3、ルカによる福音書1章:57ー66節

  「その名はヨハネ」



 今日の箇所は、バプテスマのヨハネの誕生の物語りです。
バプテスマのヨハネがイエスの前に活動して、イエスに洗礼を授けたということ
は、4つの福音書すべてに記されています。
しかし、その誕生について記しているのは、ルカによる福音書だけです。
ヨハネの父は、ザカリヤという人で、エルサレム神殿の祭司であった、というこ
とは1章の前の所で学びました。
このザカリヤが聖所に入って、香をたいていた時、天使ガブリエルに、妻エリサ
ベツに男の子が与えられる、というみ告げを受けました。
しかし、ザカリヤは、妻が年を取っていたために、そんなことはない、と天使の
言葉を信じませんでした。
そのために、彼は口がきけなくされていたのでした。
しかし、天使の言葉は成就し、エリサベツに男の赤ちゃんが生まれました。
ガブリエルは、20節の所で、「時が来れば成就するわたしの言葉」と言ってい
ますが、まさに神の言葉は成就しました。
そして、これは、聖書の基本的な信仰です。
神の言葉は、必ず成就するのです。
57節。
  エリサベツは月が満ちて、男の子を産んだ。
ここで、「エリサベツは月が満ちて」とあります。
子供が生まれる時は、お母さんのお腹の中で十分に成長して、臨月が来て、生ま
れるものです。
いきなり生まれるということはありません。
このお腹の中で過ごす期間というのは、赤ちゃんにとってとても大切でありま
す。
しかし、お母さんにとっては、とても苦しい時でもあります。
そして、お母さんは、やがて誕生の時を迎える希望において、この時を耐えなけ
ればなりません。
神の言葉も、そうです。
いきなり成就する、という訳ではありません。
イエスは、宣教の初めに「時は満ちた、神の国は近付いた」と言いましたが、こ
の時が満ちるまでにも、かなりの期間を要しました。
旧約の時代がそれです。
旧約の時代は、いわば、赤ちゃんがお腹の中で過ごす時のようです。
しかし、人間にとって、この母のお腹の中で過ごす時が、非常に重要であるよう
に、私達にとっても旧約聖書はとても重要なのです。
ルカは、この「月が満ちて」という言葉の中に、神の言葉の成就、ということを
思っているようです。
 さて、この男のこの誕生には、近所の人々や親族も非常に喜びました。
58節。
  近所の人々や親族は、主が大きなあわれみを彼女におかけになったことを聞
  いて、共どもに喜んだ。
周りの人も、この男の子の誕生は、神の業だと信じたのです。。
神の恵みを共どもに喜んだのです。
 さて、幼子に名前をつける時が来ました。
周りの人は、父の名にちなんでザカリヤという名を提案しました。
しかし、エリサベツは、「ヨハネという名にしなくてはいけません」と言いまし
た。
これは、天使ガブリエルによって、ザカリヤに伝えられていたことでした。
13節。
  そこで御使が彼に言った、「恐れるな、ザカリヤよ、あなたの祈りが聞きい
  れられたのだ。あなたの妻エリサベツは男の子を産むであろう。その子をヨ
  ハネと名づけなさい。
ただし、ザカリヤは、この後、口がきけなくなりました。
そこで、エリサベツとは、直接には何も話していないはずです。
恐らく、筆談によって、ザカリヤは、エリサベツに、産まれて来る子の名を教え
ていたのでしょう。
そこで、「ヨハネという名にしなくてはいけません」と非常にきつい調子で言
っています。
そこで、周りの人々は、直接ザカリヤに尋ねたのです。
63節。
  ザカリヤは書板を持ってこさせて、それに「その名はヨハネ」と書いたの
  で、みんなのものは不思議に思った。
ヨハネというのは、「神は恵み深い」という意味です。
ここには、聖書の神の本質が言われている。
聖書の神は、恵み深い神です。
バプテスマのヨハネは、旧約の預言者の系列に属する者です。
旧約の預言者と言えば、人々に厳しい裁きを伝えました。
このヨハネも、都会から離れ、荒野に住み、そこで悔い改めを宣べていました。
彼は、特に都会の指導者階級に厳しい裁きの言葉を語っていました。
預言者は、神の言葉を伝える者でしたが、多くの預言者は、このように、人々の
罪を指摘し、人々に裁きを宣言しました。
しかし、裁きの宣言をする神も、実は恵み深い神なのです。
神の目標は、人々を裁くことではなく、人々を救うことなのです。
そしてそのために、神は預言者を遣わせて、人々を悔い改めに導いたのです。
 さてここで、ザカリヤが「その名はヨハネ」と書いたので、周りの人々は不思
議に思った、とあります。
これは、当時の習慣として、親戚にある名前をつけたのに、ザカリヤがそうしな
かったから、というのでなく、エリサベツもザカリヤも一致して、「ヨハネ」と
いう名を主張した背後にただならぬ意志が働いていたことを感じ取ったからでし
ょう。
この二人の断固たる態度の背後に、神の意志を感じさせられたのでしょう。
64節。
  すると、立ちどころにザカリヤの口が開けて舌がゆるみ、語り出して神をほ
  めたたえた。
ザカリヤが口がきけなくなったのは、天使ガブリエルの言葉を信じなかったから
でした。
しかし、今、その言葉を心から信じ、み告げの通り、子供の名前をつけたことに
よって、再び口がきけるようになったのです。
 そして、ザカリヤが開口一番したことは、神を賛美した、ということです。
そして、この賛美した内容は、恐らく、68ー79節の括弧に入れられている詩
でしょう。
これは、ラテン語では、「ほむべきかな」という言葉が一番最初に来ており、そ
れが Benedictus という語なので、一般に「ベネディクトゥス」と言われていま
す。
46節からの「マリアの賛歌」は、マグニフィカートと言われましたが、この「
ザカリヤの賛歌」は、「ベネディクトゥス」と言われています。
ただし、この詩は、「ヨハネ」の誕生について直接は何も言われていません。
ただ、76ー77節には、次のようにあります。
  幼な子よ、あなたは、いと高き者の預言者と呼ばれるであろう。
  主のみまえに先立って行き、その道を備え、
  罪のゆるしによる救いを
  その民に知らせるのであるから。
ここには、幼な子が、主の道を備える者だ、ということが、暗示されています。
従って、バプテスマのヨハネのことだ、と言えなくもありません。
特に「罪のゆるしによる救を」とありますが、バプテスマのヨハネは、荒野に住
んで、人々に罪のゆるしのバプテスマを授けていた、と記されています。
そして、主イエスも、このヨハネから洗礼を受けています。
すなわち、主イエスが、活動するための準備をしたのが、このバプテスマのヨハ
ネです。
 何事にも、準備が必要です。
その準備がいい加減だと、結果もいい加減になってしまいます。
十分な準備をすれば、いい結果が得られます。
神は、「時が満ちて」キリストが、この世に来られる前に十分な準備をされまし
た。
それが、預言者たちであり、また旧約聖書全体です。
そして、神は最後に、預言者として、バプテスマのヨハネを用意されたのです。
そして、そこには、ヨハネの名前の意味のように、神の深い恵みが隠されている
のです。
73ー75節。
  すなわち、父祖アブラハムにお立てになった誓いをおぼえて、
  わたしたちを敵の手から救い出し、
  生きている限り、きよく正しく、
  みまえに恐れなく仕えさせてくださるのである。
ここに、「アブラハムにお立てになった誓いをおぼえて」とあります。
これは、創世記12章の所で、神がアブラハムを通して、全人類を祝福する、と
誓ったことを表しています。
神は、私達人間をこよなく愛し、一人も滅びることを欲さないのです。
そうではなく、一人でも救われることを望んでいるのです。
そしてそのために、み子イエスをお遣わしになったのです。
「その名はヨハネ」、すなわち神は私達を深く恵むのです。
このことを覚え、クリスマスのよき準備をしたいと思います。

(1990年12月16日)