17、ルカによる福音書6章12ー19節
「十二使徒の選び」
イエスは、バプテスマのヨハネより洗礼を受けた後、ガリラヤ地方で伝道さ れ、多くの人に神の国を宣べ伝え、また病人を癒しました。 そしてしばらくして、重大なことをしました。 それは、十二人の使徒を選ぶ、ということでした。 12節。 このころ、イエスは祈るために山へ行き、夜を徹して神に祈られた。 ここでイエスは、まず「山に」登った、とあります。 この山がどこの山かは詳しい説明がないので、分かりません。 ガリラヤ地方にあったそれほど高くない山でしょう。 「山」は、旧約以来、祈りのために退く場所であり、神の啓示が行われる場所で した。 モーセは、シナイ山で神に出会い、啓示を受けました。 預言者エリヤもイスラエルの王妃イゼベルの迫害を逃れて、、神の山ホレブに行 き、そこで神と出会っています。 イエスはある時、3人の弟子を連れて高い山に登り、そこでモーセとエリヤに出 会って、普段隠しておられたメシアとしての秘密を現されました。 さて、イエスは、この山で、夜を徹して祈られた、とあります。 イエスは、しばしば熱心に祈られました。 特に何か重大なことを決定する時は。 有名なのは、十字架にかかる前のゲッセマネの園での祈りでしょう。 ルカによる福音書では、その時イエスは、血の汗を流して祈られた、とありま す。 ここでは、イエスの宣教の業を託するにふさわしい十二人が選ばれるようにとの 祈りであったでしょう。 13節。 夜が明けると、弟子たちを呼び寄せ、その中から十二人を選び出し、これに 使徒という名をお与えになった。 イエスの周りには大勢の弟子たちが集まっていました。 そしてイエスは、ここでその中から使徒として十二人を選んだ、というのです。 イエスはここで、なぜ使徒を選ばれたのでしょうか。 そしてその人数は、なぜ十二人だったのでしょうか。 また、多くの弟子の中からどういう基準で選んだのでしょうか。 イエスは、恐らく、ご自分の働きはそう長くはない、と思っていたのでしょ う。 苦難を受けて死ぬということが神のみ心である、ということを、恐らく最初から 認識していたのではないでしょうか。 それゆえに、彼の後を同じ働きをしてくれる人を真剣に求めていたのではないで しょうか。 山での徹夜の祈りがそれを暗示しています。 実際イエスの活動は短く、その後初代教会では、十二使徒が中心となって、福音 を伝えて行ったのです。 ですから、イエスが選んだ十二使徒は、後の教会にとって非常に重要でした。 「使徒」というのは、代理として全権を与えられた者」という意味です。 まさに、十二使徒は、イエスから全権を委託されて、イエスの業をなしたので す。 では、イエスは、なぜ、使徒に十二人を選んだのでしょうか。 これは恐らく旧約聖書の伝統に従ったものでしょう。 イスラエルは、十二の部族からなっていました。 ですから、十二で、イスラエルの全体を表し、またこれは理想的な数とされまし た。 ただ、使徒が十二人というので、イスラエルの全体というよりは、全世界が暗示 されています。 この十二人から福音が全世界に伝えられていく、ということでしょう。 さて、この十二人は、どういう基準で使徒に選ばれたのでしょうか。 彼らは皆、優秀で、信仰も篤かったのでしょうか。 必ずしもそうではありません。 一番弟子のペテロは、何の教養もないガリラヤの漁師でした。 そしてイエスが捕らえられて、大祭司の官邸に連れて行かれた時、そこに居合わ せた人に、「お前もあの男の仲間ではないのか」と問われましたが、その時「あ んな男は知らない」と3度も打ち消して、イエスを裏切りました。 ゼベダイの子ヤコブとヨハネは、「イエスが未来の王になった時、一人を右に一 人を左に座らせてくれ」と言い、権力の座に就こうとしました。 また、トマスは、イエスが復活したことを他の弟子に聞いた時、「わたしは、そ の手に釘あとを見、わたしの指をその釘あとにさし入れ、またわたしの手をその 脇に差し入れてみなければ決して信じない」と言いました。 すべて、優秀とは言えず、イエスに忠実とは言えない人ばかりでした。 すしろイエスを悩ませ、イエスの足手まといになる時も多かったのです。 しかも、5章のシモン・ペテロの召命の記事、及びその後の取税人レビの召命の 所にもあったように、彼らは決してイエスの信奉者ではなかったのです。 しかもこの十二人の中には、やがてイエスを裏切るイスカリオテのユダも含まれ ていたのです。 しかし、イエスは、余り自分に役に立たない者、しかも自分を裏切ることさえす る者をあえて選ばれたのです。 これは、選ばれた側の人間には何等選ばれる理由はなく、イエスの側からの全く 一方的な選びでした。 十二人が山に集められた記事は、教会の姿が暗示されているのではないでしょ うか。 私達の教会も、一人ひとりを取ってみると、やはり弱い、欠けの多い、そしてあ る場合にはイエスを裏切ることさえする者であるかも知れません。 しかし、イエスは、このような私達をも憐れみ、弟子として選んで下さったので す。 私達が、キリスト者として召し集められているのは、私達の側に何かそれにふさ わしい理由があるからではありません。 全く神の側の一方的な選びなのです。 ここで、使徒の一人ひとりを見ていきます。 14ー16節。 すなわち、ペテロとも呼ばれたシモンとその兄弟アンデレ、ヤコブとヨハ ネ、ピリポとバルトロマイ、マタイとトマス、アルパヨの子ヤコブと、熱心 党と呼ばれたシモン、ヤコブの子ユダ、それからイスカリオテのユダ。 まず最初の挙げられているのが、シモンです。 彼はガリラヤ湖の漁師でした。 このシモンにイエスは「ペテロ」というあだ名をつけました。 これは「岩」という意味です。 しかしこれは、彼の性格からつけられたのではありません。 すなわち、彼が岩のごとく、しっかりした性格の持ち主であった、というのでは ありません。 イエスのみ心にかなわないことをして、イエスを悲しませたこともしばしばあり ました。 しかしかれは、ある時イエスのことを「あなたこそ、生ける神の子キリストで す」と告白しました。 この信仰告白に対してイエスは、岩と言われたのです。 そしてイエスは、この信仰告白の土台の上に教会を建てようと言って、ペテロと 名付けたのです。 次はペテロの兄弟アンデレですが、彼は他の所では余り記されておらず、陰の 薄い人物でした。 その次は、ヤコブとヨハネの兄弟です。 ヤコブという名の弟子は、もう一人おり、15節にアルパヨの子ヤコブというの があります。 二人を区別するのに、最初の方を大ヤコブ、アルパヨの子を小ヤコブと言うこと もあります。 このヤコブとヨハネの兄弟も、ペテロと同じガリラヤの漁師でした。 このヤコブとヨハネには、「ボアネルゲ」というあだ名がつけられていました。 これは「雷の子」という意味です。 これは両者とも、激しい性格を持っていたからでしょうか。 そのようなことから、この二人は、権力欲が強く、イエスが王になったら、その 次の位につけてくれるように頼んでいます。 その次のピリポは、共観福音書では、他に述べられていません。 しかし、ヨハネによる福音書にはしばしば登場し、最初はバプテスマのヨハネの 弟子であったようです。 バルトロマイは、ここにしか出ません。 アンデレ同様、影の薄い存在でした。 その次のマタイは、取税人でした。 あるいは、5章27節に出た取税人レビのことではないか、と思われます。 トマスは、共観福音書では、ここだけにしか出ませんが、ヨハネによる福音書 では4か所に出ます。 イエスと双子であったという伝説もあります。 理性的で実証的だったので、イエスの復活を他の弟子から聞いても信じませんで した。 アルパヨの子ヤコブは、このリストにしか出ません。 次は、「熱心党のシモン」。 熱心党というのは、ゼロテ党とも言われ、反ローマ運動のグループで、イスラエ ルの自由をローマ人から武力で戦い取ろうとしていた革命分子でした。 ヤコブの子ユダは、マルコによる福音書ではタダイと言われています。 この人も聖書には他の所に出ませんので、詳しいことは何も分かりません。 最後は、イスカリオテのユダです。 彼は弟子集団の会計をまかされていて、イエスによって重視されていた人物で す。 しかし、彼は最後は、銀30枚で、イエスを敵に売るのです。 こう見てきますと、ここに呼び集められた者は、実に種々様々な人達です。 育ちも、教養も、考え方も、政治的立場も、てんでばらばらです。 取税人もおれば、熱心党もいました。 取税人は、ローマのためにその下働きをしていましたし、熱心党はそのローマに たいして抵抗運動を行っていました。 むしろ真反対の立場にあった、と言っていい。 激しい者、活発な者もいれば、全く影の薄い者もいました。 しかし、イエスは、このような様々な人々を、使徒として選び、ご自分のもと に呼び集められたのです。 そして、この雑然として人間的なあらゆる弱さを含んだ十二人の集団は、また私 達教会の縮図でもあります。 教会に集まる人も決して一様ではありません。 多種多様な人々と言ってもいい。 環境も違えば、考え方、立場もいろいろです。 しかしこのような私達も、イエスによって同じ教会に召し集められているので す。 そしてその選びは、私達の側に何等かの理由があったからではありません。 むしろ私達は、多くの欠けをもった者たちです。 信仰的にも弱い者たちです。 ただ主が呼び集めて下さっただけです。 私達は、その主の呼びかけに答える者でありたいと思います。 (1991年9月15日)