5、ルカによる福音書2章22ー24節
「子供への神の恵み」
今日は、教会の暦では、「子供の日・花の日」に当たっています。 そこで、例年のように花を飾って礼拝します。 神様が私達に下さった美しい自然の恵みに感謝しつつこの礼拝を守りたいと思い ます。 この子供の日と花の日は、元々は別々の由来であったようです。 花の日の由来ははっきりとは分からないのですが、「子供の日」は、アメリカで 始まりました。 1856年と言いますから今から135年前になります。 アメリカのマサチューセッツ州チェルセアのチャールス・レオナルド牧師は、子 供達が神を信じ、神に従う信仰生活は、小さいときから始めるほどよいと思い、 また父母にもすすめ、両親が子供を神に捧げる日として6月の第二日曜日に、特 別の礼拝をまもったのが始まりとされています。 伝道の書12章1節に「あなたの若い日に、あなたの造り主を覚えよ」というみ 言葉がありますが、まさにそれを主張したのです。 そして、レオナルド牧師は、「両親が子供を神にささげる日」にした、というの ですが、これは聖書の最初からの伝統と言っていいでしょう。 子供は、人間が造ったというのではなく、神から授かったものです。 ですから、本来子供は神のものであり、それゆえ神に捧げるべきものです。 聖書においても、これを特に強く意識した母親は、実際に生まれた子供を神に捧 げたのでした。 そういう人をナジル人と言います。 例えば、ハンナの子として生まれたサムエルや、エリサベツの子として生まれた バプテスマのヨハネなどはそうです。 ハンナのことは、サムエル記上1章11節にあります。(P.382) そして誓いを立てて言った、「万軍の主よ、まことに、はしための悩みをか えりみ、わたしを覚え、はしためを忘れずに、はしために男の子を賜ります なら、わたしはその子を一生のあいだ主にささげ、かみそりをその頭にあて ません」。 そしてハンナは、実際に生まれた子のサムエルを、祭司エリの所に預けたのでし た。 ここでハンナが、「かみそりをその頭にあてません」と誓っていますが、これが 当時神に捧げられた人であるナジル人のしるしであったようです。 士師記に出て来るあの怪力の持ち主サムソンもナジル人であり、彼は女の人のよ うに長い髪の毛であった、と言われています。 また、バプテスマのヨハネについては、ルカによる福音書1章13ー15節にあ ります。(P.82) そこで御使が彼に言った、「恐れるな、ザカリヤよ、あなたの祈りが聞きい れられたのだ。あなたの妻エリサベツは男の子を産むであろう。その子をヨ ハネと名づけなさい。彼はあなたに喜びと楽しみとをもたらし、多くの人々 もその誕生を喜ぶであろう。彼は主のみまえに大いなる者となり、ぶどう酒 や強い酒をいっさい飲まず、母の胎にいる時からすでに聖霊に満たされてお り、」 ここで「ぶどう酒や強い酒をいっさい飲まず」とありますが、これがナジル人の しるしでありました。 さて、このようなナジル人は、特別な人でしたが、一般の人も、子供が産まれ たなら、それを神に捧げる気持ちを表すことをしていました。 今日のテキストは、イエスの両親がそのことのために神殿に詣でた、という記事 です。 22節。 それから、モーセの律法による彼らのきよめの期間が過ぎたとき、両親は幼 な子を連れてエルサレムへ上った。 当時のユダヤ人は、出産後しばらくすると、神殿に詣でることが習慣になってい ましたので、イエスの両親が特別このようなことをした、というのではありませ ん。 従って、両親が産まれた子供を連れて、神殿に詣でるという光景はめずらしくは なく、ほとんど毎日見られた光景であったでしょう。 この日もイエスの両親だけでなく、他にも同じような人がいたでしょう。 ここで「モーセの律法によるきよめの期間」とありますが、レビ記の規定を見ま すと、男子を出産したときは40日間、女子を出産したときは80日間、母親は 汚れている、と記されています。 イエスは男の子であったので、40日間が汚れの期間ということです。 この産後の汚れの期間というのは、宗教的なものでしたが、産後はしばらく無理 をせずに静かにしている、という実際的なことからも来ているようです。 とにかく、汚れの40日間の期間が過ぎたので、ヨセフとマリアは、幼な子イエ スを連れてエルサレム神殿にやって来たのです。 この宮詣での目的は二つあります。 すなわち、一つは母親の汚れを清めてもらうということと、他の一つは幼な子を 神にささげる、というものです。 24節。 また同じ主の律法に、「山ばと1つがい、または、家ばとのひな2羽」と 定めてあるのに従って、犠牲をささげるためであった。 これは、母親の汚れを清めてもらう時の供え物の規定です。 ところが、レビ記12章の規定をみますと、燔祭として小羊と罪祭として家ばと のひなか山ばとのひな、とあります。 そして、小羊を買うことの出来ない人は、ここのテキストにあるように、山ばと か家ばとで代用することが出来たのです。 小羊1頭を求めるというのは、相当高価でした。 貧しい者は、それを買う余裕はありませんでした。 しかし、そのような貧しい者には、小羊の代わりに、はとで代用することが許さ れていたのでした。 ヨセフとマリアの家は貧しかったので、小羊を買うことが出来ずに、はとで代用 した、ということなのでしょう。 23節。 それは主の律法に「母の胎を初めて開く男の子はみな、主に聖別された者 と、となえられねばならない」と書いてあるとおり、幼な子を主にささげる ためである。 幼な子を主にささげる、と言っても、文字通りささげる訳にはいかないので、そ の代わりに犠牲の動物をささげる、ということが行われていました。 古代イスラエルにおいては、ある時期、外国から実際に自分の子供を捧げる偶像 が入り込んで来たことがありました。 そしてその習慣には、特に預言者たちが激しく反対しました。 これは、モレクという神ですが、例えば、敵に攻められて窮地に陥ったマナセと いう王様は、その危機の時に自分の子供をこのモレクに捧げて、危機から脱する 願いをした、と言われています。 子供は最も貴重なものなので、それを捧げることによって、最も大きな願いご とが聞かれる、という迷信だったのです。 アブラハム物語りにおいて、アブラハムはやっと与えられた息子のイサクをモリ ヤの山で燔祭に捧げるように命じられました。 しかし、これは最終的には、天使によってそのことが差し止められました。 そしてこれは、当時の我が子をモレクの神に捧げる習慣を批判したものだ、と言 われています。 とにかく、イスラエルの信仰では、我が子を実際に燔祭などで捧げるということ はなく、その代わりに何かの動物を捧げたのでした。 そしてそのことを通して、子供を神にささげる気持ちを表したのです。 収穫感謝の時も、収穫物の初穂を神に捧げましたが、これも一番いい初穂を捧げ ることによって、神から与えられた収穫物の全部を神に返すという気持ちを表し たのです。 これらのことは、非常に形式的ではありますが、その根本にあるものは、非常 に重要なことを示していると思います。 すなわち、聖書の考えからすると、子供は神のものであって、決して親の所有物 ではありません。 本来は、神に返すべきものです。 それゆえに、親のエゴで子供を育てるのではなくて、神のみ旨に従って育てるべ きものです。 マリアとヨセフは、まさにそのような信仰をもって、ガリラヤのナザレからエル サレムに詣でたのでした。 ここにイエスの両親の素朴な信仰が見られます。 さて、子供は、神から与えられたもので、本来神に返すべきものですが、それ が私達人間に授けられ、育てることを委ねられたのです。 神のものであるゆえに、神はその子を豊かに恵んで下さるのです。 40節。 幼な子は、ますます成長して強くなり、知恵に満ち、そして神の恵みがその 上にあった。 神はまず、子供を豊かに成長させて下さいます。 子供は自分で勝手の育つのではありません。 また、親の面倒だけでもありません。 その背後に神の恵みがあるのです。 パウロは、コリント人への第一の手紙の中で、「わたしは植え、アポロは水をそ そいだ。しかし成長させて下さるのは、神である。」と言っています。 また、「だから、植える者も水をそそぐ者も、ともに取るに足りない。大事なの は、成長させて下さる神のみである。」と言っています。 親は、確かに植えたり、水を注いだり、します。 しかし、子供の成長そのものをなさしめるのは、神です。 もし、神の恵みがなければ、わたしたちは、1センチだって成長しないでしょ う。 今日は、子供の日で、子供の成長を喜ぶ訳ですが、何よりもまず、このように 成長させて下さった神の恵みに感謝をささげなければならない、と思います。 (1991年6月9日)