使徒行伝2章

「教会の誕生」



 イエスが昇天された後、残された弟子たちは、エルサレムの「泊まっていた家
の上の部屋」(一・一三、新共同訳)で、「心を合わせて熱心に祈って」いまし
た。何を祈っていたのでしょうか。恐らく、イエスが約束された聖霊が与えられ
ることを祈っていたのでしょう。この熱心な祈りは一〇日間続けられました。そ
して、イエスが昇天されて一〇日後に、五旬節の日(ペンテコステ)に聖霊が与
えられ、そこに最初の教会が誕生しました。
教会の誕生の「初めに祈りがあった」と言えるでしょう。新しい所に教会が建て
られる、そこにはまず伝道者や信徒の熱心な祈りがあります。神はその熱心な祈
りに応えて教会を建て給います。日本で最初のプロテスタント教会が建てられた
のは明治五年でした。宣教師ゼームス・バラの指導の下に行われた祈祷会に端を
発しています。この祈祷会は、一週間位の予定で行われましたが、皆の祈りが余
りに熱心なので、それが数週間にわたり、ついにそこに「日本基督公會」が建設
されました。「求めよ、そうすれば、与えられるであろう」とのイエスのみ言葉
は真実です。
 
  五旬節の日がきて、みんなの者が一緒に集まっていると、突然、激しい風が
  吹いてきたような音が天から起こってきて、一同がすわっていた家いっぱい
  に響きわたった。また、舌のようなものが、炎のように分かれて現れ、ひと
  りびとりの上にとどまった。              (二・一ー三)
 
これは、最初の教会に聖霊が降された描写です。「みんなの者」というのは、一
二使徒だけでなく、一章一五節にある「百二十名ばかりの人々」のことと思われ
ます。そして、この「ひとりびとりに」聖霊が降されたのです。聖霊は、個人個
人に与え、れる賜物です。パウロはコリント人への第一の手紙一二章において、
それぞれには違った賜物が与えられている、と言っています。神は私達一人ひと
りを大切にして下さるのです。私達一人ひとりの罪を赦し、私達一人ひとりを義
とし、私達一人ひとりに聖霊を与えて下さいます。
 
  すると、一同は聖霊に満たされ、御霊が語らせるままに、いろいろの他国の
  言葉で語り出した。                     (四節)
 
聖霊とは、神の創造的な力です。それは、人間の考えをはるかに越えた力です。
人間の頭では不可能と思えることでも、そこに聖霊が五働くと可能になります。
預言者エゼキエルは、広い谷一面に白骨化した骨が一杯ころがっている幻を見ま
した(三七章)。しかし、そこに神の霊(新共同訳)が吹くと、それらの骨は生
き返った、とあります。
 ここで、「一同はいろいろの他国の言葉で語り出した」とあります。彼らの多
くはガリラヤの田舎からやって来た(七節)無教養な人達でした。その彼らがい
ろいろな外国語で語り出したのですから、周りの人達は驚いたことでしょう。こ
れが実際にどういう現象であったのかは分かりません。ただ、ルカの意図は、世
界宣教ということです。イエスは、一章八節において、「あなたがたは力を受け
て・・・地の果てまで、わたしの証人となるであろう」と言われました。世界の
果てまで伝道するという場合、障害となるのは言葉です。ここで彼らが、「いろ
いろの他国の言葉で語りだした」というのは、そのような言葉の障害が取り除か
れて、福音が文字どおり地七の果てまで伝えられる、ということを暗示していま
す。九ー一一節に言われている地名(パルテヤ、メジヤ、エラム、メソポタミヤ、
ユダヤ、カパドキヤ、ポント、アジヤ、フルギヤ、パンフリヤ、エジプト、リビ
ヤ、ローマ、クレテ、アラビヤ)は、ルカが思い描いていたその当時の全世界で
はないかと思います。使徒たちがこれらの国の言葉で話したということは、全世
界に福音が伝えられたということが意図されているのです。そして、現在、世界
のあらゆる国の言葉に聖書は翻訳されています。千数百の言葉に翻訳されている
と言われますから、自国語で聖書に接することの出来ない人は、どいないと言っ
てもいいのではないかと思います。これはまさに、聖霊の力ではないでしょうか。
 さて、使徒たちがいろいろな言葉で述べたのを見た多くの人々は、非常に驚き
ましたが、「新しい酒に酔っているのだ」と言って、あざ笑った人もいました(
一三節)。そこでペ九テロは、説教を始めました。聖霊が降だされて誕生した教
会で最初に行われたことは、説教でした。まだ、教会堂の建物も教会の組織もオ
ルガンも何もありませんでした。しかし最初から、説教は教会に欠かすことの出
来ない最も重要なことであったのです。
 ここで、ペテロは多くの人を前にして実に堂々と語り始めます。このペテロは、
数十日前、イエスが捕らえられ大祭司の邸宅に連れて行かれた時は、「あの人の
ことは知らない」と三度イエスを否んだ臆病者でした。マルコ一四・七一)しか
し、聖霊を受けると、人々から迫害を受けるかも知れない、などという思いはど
こかに吹き飛んで、堂々と人々の前に出て、大胆にキリストの福音を述べたので
す。聖霊は、私達に勇気を与えます。
 さて、ペテロは、二章一四節から三六節まで長い説教をしますが、その中心は
キリストの復活です。
 
  このイエスを、神はよみがえらせた。そして、わたしたちは皆その証人なの
  である。                         (三二節)
 
使徒たちは皆、キリストの復活の証人なのです(一・二二)。証人というのは、
「目撃者」ということです。使徒たちは、キリストの復活の目撃者なのです。パ
ウロも復活のキリストに出会い、回心します。そして、キリストの証人となりま
した。聖書の記者は皆、キリストの証人なのです。あたかも証言台で証言してい
るかのようです。私達は、この証言を何か怪しいとして、疑って聞くことも出来
ます。パウロが伝道したアテネの人達は、そのような聞き方でした。一七章三二
節に、「死人のよみがえりのことを聞くと、ある者たちはあざ笑い、またある者
たちは、『この事については、いずれまた聞くことにする』と言った」とありま
す。しかし、聖書の記者たちは自分たちの証言は真実のものであって、これを心
から聴いて欲しいと願っているのです。そして、これを信じて受け入れる者には、
永遠の生命が与えられるのだ、と主張しているのです(ヨハネによる福音書五・
二四)。そしてその選択は、私達に委ねられているのです。彼らは命を賭けてキ
リストの証人となりました。「証人」という語(マルテュレス)は、「殉教者」
をも意味する言葉です。彼らはまさに、殉教者となって、「地の果てまで」キリ
ストの福音を伝えたのです。ペテロもパウロもネロ帝の時に殉教したと伝えられ
ています。
 さて、このペテロの説教を聞いた多くの人が「大いに心を打たれた」(新共同
訳)とあります(三七節)。そして、彼らは「どうしたらよいのですか」とペテ
ロに問います。これは、福音を正しく聴いた者の態度です。神の言葉を本当に聴
くというのは、ただ頭で分かった、良い話しであった、ということで終わるもの
ではありません。それに応えて、では私達は一体どうすればいいのか、どのよう
な歩みをすればいいのか、ということを自ら問題にするのです。説教をいくら聞
いても、自分の歩みはいっこうに変わらない、自分の生き方に全然変化がない、
というのでは、本当に心から聴いることにならないのです。み言葉を聴いた後、
私達は常に「どうしたらいいのですか」ということを自らの問いにしたいと思い
ます。
 これに対してペテロは、二つのことを勧め、二つのことを約束します。
 
  悔い改めなさい。そして、あなたがたひとりびとりが罪のゆるしを得るため
  に、イエス・キリストの名によって、バプテスマを受けなさい。そうすれば
  、あなたがたは聖霊の賜物を受けるであろう。                 (三八節)
 
二つの勧めは、「悔い改めなさい」ということと、「バプテスマを受けなさい」
ということです。そして、二つの約束は、「罪のゆるしを得る」ということと、
「聖霊の賜物が与えられる」ということです。
 そして、このペテロの勧めを受け入れて、バプテスマを受けた人が三千人もい
た、と言われています(四一節)。これが、最初の教会です。最初の教会は、何
をしたでしょうか。
 
  そして一同はひたすら、使徒たちの教えを守り、信徒の交わりをなし、共に
  パンをさき、祈をしていた。                (四二節)
 
新共同訳では、「彼らは、・・・に熱心であった」と訳されています。ここで、
最初の教会が大切なこととして熱心に守ったことが四つ言われています。その一
つは、「使徒たちの教えを守る」と。うことです。これは、み言葉の説き明かし
(説教)と言っていいでしょう。使徒たちは、復活のイエスから、四〇日にわた
って、み言葉の説き明かしを受けました(一・三)。そして、今度はそれを人々
に伝えたのです。次は、「信徒の交わり(コイノニア)」です。これは、信徒た
ちが、心と、いを一つにして兄弟のような交わりをする、ということです。そし
てここでは、心を一つにするだけでなく、物をも共有にして、お互い助け合った、
とあります(四四ー四五節)。そして、三番目は、「パンさき」で、これは食事
を共にすることで、後に聖餐式となります。四番目は「祈り」です。そして、こ
の最初の教会に支配したのは、「喜び」でした(四六節)。そのために、「民衆
全体から好意を寄せられた」(四七節、新共同訳)とあります。