使徒行伝18章23節―21章14節
「パウロの第3伝道旅行」
パウロは、生涯に3度大きな伝道旅行をしていますが、今回はその3回目をお 話ししましょう。今度の伝道旅行は、今までのような福音のまだ伝えられていな かった地方への伝道活動というよりは、主に第2伝道旅行の時に建てた教会を再 度訪問し、その教会で起こった問題の解決に当たったり、教会の指導者を訓練し たり、エルサレム教会への献金のお願いをしました。もっとも、この献金のこと は、使徒行伝では余り言われていませんが、第2コリント8、9章などから分 かります。そして、パウロの手紙の多くが、この伝道旅行の時に書かれました。 これは、パウロの去った後で、いろいろな人(その中には律法を守らなければ救 われないとするユダヤ主義者たちもいました)がやって来て、パウロを誹謗した り、パウロの説いた福音とは違う教えをして、教会を混乱させたので、それに対 する自己弁明や正しい福音を主張するためでした。それと共に、パウロは彼の神 学をまとめました。それが「ローマ人への手紙」です。 さて、第3伝道旅行も、パウロはアンテオケから出発し、キリキヤを通り、ガ ラテヤの諸教会を訪問した後、フルギヤを通って、エペソに行きます(18・2 3、19・1)。 このエペソは、当時25万人の大都会でした。パウロは、ここに約2年間滞在 して、福音を伝えました。使徒行伝の著者ルカは、パウロのエペソでの伝道が実 り豊かなものであったことを評価して、「このようにして、主の言はますます盛 んにひろまり、また力を増し加えていた」と進展報告をしています(19・20 )。 ところがその後、このエペソにおいて、大騒動が起こり、パウロは命からがら マケドニヤに向かいました。この事件については、19章23ー41節に詳しく 記されています。すなわち、アルテミス神殿の模型を作っていたデメテリオとい う人が、パウロの伝道のおかげで利益が上がらなくなったというので、市民を 巻き込んで騒ぎを起こしたのです。この時は、市の書記役が群衆を押し静めたの で、パウロはやっとのことで助かりました。 その後パウロは、マケドニヤ(ピリピ、テサロニケ)とギリシア(コリント) を一回りして(20・2)、ピリピから船でトロアスに渡り、そこに7日間滞在 した後(20・6)、アソス、ミテレネ、キヨス、サモスに寄って、エペソは避 けて、ミレトに行きました。エペソを避けたのは、先程のアルテミスの神殿の 職人に命を狙われていたからです。パウロは自らエペソに行けなかったので、こ のミレトから使いをエペソにやって、エペソの教会の長老たちを呼び寄せました (20・17)。ただ、この使徒行伝の時代はまだ、長老制度というものは、確 立していなかったようです。ルカはここで、教会の代表者のことを長老と言って いるのでしょう。28節では「監督者」と言われています。 パウロは特にこのエペソの教会のことを心配でありました。集まってきた長 老たちを前にして、彼は重要なことを述べます。それは、20章18ー35節に 記されています。ここでパウロは、自分はもうすぐ死ぬということを覚悟してい ます。 今や、わたしは御霊に迫られてエルサレムに行く。あの都で、どんな事 がわたしの身にふりかかって来るか、わたしにはわからない。ただ、聖 霊が至るところの町々で、わたしにはっきり告げているのは、投獄と患難と が、わたしを待ちうけているということだ。しかし、わたしは自分の行程を 走り終え、主イエスから賜った、神のめぐみの福音をあかしする任務を果し 得さえしたら、このいのちは自分にとって、少しも惜しいとは思わない。 (22ー24節) ここでパウロは、エルサレムに苦難が待ちうけていることを予想しながら、いたっ て平静な気持ちでいます。彼は、自分の生涯を振り返って、自分に与えられた道 を十分に走り尽くした、と満足な気持ちを持っています。彼は第2テモテ4章7 節では、「わたしは戦いをりっぱに戦いぬき、走るべき行程を走りつくし、信仰 を守りとおした」とも言っています。 私達は果たして、自分の人生を振り返って、これほど満足な気持ちを持つこと が出来るでしょうか。死ぬ時に、私達は自分の人生が立派な人生であったと、 誇ることが出来るでしょうか。ただ、パウロは、この世的な意味においては決し て幸福な生涯ではありませんでした。使徒行伝の中にも、彼が何度となく迫害さ れたり、投獄されたりした記事があります。パウロ自身、次のように言っていま す。 今の今まで、わたしたちは飢え、かわき、裸にされ、打たれ、宿なしで あり、苦労して自分の手で働いている。はずかしめられては祝福し、迫 害されては耐え忍び、ののしられては優しい言葉をかけている。わたしたち は今に至るまで、この世のちりのように、人間のくずのようにされている。 (第一コリント4・11ー13) このような苦難の連続であったにもかかわらず、パウロは、今自分の生涯を振り 返って、いたって満足な気持ちを持っています。それは、かれがキリストにしっ かりと捕らえられているということを常に思っていたからです。彼はガラテヤ人 への手紙において、「生きているのは、もはや、わたしではない。キリストが、 わたしのうちに生きておられるのである」と言っています。このキリストによっ て生かされた人生というものに彼は誇りを持っていたのです。 さて、パウロは、次に、エペソの教会の長老たちに勧告をします。 どうか、あなたがた自身に気をつけ、また、すべての群れに気をくばっ ていただきたい。聖霊は、神が御子の血であがない取られた神の教会を牧さ せるために、あなたがたをその群れの監督者にお立てになったのである。 (20・28) ここでパウロは、教会のことを、「神が御子の血であがない取られた神の教会」 と言っています。教会はキリストの十字架の尊い血の犠牲によって建てられたも のです。それゆえパウロは、教会を大切にするのです。今度の第3伝道旅行にお いても、パウロはかつて建てた教会を訪問しています。デルベ、ルステラ、イコ ニオム、アンテオケというのは、第一伝道旅行において彼が建てた教会ですし、 マケドニヤのピリピ、テサロニケ、ギリシアのコリントは第2伝道旅行において 建てた教会です。そのような教会をひとつ一つ訪ねて、その教会がきちんとして いるかということに、心を配っているのです。パウロの手紙を見ますと、それら の教会には、実に色々な問題が起こりました。しかし、それら欠けある教会も、 キリストの尊い血で贖い取られた教会なのです。私達の教会も、キリストの尊い 血で贖い取られた教会であることを常に思わなければなりません。 次にパウロは、エペソの教会の代表者に一つの警告をしています。 わたしが去った後、狂暴なおおかみが、あなたがたの中にはいり込んで きて、容赦なく群れを荒すようになることを、わたしは知っている。 (20・29) この「狼」は、悪の勢力の象徴として、聖書にしばしば登場します。これは、一 つには、教会に対して反感を持つこの世の勢力を意味しているでしょう。パウロ は、エペソにおいてアルテミス神殿の偶像を造る職人の扇動によって、危うく殺 されそうになりました。キリスト教は、そのような偶像礼拝を否定して、天地創 造の真の神を礼拝することを説くわけですから、この世の勢力からは常に狙われ る危険にあります。また、教会は外側からの攻撃だけでなく、内側からも揺さぶ られます。ここで「あなたがたの中に入り込んでくる」と言われているのは、む しろ教会内部の「違った福音」(ガラテヤ1・6)のことかも知れません。事実、 ガラテヤの教会は、ユダヤ主義者によって相当掻き乱されました。 このような「狼」に対して、パウロの勧めたのは、み言葉に堅く立つ、という ことです。 今わたしは、主とその恵みの言とに、あなたがたをゆだねる。御言には、 あなたがたの徳をたて、聖別されたすべての人々と共に、御国をつがせ る力がある。 (20・32) パウロはエペソの人々と別れて、もうすぐ死ぬかも知れない。その代わり、み言 葉にエペソの教会を委ねる、というのです。このみ言葉こそ、歴史を貫いて、教 会の最も堅い基盤となりました。このみ言葉こそ、「救いを得させる神の力」で す(ローマ人への手紙1・16)。私達の教会も、このみ言葉を唯一の土台とす る必要があります。 このようにして、ミレトでエペソの長老たちを集めて話をした後、パウロは船 でパレスチナに向かいます。それは、エルサレムに上るためでした。しかし、パ ウロ自身も予感していましたし、多くのキリスト者も、パウロがエルサレムに上 るのははなはだ危険である、と言って、注意しました。ツロのキリスト者も そうでしたし(21・4)、カイザリヤでもそうでした。カイザリヤでは、こん な事がありました。 幾日か滞在している間に、アガボという預言者がユダヤから下ってきた。 そして、わたしたちのところにきて、パウロの帯を取り、それで自分の 手足を縛って言った、「聖霊がこうお告げになっている、『この帯の持 ち主を、ユダヤ人たちがエルサレムでこのように縛って、異邦人の手に渡す であろう』」。 (10ー11節) このアガボが行ったようなことは、旧約の預言者にもしばしばあり、象徴行為と 言われています。これは、預言者の行った通りのことが起こるという予言でした。 今アガボがパウロの帯で自分の手足を縛ったというのは、パウロがエルサレムで 逮捕される、ということを示しています。そこで、これを見ていた人々は、そん な危険な所に行かないでほしい、と言って一生懸命パウロをとめました(12節) 。この12節に「わたしたち」とありますから、一生懸命とめた一人に、使徒行 伝の著者ルカも交じっていました。 その時パウロは答えた、「あなたがたは、泣いたり、わたしの心をくじ いたりして、いったい、どうしようとするのか。わたしは、主イエスの 名のためなら、エルサレムで縛られるだけでなく、死ぬことをも覚悟してい るのだ」。 (13節) 20章22節ではパウロは「御霊に迫られてエルサレムに行く」と言っています。 すなわち、ここでパウロが敢えて危険を犯してまでもエルサレムに上るのは、パ ウロの考えや計画からではなく、神のみ旨であったのです。神のみ旨であったか らこそ、自分も危険だと予感し、友人たちも一生懸命とめたにもかかわらず、そ れを実行したのです。そして、彼の友人たちも最後は、「主のみこころが行われ ますように」と言うしかありませんでした(21・14)。 パウロがエルサレムでユダヤ人たちに捕らえられるのは、実は「主のみこころ」 だったのです。彼はローマの市民権を持っていましたので、ローマで裁判を受け たいと申し出ました。そしてそれが認められ、囚人という不自由な形でではあり ますが、とにかく念願のローマに行くことが出来たのです。そのようにして、福 音が世界の中心地に達したのです。