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『マサー・テレサ(1997年)』 (原題:MOTHER TERESA )116分 『マサー・テレサ(1997年)』を見る (原題:MOTHER TERESA ) 【スタッフ・キャスト】 監督:ファブリツィオ・コスタ 脚本:フランチェスコ・スカルダマーリャ マッシモ・チェロフォリーニ 製作総指揮:アンセルモ・パリネッロ、マイケル・コーワン、 ピエトロ・ディオーニ、ジェイソン・ピエット 製作:ルカ・ベルナベイ、ピート・マッギー 撮影:ジョヴァンニ・ガラッソ 音楽:ガイ・ファーレイ 衣装デザイン:フルヴィア・アメンドリア 製作国:伊=英 配給:東芝エンタテインメント 出演:オリヴィア・ハッセー(マザー・テレサ) ミヒャエル・メンドル(エクセム神父) エミリー・ハミルトン(アンナ) セバスチャーノ・ソマ(セラーノ神父) ラウラ・モランテ(マザー・ドゥ・スナークル) イングリッド・ルビオ(ヴァージニア/シスター・アグネス) 【解説】 1968年の『ロミオとジュリエット』で世界中を魅了したオリビア・ハッセーが、ノーベル平和賞に輝いたマザー・テレサ役に挑戦した作品です。 インドで恵まれない人々の救済活動に情熱を注いだテレサの36歳から87歳で没するまでの歩みを、繊細かつ力強い存在感で演じきっています。 マザー・テレサは、金にきれいも汚ないもない、神様の御用に役立つように使えば全く問題ないという合理主義者であり、ある意味、神様のため貧しい人々のために、がめつくお金を作る名人でもありました。 聖女という他人の付けたイメージなど全く解さず、マスコミの批判も気にせず、時には利用するしたたかさを持つ賢く人間的な女性でした。 自分が亡くなった後の教団や教会の行く末も、神様が必要と思えば続くだろうし、必要ないと思えばなくなるだろうという言葉に、徹底したリアリズムに生きていた人なんだと思いました。 それは神が優しくもあり、時には理不尽でもある真実を踏まえて、それに否応を言わず、素直に受け入れる覚悟が出来ていて、達観していたのだと思います。 亡くなった時に、キリスト教の人間だけでなく、イスラム教やヒンズーなどあらゆる宗教界の代表者たちが葬儀に一堂に会して参列して、「彼女は我々の(宗教の)女神がこの世に人間として現れた化身でした」と宗教の垣根を超えて、最大限の賛辞がなされ、尊敬されていたことに驚きましたし、感動もしました。 とはいえ、大谷選手のように、才能に溢れていながら人一倍ストイックな生き方を真似しようと思っても出来ないように、マザー・テレサのように生きることも大変難しいと思います。 それでも彼女が言った名言の一つである、「愛の反対語は憎しみではなく、無関心です」を忘れず、家族や、身近の友人、隣人に対して無関心にならず、気を配り、いつも穏やかに、朗らかに、優しく声をかけ、時には慰め、励ますことのできる人間になりたいと思います。 ドキュメンタリーなどで、マザー・テレサを見つけた時の修道女たちの嬉しそうな笑顔を見ると涙がこぼれます。 そこには世間の泥にまみれていない清らかな花を見つけたような感動があり、こういう人たちが今も存在していて、人間っていいなと思わせる瞬間でもあります。 そんな笑顔にさせてくれるマザー・テレサは、絶えず自分を成長させる材料、反省する材料を探すべくアンテナを張っていたからこそ、老人の言葉から、イエス様の声を聞くことが出来たのだと思いますので、そうしたアンテナをはり続ける人間でいたいと思わせる映画でした。 最後に私が、1996年に開いたHPの中で取り上げたマザー・テレサの祈りを2編を紹介します。 ************************* 「主よ、私をお使い下さい」 主よ、今日一日、 貧しい人や病んでいる人を助けるために、 私の手をお望みでしたら、 今日、私のこの手をお使い下さい。 主よ、今日一日、 友を欲しがる人々を訪れるために、 私の足をお望みでしたら、 今日、私のこの足をお貸しいたします。 主よ、今日一日、 優しい言葉に飢えている人々と語り合うため、 私の声をお望みでしたら、 今日、私のこの声をお使い下さい。 主よ、今日一日、 人は人であるという理由だけで、 どんな人でも愛するために、 私の心をお望みでしたら、 今日、私の心をお貸しいたします。 ************************* 「主よ、私は信じ切っていました」 主よ、私は思いこんでいました。 私の心が愛に漲っていると。 でも心に手を当ててみて、 本音に気づかされました。 私が愛していたのは、他人ではなく、 他人の中の自分を愛していた事実に。 主よ、私が自分自身から解放されますように。 主よ、私は思いこんでいました。 私は与えるべきことは何でも与えていたと。 でも、胸に手を当ててみて、 真実がわかったのです。 私の方こそ与えられていたのだと。 主よ、私が自分自身から解放されますように。 主よ、私は信じ切っていました。 自分が貧しい者であることを。 でも、胸に手を当ててみて、 本音に気づかされました。 実は思い上がりと妬みとの心に、 私がふくれあがっていたことを。 主よ、私が自分自身から解放されますように。 30年近く前に出た新潮社刊「新潮45」の10月号に、敬愛してやまない作家・曾野綾子さんがマザー・テレサとダイアナ妃について書かれた文章があり、その中で紹介されていた祈りです。 この感動を皆様にも味わっていただきたくご紹介申し上げます。(By天国とんぼ) 【ストーリー】(ネタバレ注意) 1946年、インドのカルカッタ。 ここの修道院で修道女をしているマザー・テレサは、政治や宗教に関係なく困っている人には手を差し伸べる純粋な精神の持ち主だった。 しかし、ヒンズー教徒とイスラム教徒の対立が激化し、マザー・テレサの修道院にも負傷者が運び込まれる。 院長の指示に背いて、ヒンズー教徒に治療を施したマザー・テレサは、ダージリンへの異動を命じられる。 修道院から街へ出たマザー・テレサは、初めてカルカッタの貧困と混乱を目の当たりにする。 貧しい人達で溢れかえる駅の構内で生き倒れた老人の“私は渇く”という言葉を聞き、マザー・テレサは、これをイエス様からのお告げだと受け止める。 許可なくカルカッタに戻った彼女は、貧しい人達との暮らしの中にこそ自分の求める道があると語り、院外活動の許可を申し出る。 しかし、修道会からはなかなか許可がおりない。 そんな中、力を貸してくれたのはエクセム神父であった。 彼は、マザー・テレサの正しい心と、目的を実現できる意思の強さをよく知っている人物だった。 マザー・テレサはパトナの病院で足を切断されそうになっていた少年アトゥルを救い、グプタ医師と知り合う。 エクセム神父たち良き理解者のおかげで修道会を退会することなく、院外で貧しい人々の中に立ち混じっての活動が許可され、ついにバチカンから街へ出てもいいという許可が下りる。 マザー・テレサは新しい修道服を用意する。 それは清らかさを表す白と聖母マリアの青でデザインされた修道服だった。 マザー・テレサを慕い、修道院の女生徒たちもスラムでの活動に興味を示し始める。 マザー・テレサはグプタ医師にも協力を要請し、孤児や病人の救済活動を開始する。 しかし街角で托鉢をするマザー・テレサの活動に、教会の有力な支援者からは“教会の恥だ”と不満の声があがる。 マザー・テレサはそんなことは気にせず、ひたすら子供たちの食料を調達する。 女生徒のヴァージニアはそんなマザー・テレサを尊敬し、彼女の仕事を手伝うようになる。 マザー・テレ サの活動は徐々に広まり、協力者が増え始める。 マザー・テレサは新しい修道院を作って、もっと多くの人を救いたいとエクセム神父に申し出る。 しかし、それは複雑な手続きを要する大変な難問だった。 マザー・テレサの申し出を受け、ローマからセラーノ神父が派遣されてくるが、マザー・テレサは忙しく、なかなか捕まらない。 マザー・テレサは街角で死を待つ人々の安息の場を寺院に作ろうとして地元住民から猛反発を受けていた。 しかし宗教に関係なく見捨てられた人々を救おうとするマザー・テレサの姿を見た住民は、彼女を女神のような人だと認めていく。 マザー・テレサの活動は常に困難を伴うが、最終的には必ず誰かが彼女のピンチを救ってくれる。 それをマザー・テレサは神様のお導きだと考えていた。 マザー・テレサはセラーノ神父に自分は偶然にもイエス様の声を聞いたのだと話す。 そして自分を神が手に持つ小さな鉛筆に過ぎないと表現する。 新しい修道院も神が望んでいるのだというマザー・テレサの話を聞き、彼女の活動に懐疑的だったセラーノ神父も心が動く。 これにより「神の愛の宣教者会」という新しい修道院の設立が許可される。 そしてセラーノ神父も彼女を助けるため、カルカッタに残ることにする。 1965年、マザー・テレサはカルカッタのテイタガールにハンセン病患者のための「平和の村」を建設しようと動き始める。 しかしその実現には莫大な資金が必要で、計画は思うように進まない。 さらにインドの知識人は“マザー・テレサによってカルカッタは不幸と貧困のレッテルを貼られた”と彼女の活動を非難する。 一方でマザー・テレサの活動は世界各国でテレビ放送され、支援者も増えていく。 各国から届く善意の寄付によって、関連施設の活動費は賄われていた。 しかし2万人の食料を調達するにはお金がいくらあっても足りず、「平和の村」建設に回す資金はなかなか貯まらない。 ところが、アメリカの資産家ローガン氏が莫大な金額を寄付してくれ、資金の目処が立つ。 しかし今度は書類に不備が見つかり、マザー・テレサは急遽ローマへと飛ぶ。 マザー・テレサは教皇と直接会談し、書類を揃えてもらう。 そんな多忙な日々の中で、マザー・テレサはついに倒れてしまう。 彼女の心臓は弱っており、休息が必要だった。 しかしマザー・テレサは休もうとしない。 「平和の村」の建設作業は再開された。 活動の規模はますます大きくなっており、セラーノ神父たちは活動を組織化して利便性を追求すべきだと考える。 しかしマザー・テレサはシンプルな方法を好み“組織なき幸せ”を主張する。 マザー・テレサの活動にまた大きな壁が立ちはだかる。 ローガン氏が詐欺事件によって逮捕され、多額の寄付金も汚れたお金だったことが発覚する。 マザー・テレサをしつこく追求していたマスコミは、彼女を慕う子供たちによって撃退される。 マザー・テレサは孤児と里親の養子縁組を進めていたが、この活動に人身売買の疑いがかかる。 これはもちろん大きな誤解であったが、マザー・テレサの心労は絶えなかった。 そんな中、可愛い孤児のナディが不慮の事故で亡くなり、さすがのマザー・テレサも打ちのめされる。 エクセム神父は彼女を“マザーの行動には神の愛が見える”と言って励ます。 それから15年後。 マザー・テレサは相変わらず忙しく世界各国を飛び回り、講演で貧しい人々の救済を訴えていたが、過労による心臓発作で倒れ、緊急手術をすることになる。 エクセム神父は“代わりに自分の命を差し出す”と神に祈る。 そしてマザー・テレサは助かり、エクセム神父はそれから程なくして亡くなってしまう。 1995年ニューヨーク。協会の会議に参加していたマザー・テレサは突然“この協会は存在しない”と告げる。 贅沢になった協会のあり方に疑問を感じてのことだった。 1997年にマザー・テレサは帰天したが、彼女の慈善の精神は多くの人々に受け継がれている。 | |||||
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