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「沈黙 -サイレンス-(2017年)」
『沈黙 -サイレンス-(2017年)』を見る 【スタッフ・キャスト】 監督:マーティン・スコセッシ 脚本:ジェイ・コックス 原作:遠藤周作『沈黙』 出演:アンドリュー・ガーフィールド(ロドリゴ神父) アダム・ドライヴァー(ガルペ神父) 浅野忠信(通辞) 窪塚洋介(キチジロー) リーアム・ニーソン(フェレイラ神父) イッセー尾形(井上筑後守) 【解説】 2017年アメリカ映画。遠藤周作の小説「沈黙」を、マーティン・スコセッシ監督が映画化。 切支丹弾圧の中で棄教したとされる師、フェレイラを捜すために、同僚のガルぺと共に日本に密航した宣教師ロドリゴ。 彼の前に繰り広げられるおぞましいキリシタン迫害。 しかし、神は「沈黙」を続けるままで、苦悩するロドリゴ。 切支丹弾圧に関しては、日本側にも相応の理由があったと考えています。 アメリカを発見したコロンブスが奴隷商人だったように、ポルトガルやスペインのカトリックの宣教師たちは、南米やアジアの各国への侵略の手伝いをし、時には人身売買に加担しており、最終的にアジア・アフリカで植民地にならなかったのは日本とタイとエチオピアだけでした。 彼らは日本を調査し、結果次第では日本を侵略する気でしたが、日本人の知性の高さと武士の多さと強さに侵略は無理という報告書を出しており、もし知性が低く、防衛力がないようなら侵略する気満々だったということです。 アメリカなどは黒船来航の幕末においてもそうでしたし、第一次世界大戦後においても、日本を植民地にする計画と準備を進めていました。 真珠湾攻撃の30年近く前に、もし日本がアメリカと戦う際には先ずハワイを攻めるということまで想定して、準備していました(何が「リメンバー・パールハーバー」だと思ってしまいます)。 秀吉と家康は日本という国と日本人を守るために切支丹禁止令を出し、その結果、1637年に島原の乱が起きたのです。 当時は小氷河期と言われる時代で、全国的に食糧不足で、少しでも食糧を手に入れるために領土を広げる戦国時代になっていたという時代背景があったことを知っておく必要があります。 そんな日本に南蛮人がやってきて、南米や東南アジアに日本人を奴隷として売られたなら、労働人口が減ってしまいますので、切支丹禁止令は植民地にならないための防衛策であり、戦争を回避するための良策であったと考えられます。 それに対しオランダはプロテスタントで、カトリックの宣教師の手口を知らせ、自分たちは貿易だけが望みということで、長崎の出島で貿易が出来ていました。 こうした状況で切支丹禁止令が出たという背景が全く描かれてないのは、カトリック側に加担し、江戸幕府だけに責任を押し付けていて、極めて不公平であり、心外です。 ご存じのように16世紀に宗教改革があり、カトリックはプロテスタントの出現に自分たちが負けてしまうのではないかという危機感を覚え、海外布教をして信徒の数を増やさなければと必死になり、それがイエズス会の蛮行を生んだともいえ、日本の切支丹はその犠牲者であり、一番の悪は江戸幕府より、カトリック側だというのが私の見解です。 その結果、名前が分かっているだけで4千人が殺され、推定で4万人が死んだと言われています。 なおそれ以外に、天草・島原の乱だけで更に3万人(信者以外の徳川に藩をつぶされ浪人になった武士たちも含みます)が亡くなったと言われています。 信者たちの信仰は純粋だったと思いますが、それを殉教と称えるカトリックには欺瞞を感じており、彼らを殺したのはカトリック側だと思っています。 宣教師たちは、日本人の信仰心と真面目さに驚き、恐らく自国で話していたこと以上の信仰を日本人の信者に求めたのだと推測しています。 日本人の国民性でもある真面目さが悲劇を生んだのだと思います。 恐らくペテロの三度の裏切りとイエス様の許しを教えなかったと思いますし、殉教することを強いる宣教師たちに愛を感じませんし、むしろ棄教した宣教師たちの方に愛を感じます。 そもそもカトリックでは、中世までは他宗教・多民族は奴隷にしてもいいという暗黙の了解があり、信仰心の裏には愛国心があり、宣教師たちは侵略部隊の先兵であり偵察部隊の役割を果たしており、イエス様の教えを完全に無視していました。 カトリックには十字軍の遠征、免罪符の発行、魔女狩り、異端審問、地動説に対する頑な態度などに加えて、こうした黒歴史があったことを記憶の片隅に入れておいて欲しいと思います。 イスラム教では税金さえ払えば他宗教の信仰の自由を認めていましたが、カトリックでは他宗教を悪魔扱いし、多様な価値観があることを頑なに認めませんでした。 イエス・キリストを知ってから洗礼を受けるまで30年以上かかってしまった理由の一つが、イエス様が言われた隣人愛を全く無視してきたカトリックの態度に不信感を抱いていたからです。 しかし、彼らを裁いている自分に彼らを裁く資格はないと悟り、神の裁きに任せ、自分の思いは胸に秘めることにした次第です。 なおフェレイラと井上筑後守は実在の人物で、ロドリゴのモデルはジュゼッペ・キアラというイタリア宣教師で、棄教した後、岡本(本作では岡田)三右衛門を名乗ったとのことです。 人一倍臆病な私は、踏み絵を迫られたら、恐怖で踏んでしまうと思います。 まして、自分のために親しい人まで殺されてしまうなんて、とても耐えられそうにありません。 そして踏み絵をしてしまった後でも、心の奥底で毎日イエス様とお話をし、お祈りをする生活をすると思います。 フェレイラも、ロドリゴも、キチジローもきっとそうだったと思いますし、あとはイエス様にお任せです。 イエス様を三度否定したペトロが、あの大言壮語してきたペテロが、「私を愛しているか」と聞かれ、「愛しています」と答えず、「私の心はあなたがご存じです」と答えたのは、自分の弱さ、卑怯さを知り、砕かれて謙虚になっていたからだと思います。 私も、すべてをイエス様にお任せしたペテロを見習いたいと思います。(By天国とんぼ) 【ストーリー】(ネタバレ) 神父・修道士5人が雲仙で熱湯を徐々に浴びせられる拷問に耐えている。 これを報告した手紙が届いた後、イエズス会士のフェレイラ神父の消息は絶えていた。 1640年、彼が日本でキリスト教を捨てたという噂があると言われた弟子のロドリゴとガルぺは、ヴァリニャーノ院長に懇願して日本行きを認めてもらう。 厳しいキリスト教禁教政策の続く日本に渡るのはとても危険だったが、マカオで密航船と通訳に使える日本人が見つかる。 しかしその日本人漁師キチジローは汚い飲んだくれでキリシタンなのかどうかもあやふや。 ガルぺはその男を疑っている。 日本に上陸したが、キチジローは二人の神父を残して先へ行ってしまう。 彼は本当に信用できるのか。 夜、海辺に隠れていた二人の神父に一人の老人が近づく。 それはトモギの村で、キリシタンのリーダーとなり、モキチたち村人から「じいさま」と慕われている老人、イチゾウだった。 キチジローはちゃんと仕事をしてくれたのだった。 パードレ(神父)が現れることを心待ちにして密かに信仰を守ってきた人たちの大歓迎を二人は受ける。 夜が明けて山の炭焼き小屋に移動する。 昼間は小屋に隠れ、夜に罪の告白を聞いてそれに赦しを与える告解や、ミサを執り行う生活が続く。 貧しい村人たちの信仰は熱烈だが厳しい迫害のために他の地域のキリシタンとの交わりはなく、フェレイラの情報も得られなかった。 ある日、いつもの合図なしにパードレを呼ぶ声がする。 最初は罠かと思ったが、それは自分達の村にもパードレたちに来てほしいと願う五島の人たちだった。 ロドリゴが船で五島へ向かう。 そこはキチジローの故郷であり彼が故郷の人たちのために、パードレがトモギに来たことを教えたのだった。 キチジローはかつて、彼自身は踏み絵を踏んだために処刑を免れたものの、彼の家族が皆踏み絵を踏むことを拒否して焼き殺されるのを目撃するという悲惨な体験をしてきた。 五島では多くのキリシタンに出会い、その中にはフェレイラに会ったことのある人もいた。 トモギに戻ったロドリゴが知ったのはイチゾウが捕らわれたということだった。 役人はキリシタンをつきだすように村人に言うが、モキチは自分たちは仏教徒であると言う。 それでも役人はイチゾウとモキチを含む4人の人質を決めるように言う。 この要求はキリシタンたちの間に対立を生むが相談の末によそ者のキチジローが人質の一人になることになる。 もし踏み絵を踏まなければならない時はどうするのか。 ガルぺは踏んではいけないと言うが、ロドリゴは踏むべきだと言うのだった。 やはり四人の人質は踏み絵を踏まされる。 彼らは踏み絵を踏むが、役人は彼らの動揺を見逃さない。 次に十字架に唾を吐くように言う。 唾を吐くことができたのはキチジローだけだった。 他の三人は海辺ではりつけにされ、満潮時には彼らの顔より高くなる波にさらされて死んでいくのだった。 ロドリゴとガルぺは物陰に潜んで見ることしかできない。 役人たちが山狩りをするという。 ガルぺは平戸へ、ロドリゴは五島に逃れることにする。 だが、五島でロドリゴが船から下されたのは猫ばかりが住む廃村だった。 人里を求めて山を歩いているとキチジローに再会する。 彼は再び踏み絵を踏んで棄教したことを悔いているようだった。 川の水を飲んでから川に映る顔を見るロドリゴ。 一瞬、聖像のイエスの顔が見える。 しかし、直後に役人たちに取り囲まれる。 キチジローが再び裏切ったのだった。 捕縛されたロドリゴは洗礼名モニカと名乗る娘に食べ物をもらい、洗礼名ジュアンと名乗る男とも知り合う。 役人に捕まっても彼らはどうして落ち着いているのか。 彼らは死んでも天国に行けると信じているのだった。 そしてロドリゴは迫害の責任者である長崎奉行井上筑後守と初めて対面する。 長崎に送られた彼らは牢屋に閉じ込められる。 筑後守にソフトに棄教を勧められるロドリゴ。 ある日、キチジローが自分はキリシタンだと牢の前で騒いで牢に入れられる。 そんな弱いキチジローのためでもしかたなく告解をまた授けるロドリゴだった。 ロドリゴの目の前で五人のキリシタンが踏み絵を踏まされようとしている。 形式的に踏めばいいのだと役人は言うものの、五人とも踏まない。 五人の中の一人だけ、ジュアンが唐突に斬首されたことにロドリゴはショックを受ける。 そして再びキチジローが出てきて、キリシタンたちに踏み絵を踏む手本を示して釈放されるのだった。 ある日通辞に連れられてロドリゴは海辺に行く。 そこで見たのは簀巻きにされて海に投げられようとするキリシタンたちとやはり捕らわれていたガルぺだった。 ガルぺが棄教すればキリシタンたちは助かるという。 しかしガルぺは自分を身代わりにしろと言って泳ぎだし、簀巻きにされたキリシタンといっしょに死んでしまうのだった。 通辞に連れられてロドリゴは寺に行く。 そこでついにフェレイラに再会するが、彼は棄教して日本名を名乗っていた。 そしてロドリゴにキリスト教は日本では普及しないことを説く。 でも、日本でもかつては多くの信者がいたではないかというロドリゴ。 フェレイラは、しかし、彼らは神について理解してはいなかったと言うのだった。 夜、いびきのような音に苦しめられるロドリゴ。 それは逆さづりにされたキリシタンたちが苦しむ声だった。 再びフェレイラが現れて棄教を進める。 ロドリゴが棄教を宣言すれば彼らは助かる。 フェレイラもまたこうして棄教したのだった。 その時、ロドリゴはそれまで沈黙していた神の声を聞く。 踏み絵を踏むようにと。 こうしてロドリゴも棄教してしまった。 ロドリゴはフェレイラに協力してオランダからの輸入品からキリスト教に関係する事物をふるい分ける仕事に携わる。 ロドリゴはやがて、岡田三右衛門という男が死んだ後に、彼の名前を引き継いで三右衛門の妻子と江戸で生活することになる。 何度も棄教を宣言する文書を書かされ、踏み絵を踏まされる。 キチジローは彼の召使となるが、度重なる棄教にもかかわらずキリシタンとしての信仰を捨てきれず、もはや神父ではないロドリゴに告解を頼むのだった。 そのキチジローも1667年に踏み絵を踏んだ時に胸に隠しもったものに気付かれて役人に捕まる。 ロドリゴは死に際してもキリスト教の信仰の跡を残さなかった。 しかしその心の中にあったものは何であっただろうか。 | |||||
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