使徒行伝5ー7章

「ステパノの殉教」



 前回は、最初の教会にユダヤ教の権力者から弾圧が加えられた話でしたが、教
会の内部にも最初から問題がありました。教会といえどもそこは、罪ある人間の
集まりです。パウロの手紙においても(ガラテヤ人への手紙やコリント人への第
一の手紙など)、教会には実に色々な問題が起こったことが記されています。教
会には、絶えず問題が起こります。
これは、今も昔も変わりありません。
 さて、初代の教会に起こった最初の問題は、五章に記されています。
 
  ところが、アナニヤという人とその妻サッピラとは共に資産を売ったが、共
  謀して、その代金をごまかし、一部だけを持ってきて、使徒たちの足もとに
  置いた。                                   (五・一ー二)
 
最初の教会は、実に理想的な姿でした。四章の三二節には、次のようにあります。
  信じた者の群れは、心を一つにし思いを一つにして、だれひとりその持ち物
  を自分のものだと主張する者がなく、いっさいの物を共有にしていた。
 
これは、実に美しい、想的な姿です。まさに本当の家族のようにして、「兄弟姉
妹」として、お互い助け合ったのです。しかし、ルカは、現実の教会の色々な問
題を見て、そこにはとても「兄弟姉妹」と呼べるような交わりがなかったがゆえ
に、初代の教会にそのような理想的な姿を求めたのかも知れません。
 人間は常に自分中心です。何かよいことをするときでも、自分の名誉心を求め
るものです。イエスは、「偽善者たちが人にほめられるため会堂や町の中で、ラ
ッパを吹きならして施しをした」ことを批判されました(マタイによる福音書六
・二)が、人間は常にそのように自分が注目されたいのです。
 さて、ここでアナニヤとサッピラの夫婦は、自分たちの土地を売って、一部と
いえどもその代金を教会のために献金した訳ですので、素晴らしいことではない
でしょうか。現在の教会で、例えば会堂建築をするという時、自分の土地を売っ
て、その半分でも献金するという人が果たしているでしょうか。アナニヤとサッ
ピラは、全財産とまではいかなかったけれども、その相当な部分を差し出したの
ですから、立派なことではないでしょうか。ところが、二人は裁かれて、直ちに
死んだというのです。これは、余りにも厳しい裁きではないでしょうか。初代の
教会に「信者は全財産を差し出さなければならない」という戒律があった、とい
うのでもありません。ここで、ペテロは次のように言っています。
 
  「アナニヤよ、どうしてあなたは、自分の心をサタンに奪われて、聖霊を欺
  き、地所の代金をごまかしたのか。              (三節)
 
ここでの二人の問題は、全財産を差し出さなかった、というのではありません。
あたかも全財産を差し出したとして(聖霊を欺き)、人にほめられようとした、
ということです。この二人がどういう人であったかは、分かりませんが、その名
前(アナニヤは「神は恵み深い」、サッピラは「美しい」という意味)から想像
するに、他の人からは理想的な夫婦と見られていたのかも知れません。そして常
日ごろ人々から称賛されていたかも知れません。そして、今回も人々から称賛さ
れようという名誉心が働いたのかも知れません。ちなみに、全財産を施すという
のは、当時のユダヤ教において最大の美徳でした(コリント人への第一の手紙一
三・三)。二人は、貧しい人を「兄弟姉妹」として助けようとたのでなく、自分
たちが称賛を受けようとして、全財産を差し出した、と偽ったのです。それは聖
霊を欺くことなのです。援助をするという時、往々にして自分の名誉心からする
ことがあります。「難民を援助していますよ」と殊更テレビで宣伝している人も
います。
 さて、初代の教会には、段々と人が増えてきました。人が増えてくると、いろ
いろな問題が起こってくるというのは、世の常です。
 
  そのころ、弟子の数がふえてくるにつれて、ギリシア語を使うユダヤ人たち
  から、ヘブル語を使うユダヤ人たちにたいして、自分たちのやもめらが、日
  々の配給で、おろそかにされがちだと、苦情を申し立てた。  (六・一)
 
ここで起こった問題は、食糧の配分に不公平があったということです。食べ物は、
人間にとって最も重要なもので、教会もこの問題ではしばしばトラブルが起こっ
ています。パウロも、コリントの教会で、晩餐の時に、先に教会に来た人が勝手
に食べてしまうので、後から来た人には、食べる物がなかったということを言っ
ています(コリント人への第一の手紙一一・二一)。この初代の教会においても、
食べ物のことで、弱い立場の人たちが不利に扱われていた、というのです。
 そこで、十二使徒は、自分たちはみ言葉と祈りに専念するので、そのような日
常的な仕事をする人として別に七人を選ぼう、と提案しました(二ー四節)。そ
して、七人が選ばれたことによって、初代の教会の宣教は強力なものになりまし
た。
 
  こうして、神の言は、ますますひろまり、エルサレムにおける弟子の数が、
  非常にふえていき、祭司たちも多数、信仰を受けいれるようになった。
                                (七節)
これは、ルカが使徒行伝の所々に記している「進展報告」というものです。ルカ
は、この報告を意図的に所々に記して、福音がエルサレムから徐々に各地に伝え
られていったことを読者に訴えているのです(九・三一など)。 さて、選ばれ
た七人の中に、ステパノという人物がいました。彼は、キリスト教における最初
の殉教者です。彼の殉教がきっかけとなって、福音が他の地方に散らされました。
さらに、後に回心をして、キリスト教の伝道者となったパウロは、このステパノ
の処刑に立ち会いましたが(八・一)、恐らくこの時の経験が後の伝道に大きな
影響を与えたと思われます。
 さて、ステパノは、非常に才能のある人であったようであります。いろんな地
方からやって来たユダヤ人が彼と論争したが、「歯が立たなかった」とあります
(六・一〇、新共同訳)。そこで、彼らはステパノを妬み、偽証する人を雇って、
ステパノを裁判にかけました。このやり方は、イゼベルがナボテを死刑にしたや
り方とそっくりです(列王紀上二一章)。裁判の席で、ステパノは、大勢の人を
前に非常に長い演説をします。それは、七章二節から始まり、五三節まで続きま
す。彼は、そこで、アブラハムから始めて、イスラエルの歴史を述べ、イスラエ
ルの民がいかに神に逆らってきたか、ということを述べます。そして、ついには
イエスをも十字架にかけて殺してしまった、と言います。
 
  いったい、あなたがたの先祖が迫害しなかった預言者が、ひとりでもいかた。
  彼らは正しいかたの来ることを予告した人たちを殺し、今やあなたがたは、
  その正しいかたを裏切る者、また殺す者となった。      (五二節)
 
ここで、ステパノは、旧約の預言者は皆迫害された、と言っています。これは、
いささかオーバーな表現と思われるかも知れませんが、事実そうでした。預言者
は、人々の、特に権力者の罪を鋭く指摘し、神の裁きを宣べ伝えたので、しばし
ば迫害されました。預言者エリヤは、イゼベルの迫害にあって、辛うじて荒野に
逃れました(列王紀上一九章)。預言者エレミヤも、しばしば命を狙われました。
そして、イエスの十字架の死も、その同じ線上にある、とステパノは言うのです。
ステパノは、気性の激しい人であったようです。彼は、臆することなく、ユダヤ
教の指導者たちを非難しました。
 そこで、聞いていた人々は、悔い改めるのでなく、激しく怒ったというのです。
罪を指摘された場合、人間は、それを認めて悔い改めるのでなく、自分を正当化
し、非難した者に対して怒るのです。五四節に、人々は激しく怒ったために「歯
ぎしりをした」とあります。そのような激しく怒っている人々を前にして、ステ
パノは怖くなかったのでしょうか。
 
  しかし、彼は聖霊に満たされて、天をみつめていると、神の栄光が現れ、イ
  エスが神の右に立っておられるのが見えた。                 (五五節)
 
ステパノの目に映ったのは、激しく怒る人々の顔ではなく、神の右に立っている
イエスの姿でした。この「右」というのは、場所的な右というよりも、聖書にお
いて「右」というのは、権力とか権能を表します。従って、イエスが真の権力の
座についておられるのを見た、ということです。今ユダヤ教の権力者たちが、ス
テパノを死刑にしようとして激しく迫ってきています。しかし、本当の権力者は、
イエス・キリストであります。この確信に立つ時、迫害する者を憎むのでなく、
彼らのために祈ることが出来るのです。
 
  こうして、彼らがステパノに石を投げつけている間、ステパノは祈りつづけ
  て言った、「主イエスよ、わたしの霊をお受け下さい」。そして、ひざまず
  いて、大声で叫んだ、「主よ、どうぞ、この罪を彼らに負わせないで下さい
  」。こう言って、彼は眠りについた。         (五九ー六〇節)
 
主イエスは、山上の説教において、「敵を愛し、迫害する者のために祈れ」と言
われましたが(マタイによる福音書五・四四)、ステパノはこの最も難しいこと
を行いました。また、十字架につけられた主イエスも、「父よ、彼らをおゆるし
ください。彼らは何をしているのか、わからずにいるのです」と言われました
(ルカによる福音書二三・三四)。
 さて、このステパノの殉教は、初代の教会に大きな影響を及ぼしました。イエ
スは、ヨハネによる福音書一二章二四節で、「一粒の麦が地に落ちて死ななけれ
ば、それはただ一粒のままである。しかし、もし死んだなら、豊かに実を結ぶよ
うになる」と言われました。ステパノの殉教は、まさにこの一粒の麦となりまし
た。このステパノへの迫害をきっかけに、今までエルサレムで活動していた信者
たちが方々に散らされ、そこで伝道を始めたのです。そして、多くの地方に福音
の種が蒔かれていったのです。迫害は、キリスト教の勢力を弱めたのでなく、か
えって強めました。迫害を通して、キリスト教は勢力を増していったといっても
過言ではありません。このステパノの迫害は、ユダヤ教によってもたらされたも
のです。しかし、もっと大きな迫害が、やがてローマ帝国によって、もたらされ
ます。使徒行伝が書かれた紀元八〇年代は、ローマ帝国によるキリスト教迫害が
強くなる頃です。ルカは、むしろ、ローマ帝国の迫害下にある教会のためにこの
ステパノの殉教の記事を記したのかも知れません。このステパノの記事は、迫害
を受ける教会に大きな励ましとなったと思います。私達の教会も、常に、「神の
右に立っておられる(真の権力者)イエス」を見る必要があると思います。