25、ルカによる福音書8章22−25節
「嵐を静める」
22節。 ある日のこと、イエスは弟子たちと舟に乗り込み、「湖の向こう岸へ渡 ろう」と言われたので、一同が船出した。 ここでイエスは、弟子たちと舟に乗った、とあります。 この湖は、勿論ガリラヤ湖のことです。 イエスは、最初ガリラヤ地方で伝道されましたし、弟子たちもこのガリラヤ 伝道の時に選ばれました。 従って、イエスの弟子たちも皆ガリラヤの人たちでした。 私達も先日イスラエル旅行をして、このガリラヤ湖の周辺を見て来ました が、とても自然の美しい所です。 イエスは、ガリラヤ伝道の拠点をガリラヤ湖の北の町であるカペナウムにお かれました。 ここには、ペテロの家があり、このペテロの家を拠点にされていたようで す。 私達も、このカペナウムの町には行きました。 そこには、会堂(シナゴグ)の跡があり、またペテロの家の跡もありまし た。 さて、イエスと弟子たちは、このカペナウムから舟に乗ったと思われま す。 私達もカペナウムからガリラヤ湖の西にあるティベリアという所まで船に乗 りました。 途中、沢山のかもめが船の後からついて来たのが印象的でした。 そして船の上から見るガリラヤの丘は緑が豊かでとてもきれでした。 イエスと弟子たちがこの時どこに行こうとしたのかははっきりとは分かりま せんが、26節を見ると、ゲラサ人の地とあります。 これは私達が渡ったティベリアとは反対の、東にある町です。 現在は、ヨルダン領になっています。 現在は、ガリラヤの真ん中が境界線になっていて、西がイスラエル、東がヨ ルダンで、イスラエルからヨルダンには簡単には行けません。 イエスの時代も、ゲラサ人の地は、異邦人の地であり、ガリラヤの人は余り 行かなかったようです。 イエスもガリラヤ周辺をよく歩いて伝道されましたが、それは専ら北と西の 地方であり、東に行ったというのは、次のゲラサ人の地に渡ったという記事 くらいです。 23節。「・・・」 渡って行く間に、イエスは眠ってしまわれた。すると突風が湖に吹きお ろしてきたので、彼らは水をかぶって危険になった。 舟に乗るとイエスは眠ってしまわれた、とあります。 あるいは、イエスは余程疲れていたのかも知れません。 讃美歌121番に「食するひまもうちわすれて、しいたげられし人をたずね 」とありますが、イエスのガリラヤ伝道はいわゆるハードスケジュールでし た。 あちらの町、こちらの村を歩いては、人々に語り、また病人を癒したり、文 字通り休む暇もありませんでした。 現代人も非常に忙しく、電車や乗物では、寝ている人をよく見かけます。 私も、電車に乗ると割りとすぐ寝る方です。 やはり私も忙しい現代人の一人なのでしょう。 ここでイエスが眠ってしまわれたというのは、勿論常日ごろ、否たった今 まで非常に多忙で、疲れたからでしょう。 イエスが眠られたという記事は、何かしら私達にホッとさせるような気がし ます。 イエスは、神の子であり不死身なのだ、どんなに忙しくても決して疲れたり しないのだ、というのではありません。 私達と同じく、やはり疲れることもあり、眠くなることもある、ということ です。 ピリピ人への手紙の「キリスト賛歌」に「おのれをむなしうして人間の姿に なられた」とありますが、これは文字通り、私達と全く変わらない人間にな られた、ということです。 それゆえにこそ、人間の痛みや悲しみを知り給うのです。 しかしそれだけではなく、ここでイエスが眠ってしまわれたのは、神に対 する絶対的な信頼からでもあるでしょう。 ここでイエスたちが乗り込んだ舟は、小さな舟です。 数年前にガリラヤ湖畔のゲネサレという寒村でいっそうの小さな舟が見つか りました。 これの年代を学者が調べた所、今から2千年位前のものだ、ということが分 かりました。 ですからこれは、イエスがガリラヤ湖で乗っていた舟と同じ種類のものだと いうことになります。 その発見された舟は、幅2.3メートル、長さ8.2メートルのもので、今 はキブツに保存されています。 イエスがここで乗り込んだ舟も、恐らくそのような小さな舟だったでしょ う。 そして勿論手で漕ぐものだったでしょう。 先日私達がカペナウムからティベリヤまで乗った船は、数十人も乗れる大き なものでした。 ですから全然危険は感じませんでした。 しかし、ここでイエスたちの乗り込んだ舟は、10人も乗れば一杯だったで しょう。 非常に不安定なものだったと思われます。 ですから、途中で寝るというようなことは普通なら出来なかったと思いま す。 現に弟子たちは、不安を覚えながら、眠る余裕などなかったでしょう。 しかしここでイエスが眠ってしまわれたのは、疲れておられたこともあった でしょうが、すべてを神に委ねて、安心しておられたからではないでしょう か。 さて、舟が沖に出た時に、突風が吹きおろしてきた、とあります。 ガリラヤ湖は、回りが山に囲まれて、盆地のようになっています。 そこで、山から強い風が吹き降りるならばそれが湖の上を回るようになり、 それで嵐になる時があるそうです。 現在でもそれは、時々起こるそうです。 弟子たちの乗った舟は、突然嵐に見回れ、水か舟の中に入ってきて、はなは だ危険になった、というのです。 さて、この物語りは、マルコによる福音書にもマタイによる福音書にも記 されており、弟子たちの体験した実際の出来事が元になっていることは間違 いありません。 しかしこれは、福音書が書かれた時代の状況の中でさらに印象的に受け取ら れていったようです。 舟は、しばしば、教会を表す象徴とされてきました。 そこに突然嵐が襲い掛かった、というのは、教会に対する迫害の状況が考え られます。 このルカによる福音書が書かれたのは、紀元80年頃と言われています。 この時、教会は、既に、ローマ帝国による最初の大迫害を経験していまし た。 即ち、紀元64年にローマ帝国による最初の迫害が皇帝ネロによって行われ ていました。 紀元64年7月18日に、ローマに大火事が起こりました。 火は6日間燃え続け、ローマの町全体の3分の1が灰に帰しました。 そしてこれは、ネロがその大火を見ながら詩を作るために放火したのだ、と いううわさが立ちました。 そこで、ネロ帝は、自分への非難をかわすために、その放火の罪をキリスト 教徒に転嫁したのでした。 そこでキリスト教徒は、放火の疑いで捕らえられ、獄に入れられ、残虐なやり 方で殺された、と伝えられています。 そして伝説によりますと、このネロ帝の迫害の時に、ペテロもパウロも殉教 した、と伝えられています。 このキリスト教徒に対する最初の迫害者であったネロは、異常性格の持主 だったと言われています。 非常に猜疑心が強く、身内の者も信用することが出来なくて、次々と殺して いきました。 そして最後には、自分の妻や母親まで殺してしまうのです。 先日の旅行において、ギリシアのコリントに行った時、そこの博物館にネロ 帝の像がありました。 猜疑心の強い異常性格の人ということですが、像を見た限りでは、そんな感 じのしない端整な顔をしていました。 さて、このネロ帝の迫害は、初期のキリスト教会に大きな動揺を引き起こ しました。 ルカによる福音書が書かれた時は、この迫害のことを十分知っていました。 そこで、この話は、迫害の中で動揺している教会の状況と重ね合わせて読ま れたことでしょう。 ローマ帝国という大海原にあって、そこにただよう1漕の小さな舟。 それが教会です。 海が穏やかな時は、静かに進むことが出来ますが、一度嵐に遭うと、風に翻 弄される木の葉のように揺れ動きます。 大海原の真ん中にある1漕の舟は、全く無力です。 初期のキリスト者は、そういう実感をもっていたことでしょう。 24節の「先生、先生、わたしたちは死にそうです」という言葉の中に、そ の実感が表れています。 24節後半−25節。 イエスは起き上がって、風と荒浪とをおしかりになると、止んでなぎに なった。イエスは彼らに言われた、「あなたがたの信仰は、どこにある のか。彼らは恐れ驚いて互いに言い合った、「いったい、このかたはだ れだろう。お命じになると、風も水も従うとは」。 ここでイエスは、嵐に向かって叱った、とあります。 嵐は、いろいろな形で私達に襲いかかる試練と言ってもいいでしょう。 そのようなものに、私達は恐れます。 弟子たちのように、しばしば私達も「死にそうです」と叫びたくなります。 また、主の祈りにあるように、「試みに合わせず、悪より救い出し給え」と 祈ります。 そのような叫びや祈りに主イエスは、耳を傾けて下さるのです。 耳を傾けて下さるだけでなく、私達に襲い掛かる嵐に向かって叱り、それを 止めて下さるのです。 「あなたがたの信仰は、どこにあるのか」というのは、叱責の言葉というよ りは、励ましの言葉です。 「しっかりしなさい。私がついているから、恐れてはならない」という励ま しの言葉です。 弟子たちは、この主イエスの言葉にどれだけ励まされたことでしょう。 また、ローマ帝国の迫害に遭っていた初期の教会のキリスト者も、この言葉 に強く励まされました。 それは、この主イエスの言葉は、単なる気慰めの言葉ではないからです。 実際イエスの言葉に、風も水も従ったのです。 主イエスは、すべてを支配する真の支配者なのです。 私達の教会には、現在、はっきりした形での迫害というものはありませ ん。 しかし、小さな舟を飲み込もうとする波はいろいろな形で起こっているので はないでしょうか。 また、私達が信仰をもって生きようとする時、いろいろな形でそれを妨害す るものがあります。 そしてそういうものに対して私達は、しばしば無力です。 しかし、私達は、この世のいろいろな力に動揺させられたり、恐れたりする のでなく、真の支配者であるキリストに常により頼む者となりたいと思いま す。 (1992年3月15日)