パソコンとグレゴリオ聖歌と


日本基督教団 札幌北光教会牧師 岸本和世


 「国境の長いトンネルを抜けると雪国だった」。これは言うまでもなく、川端康成の『雪国』の書き出しである。(わが北海道はトンネルを抜けなくても雪国である)。私の場合は「長いトンネルを抜けると(読む者悟れ)パソコンの世界だった」となる。

 昨年の暮れに一念発起してパソコンを購入した。機種選定もセットも指導も全部小原克博牧師にお任せである。今の所彼がいなければ何ごとも進まない。でも、機械を手にしたその日にアメリカに注文を出して、2週聞ほどでM・Mの新刊本を手にした。知人のYさんに知らせたところ、「コンピューターは楽しみですね。世の中変わります」という手紙をいただいた。確かに毎日が新しい発見の連続なのだ。この原稿を依頼された前日に、パソコンでCDが聴けることを発見。翌日にはへッドフォンのプラグを差し込む穴を発見。ステレオで聴けるではないか。そのようにしてこの原稿は、パソコンからへッドフォンを通じて流れるグレゴリオ聖歌を聴きながら、パソコンのキーを叩いて書いている。

 この原稿のことを、パソコン・オーソリティ(おたく?)の小原先生に話したら、「パソコンとグレゴリオ聖歌とはピッタリですよ。あの単旋律の音楽が全米のチャートで上位にランクされたのは、パソコン・ブームと無関係ではありません」とわが意を得たりと話してくれた。確かにそのとおり。ポリフォニックな曲でも聴けないことはないのだが、少し忙しすぎる感じである。それが、あのホモフォニックでゆっくりと流れるように進むグレゴリオ聖歌なら、忙しく手を動かしていても、あるいは考えごとをしていても、まったく邪魔にならないだけでなく、むしろ心を洗ってくれるようなのである。  さて、私は子どもの頃から音楽と離れたことはない。教会堂の中にあった牧師館で育ったため、讃美歌を中心とした歌の世界が私の子守歌でもあった。敗戦直後のキリスト教ブームの中で、地方教会でも結構な人数の聖歌隊があった。指揮者は二俣松四郎氏。変声期の私も何とか潜り込ませてもらった。その後は、高校で授業はサボッても音楽部室には入りびたり、大学でも同様、そのうちに飯清――中嶋正昭――岸本羊一という先輩の後を受けて、同志社学生聖歌隊の指揮をすることになった。この聖歌隊のメインになっていたのは、花の日礼拝でのハイドンの『天地創造』であった。いまでもリユニオンがあると、うん十年前の青春の日を思い起こしながらこれを歌うのが楽しみで、全国から仲聞が集まって来る(ここでは、グレゴリオ聖歌は関係がないが)。

 さて年月が経って、私は教団事務局の仕事をするようになった。時あたかも『讃美歌第二編』の編纂作業が進行中であった。どういう訳か、私は讃美歌委員会の主事という仕事を(ほかの仕事と兼任で)仰せつかった。そこでグレゴリオ聖歌と出会うことになったのである。第二編の84番から92番まで。  教団の仕事を離れて福岡の教会の牧師となったとき、礼拝で第二編を積極的に使うようにした。グレゴリオ聖歌も使いたかったが、会衆にとって必ずしも歌いやすいわけではない。87番『世の成らぬさきに』だけはクリスマスに必ず歌うことにした。それ以釆、今の教会でもこれはクリスマスの定番である。今度の讃美歌改定でも、この歌は(改訳されたが、この訳もよい)採用されそうである。牧師でいる限り、クリスマスには必ず歌おうと思っている。

 いま手元に『癒しとしてのグレゴリオ聖歌』(柏書房)がある。その書き出しは「今、世界中に微笑みの輪が広がっています。愛と優しい心から生まれたその微笑みは、年齢や職業を超えて人々をとりこにしています。そして、その微笑みを伝えてくれるのが、荘厳な『グレゴリオ聖歌』なのです」とある。ここでのカッコつきのグレゴリオ聖歌とは、ビルボード誌のクラシック・チャートのトップだけでなく、ポップス・チャートでも3位にランクされ、3週聞でゴールド・ディスク、5週間でプラチナ・ディスクに、売り上げはこの本が書かれている時点(1994年)で約400万枚にのぼったサント・ドミンゴ・デ・シロス修道院聖歌隊による『チャント』のことである。

 この本には、次のような興味のあるエピソードが記されている。第二バチカン公会議の後、あるフランスの修道院で『聖歌』を聖務日課からはずすことにしたところ、それまで1日3〜4時間の睡眠でも元気だった修道士たちが、非常に疲れ、病気にかかりやすくなり、聴力も落ちていった。聖歌を歌わなくなった修道士たちは、脳を活性化する毎日のエネルギー補給ができなくなっていたのである。いろいろの調査の結果、毎日聖歌を歌うことを再開した。その結果、何百年と続いた修道院内で普通に行われていた、長時間の祈りと、短い睡眠、計画に従った労働の生活に戻ることができたという。何と示唆に富む出来事だろう。忙しい生活に疲れを覚える毎日である。どんどんグレゴリオ聖歌を聴こう。パソコンから流れてくる聖歌を聴こうではないか。

 さあ、『キリスト教音楽名曲100選』(教団出版局)で紹介されている「グレゴリオ聖歌の名曲」(20頁)を、パソコンを使ってアメリカに注文してみよう。まずスイッチを入れる。40秒で立ち上がる。マウスを「マイ・コンピューター」のアイコンに合わせてクリックする。ダイアログ・ボックスが出てくる。その中のAUDIO CDをクリックする。そうするとグレゴリオ聖歌がスピーカーから流れ出す。さて、モデムのスイッチを入れる。インターネット用のアイコンをクリックする。パス・ワードを入れて接続すると、次にNetscape Navigatorのアイコンをクリックする。出てきた画面の表示のうちからBookmarksをクリックする。その中のShoppingをクリックし、次にCD-NOW(http://cdnow.com/)をクリック。そしてFind Classicalをクリック。Search Textにgregorian chantと入れてPerform Searchをクリックすると25件の演奏家名が出てきた。Benedictine Monksをクリックする。出た。10ドル77セント。早速注文の手続きに入る。送科がちょっと高く10ドル11セント(多分航空便だろう。次からは何枚か一緒に注文すれば、送科が節約できる)。計20ドル88セント(日本で買えば1500円)。これで数日の内に『100選』お勧めのCDが手にはいる。始めての体験でちょっと波れたが、もう大丈夫。世界がまた確実に広がった。