸く何とか「一応クリスチャンです」と言えるようになった情けない身ですので、他人の信仰に口出しできる自信など持ち合わせておりません。
 およそ信じるという行為、祈るという行為は神様の為にするものではなく、自分のためにするものだと言われたことがあります。
 「神様は祈らなければわからないほど手の短い方ではなく、祈るのは自分の祈りが聞き届けられるかを自分で確認するための行為であり、こうして聞き届けられたり、聞き届けられなかったりしながら、神様の御旨を知り、近づき、神の国に行き、神様と暮らすそのリハーサルを地上でしているようなものです」と恩師から教わりました。

 クリスチャンは神の国に行く訓練候補生であり、仮免の身の上でしかなく、裁きの日に、正式な免許が下りるのだと思います。
 晴れて、その日に、兄弟姉妹、家族と再会できるのを楽しみにしながら、油断なく、訓練生活を送っていきましょう。(By天国とんぼ)


【ストーリー】(ネタバレあり)
 ビーム家は敬虔なクリスチャン一家。
 日曜の朝、ケヴィンとクリスティ夫妻と、アビー、アナ、アデリンの3姉妹は教会に出かけた。
 午後は教会のみんなとバーベキュー。
その夜、真ん中の娘アナが突然の嘔吐に襲われる。

 下痢止めも抗生剤も効かず、腹部は膨れていき、これまでの服を着ることができない。
 医者には口々に牛乳アレルギーではと言われたり、逆流性胃腸炎ではと言われる。
 ある夜、痛みのために運ばれた救急病院で、母のクリスティは、医者の診断に納得せず、若い医者に食い下がったところ、その病院の小児科長に診てもらえた。

 しかし、手術をしないと命が危ないほどの腸閉塞であることがわかり、緊急手術となる。
 手術中に小腸にも問題が見つかり、機能性胃腸障害であり、治療法がないと言われる。
 小児科長は、腸が専門の小児科医で世界中からの患者を受け入れているボストンの名医、ドクター・ヌルコを紹介する。

 教会で礼拝後に、他の信徒数人から、「アナの病気が治らないのは、アナかあなたたちが何か罪を犯しているからでは」と心無いことを言われ、傷つき、怒り、クリスティは教会と疎遠になる。
 ヌルコ医師は世界中からの患者が順番を待っているため、なかなか連絡がつかない。
 しびれを切らしたクリスティは、アナをつれてボストンへ飛ぶ。

 しかしやはり順番があると受付に言われ、ホテルに戻る。
 レストランでアナが飲み物をこぼしたことがきっかけでウェイトレスのアンジェラと仲良くなり、翌日ボストン観光に連れて行ってもらう。
 美術館でモネの「睡蓮」を見ているとき、クリスティの電話が鳴り、空きが出たので明日7時に病院に来てください、と言われ、大喜びする。

 翌日、アナはヌルコ医師がエルモのネクタイをしているのはなぜかと訊ねると、医師は「エルモと賭けをして負けたんだ。負けた方が相手の顔がついたネクタイを締めるということになった」と答えた。
 患者の病気が治ったらネクタイを外せることになっているから、治ってくれ、とアナに言う。
 広範囲な検査をするが、腸が機能しておらず、治療法はないが痛みを抑えながら生活しやすくする方法はある、と言われる。


 しかし頼みにしていた消化を促す特別の薬も効かず、痛みが増し、アナの入院は長引く。
 治療費がかさむが、父親のケヴィンはテキサスで一番大きな動物病院を開業したばかりで、多額の借金があった。
 ケヴィンは病院を7日間開け、バイトもする、とクリスティに言う。
 彼女はもう神を信じることさえできないと言う。

 アナのとなりのベッドには骨の癌を患う10歳のヘイリーという少女が入院しており、アナは持っていた十字架のペンダントを彼女にあげ、神様はあなたと一緒にいる、と伝える。
 ヘイリーの父はその話を聞き、クリスティに、アナに宗教的な話をさせないでくれ、と頼む。
 そんな中、アナの腹痛はひどくなるばかりで、痛みがなくなるなら死んだ方がいい、天国に行きたい、と言い、クリスティを悲しませる。

 家族と過ごすのが一番の薬だとヌルコ医師は言い、アナはテキサスに戻る。
 アナは姉のアビーに誘われ、元気だったころ何百回も登った庭の大木に登ってみることにする。
 しかしその木の幹は空洞になっていて、アナはその中に落ちてしまう。

 大がかりなアナの救出劇を地元のテレビ局も中継する中、やっと救け出され、意識はないものの息はあった。
 運ばれた病院の医師は、骨折もなく軽い脳震盪だけだったことを驚きながら告げた。
 退院して家に戻ったアナは日に日に元気になっていった。
 クリスティはアナに無理をしないように言うが、アナ
は「大丈夫。
治ると言われた」と言う。
 お腹も平らになり、以前の服が着れるようになる。
 両親がアナに話を聞いてみると、木の幹の底で、アナは自分の身体を見つめていた。

 そこには蝶が一匹いて導かれるままに行くと、行ったことはないが、とても安心できる場所に着いた。
 森を抜け、湖と花畑、最後には雲の上を歩くアナ。
 両親は「神さまと話したの?」と訊く。

 話したが、言葉を使わない会話で、戻りたくないのに、「戻りなさい、戻ったら治るから」と言われたとアナは答えた。
 誰も信じなくてもいい。そのうちわかるでしょう、と。

 クリスティはヌルコ医師に治ったことを告げに行き、彼はエルモのネクタイをはずす。
 この奇跡について、クリスティは教会の講壇で語る機会があった。
 このイベントにヘイリーの父も来て、ヘイリーが亡くなったことと、アナのおかげで神を信じたこと、ヘイリーが亡くなる前に愛に満ちた平安な日々を過ごせたことを語るのだった。


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