22、ルカによる福音書7章24ー35節

  「先駆者ヨハネ」



 この箇所は、イエスがバプテスマのヨハネについて語っている所である。
福音書は、イエスの前に、この洗礼者ヨハネを登場させている。
マルコによる福音書においては、まず洗礼者ヨハネがヨルダン川で悔い改めの
バプテスマを宣べ伝えていた、という記事から始まっている。
また、ルカによる福音書では、イエスの誕生に先立って、このヨハネの誕生の
記事がある。
それによると、洗礼者ヨハネは、祭司ザカリヤと妻エリサベツの間に、老年の
子として生まれ、その名前は神によって示されたものであった。
ルカによる福音書1:15には、次のようにある。
「・・・」
これは、旧約聖書のサムソンやサムエルと同様にナジル人であった。ナジル人
というのは、神に捧げられた人という事で、生涯を神につかえる人である。
ナジル人になる場合、自分の決心によってなる場合もあるし、ヨハネのよう
に、生まれる前に既に母親がそう決める場合もあった。
ヨハネの母エリサベツは老年になり、不妊の女であったが、その時神から子が
与えられたので、その子を神に捧げる決心をした。
ヨハネの両親は、この子が胎内に宿った時、この子が既に神に捕らえられてい
ることを信じて、この子を生涯神に仕える者にしようと決心したのである。
 さて、ヨハネは成長すると、死海に近いユダの荒野で過ごした。そこで、人
々に「罪のゆるしを得させる悔い改めのバプテスマを宣べ伝えていた」が、
「このヨハネは、らくだの毛ごろもを身にまとい、腰に皮の帯をしめ、いなご
と野蜜とを食物としていた」と言われている。
旧約の預言者エリヤを思わせるような姿であった。
当時ヨハネは、正統的なユダヤ教とは別の集団を作っていたようである。
この集団の実態は分からないが、彼らは荒野に住んで、都会的文化を避け、禁
欲生活をしていた、と思われる。
 当時のユダヤ教は、大きく分けて3つの派があった。
一つはサドカイ派で、これは神殿を中心とする貴族階級で、どちらかと言うと
この世の権力者であった。
もう一つは、パリサイ派で、これは律法に忠実な者であった。
宗教生活の指導者であった。
もう一つはエッセネ派で、エルサレムを中心とする正統的なユダヤ教を批判し
て、それから分かれたもので、死海の周辺に住んでいた。洗礼者ヨハネは、こ
のエッセネ派と関係があったようである。
彼は、サドカイ派やパリサイ派の人々、特に権力者を非難し、彼らに激しい言
葉を投げかけている。
 今日の所で、ヨハネは、獄の中から二人の弟子をイエスの所に使いにやって
いる。
18ー19節。「・・・」
彼が獄に捕らえられた記事は、3:18ー20にある。
「・・・」
ここで、ヘロデと出るのは、イエスが生まれた時のユダヤの王であったヘロデ
の息子に当たり、ガリラヤの領主であった。
一般にヘロデ・アンティパスと言われている。
この妻ヘロデヤのことで、ヨハネから非難されていた、とある。
このヘロデヤは、元は、ヘロデ・アンティパスの腹違いの兄弟のつあであった
が、ヘロデ・アンティパスの方が権力があったので、陰謀によって、すなわ
ち、ヘロデをそそのかして、ヘロデの妻を追い出させ、自分が妻の座についた
のである。
その時連れ子として連れて来たのがあのサロメである。
ヨハネは、この結婚を律法に違反するものとして、すなわち姦淫の罪として、
激しく非難したのである。
それだけでなく、いろいろな不正に対して堂々と非難したので、ヨハネはヘロ
デにとって煙たい存在であった。
そのため、ヘロデは、この煙たいヨハネを逮捕して、マケルスの要塞に投獄し
たのである。
ヨハネは、この獄の中で、イエスの宣教活動のことを伝え聞き、イエスが果た
して待望していたメシアかどうかを尋ねに行かせた。
 イエスは、このヨハネから洗礼を受け、元々はヨハネの弟子であった。
しかし、いつしか、二人は、離れて行ったようである。
二人は、同じ神を宣べ伝えたのであるが、主張点は全く反対であった。
ヨハネは世の不正を追及し、厳しい神の裁きを伝えた。
ルカによる福音書3:7ー9。「・・・」(p.87)。
神の裁きの日が近付いている、それゆえ悔い改めよ、と。
一方、イエスは、先週学んだように、「主の恵みの年」を宣べ伝えた。
4:18ー19。「・・・」(p.89)
今日の所でも、ヨハネへの答えとして、22節のように言っている。神のあわ
れみ、神の愛、福音を伝えたのである。
 このように、二人の主張点は、大きく異なったが、しかしイエスは、このヨ
ハネを非常に高く評価した。
28節で、「女の産んだ者の中で、ヨハネより大きい人物はいない」と言って
いる。
そして、預言者の預言で言われていたのが、このヨハネである、と言う。
27節。「・・・」
これは、マラキ書3:1の預言である。
そして、メシアが来る前に、預言者エリヤが来る、と信じられていた。
マラキ書4:5。「・・・」
メシアが現れる前に、預言者が現れてその道備えをするが、その預言者はあく
まで道備えをする者であって、自らがメシアになるのではない。
ヨハネは、この自覚を強くもっていたようである。
彼には、弟子も多くいた。
その中には、恐らく、彼をかづぎ上げる者もいたであろう。
しかし、彼は自らメシアと自称するのでなく、あくまで「来るべきかた」を待
っていたのである。
そして今、獄にあって、いつ死ぬかも分からない。
この時にあって、彼の願いは、自分が道備えをしているそのメシアは誰かとい
うことを知りたい、ということだけであった。
ここに、ヨハネの証し人としての姿がある。
 彼は、メシアの到来に備えて、ひたすら、神の裁きと悔い改めを説いた。
そして当時の人々で、このヨハネの悔い改めを受け入れてバプテスマを受けた
人もいれば、それを無視した人もいた。
29ー30節。「・・・」
 そして、その事情は、メシアであるイエスの福音についても同じである。
人々は、厳しい裁きの言葉だから受け入れない、というのでなく、イエスの恵
みの福音さえもすなおに受け入れないのである。
それをイエスは、31節で、「今の時代の人々」と言っている。
これは、神の言葉を受け入れない不信仰な時代を言っている。
「今の時代」と呼ばれている状況は、現在の私達の時代もそうであろう。
人間中心、物質中心で、神の言葉がないがしろにされている。
神の言葉が語られても、すなおにそれを受け入れない。
やはり、現在も不信仰な時代であろう。
 それをイエスは、当時の子供の遊びにたとえている。
32節。「・・・」
子供たちが広場でやっていたというこの遊びは、どんな遊びかははっきりとは
分からない。
しかし、イエスは、すなおでない、というたとえにこれを使っている。
この笛というのは、喜びの、特に結婚式の笛であろう。
結婚式の笛を吹けば、普通は、喜んでその曲に合わせて躍り出すのが普通である。
しかし、その喜びを素直に表すことが出来ない。
「弔いの歌」、これは葬式に歌われる歌であろう。
この悲しみの歌を聞けば、泣くのが普通である。
しかし、その悲しみを素直に表すことが出来ない。
それは、その喜びや悲しみを自分の心に受け入れることが出来ないからである。
 それとちょうど同じように、バプテスマのヨハネが神の裁きを宣べ、悔い改
めを迫ったのに、その言葉を受け入れず、かえって彼を気違い扱いした、とい
うのである。
また、イエスは、恵みの福音を伝えたのに、その言葉を素直に受け取らずに、
彼を「けしからん奴だ」と非難したのである。
どうして、素朴な、素直な信仰がもてないのだろうか。
そうイエスは、言っている。
これが、「今の時代」と言われているものである。
パリサイ人、律法学者は、自分達こそ知恵を持っている、として、バプテスマ
のヨハネやイエスの言葉を全く頭から受け入れなかった。しかし、イエスは、
神の言葉を素直に受け入れることこそ、本当の知恵だ、と言う。
35節。「・・・」
福音を心から喜んで受け入れることこそ本当の知恵である。
パウロは、「福音を恥とせず」と言っている。
また、旧約聖書の箴言では、「神を恐れることが知恵である」と言っている。
 ヨハネがキリスト到来の道備えをする先駆者であったが、教会は、キリスト
再臨の道備えをなすべく集団である。
ヨハネがキリストを証することを自分の任務としたように、私達もキリストを
証しすることを自分の任務としたい。
そして、神の言葉を素直に受け入れる信仰をもちたい。
そして、神の私達に与えて下さる恵みの福音を、心から喜ぶ者となりたい。

(1984年12月16日)