『戦責告白』のとらえ直しを
日本基督教団 札幌北光教会牧師 岸本和世
戦後五十年をおぼえるさまざまな宮みが行われた一九九五年が過ぎ、新しい年が始まった。今年どのようなことが起こるとしても、教団として「『戦責告白』のとらえ直し」に取り組むことをを提案したい。教団は、昨年までの時点でいえば、たしかに日本の中で『戦責告白』を公にした唯一の教会であった。しかし、昨年には多くの教派や団体・学校が過去の「戦争協力」に対する反省・懴悔を行った。その中には、明治学院のように戦中貢任だけでなく戦後責任にまで踏み込んだ告白もある。
去る十二月二十日の朝日新聞によると、中山学院長は『告白』では富田満元学院理事長(教団統理)や矢野貫城元学院長について触れた、と語っておられる。 それと比べて教団の『告白』は、発表と同時に教団内で多くの反対意見が出されたため、「五人委負会」が設置され、その結果まさに骨抜き同然のものにされてしまったのである。その経緯については『福音を恥とせず』(教団出版局)の雨宮論文に詳しいが、その委負会の見解が常議員会の公式のものとして今も生きていることは重大である。それを基にして見る限り、教団の『告白』は決して責任を明確にしていないことになる。早すぎた『告白』だったのだろうか。
私自身はこの『告白』を受け止めた歩みをしてきたつもりであるが、昨年噴出した「沖縄問題」などに現れた戦後責任を考えると、また上記のような骨抜き的な『告白』の位置付けを思うと、いまこそ真剣に「とらえ直し」と戦後責任を視野に入れた新たな『戦争責任告白』を、さらに言えばそのような意味を踏まえた新たな『教団信仰告白』制定に向けた歩みを、始めるべきだと考えるのである。