28、ルカによる福音書8章49−56節

  「ただ信じなさい」



 ルカによる福音書8章40−56節には、二つの奇跡物語が含まれていま
す。
すなわち、会堂司ヤイロの娘の話と、長血をわずらっていた女の話しです。
そして、この間は、長血をわずらっていた女の話を学びましたが、これは、
会堂司ヤイロの娘の話の間にはさまっていました。
今日は、その前後にまたがっている会堂司ヤイロの娘の話を学びます。
40節。

  イエスが帰ってこられると、群衆は喜び迎えた。みんながイエスを待ち
  うけていたのである。

この前の場面において、イエスは、ガリラヤ湖の東のゲラサの地で悪霊に憑
かれた人を癒したが、その地の人達は、イエスに「自分たちの所から立ち去
ってほしい」と言いました。
ガリラヤ湖の東の地ではイエスは余り歓迎されなかった、否迷惑がられたの
です。
しかしここでは、「群衆は喜び迎えた」とあります。
ここは、ガリラヤ湖の北西の町カペナウムだと思われます。
イエスは、ガリラヤ伝道の拠点をここにおきました。
ここにはペテロの家がありました。
41節。

  するとそこに、ヤイロという名の人がきた。この人は会堂司であった。
  イエスの足もとにひれ伏して、自分の家においでくださるようにと、し
  きりに願った。

さて、湖を帰って来たイエスに早速ヤイロという人が会いに来ました。
このヤイロは、会堂司であった、と記されています。
この会堂は、シナゴグと言いますが、この当時、ユダヤ人が礼拝するのに、
このシナゴグがどんな小さな町にもあった、と言われます。
彼らは、大きな祭りの時は、エルサレムの神殿に詣でることをしましたが、
普段の礼拝は、専らこのシナゴグで行っていたのです。
カペナウムにおいてイエスもしばしばこの会堂に入って聖書の話をされたと
いうことです。
会堂司というのは、礼拝の世話をする責任者で、社会的にも地位の高い人で
した。
先日のイスラエル旅行において、私達もこのカペナウムの会堂の跡を見てき
ました。
ガリラヤ湖を一望に見下ろせる、自然の美しい丘陵地にありました。
壁や円柱が残っていましたが、床から上は、紀元4世紀のころのものという
ことでしたが、その土台は、イエスの時代のものだ、ということでした。
そして、そのすぐ近くにペテロの家の跡というのもありました。
ただそこは、その上にフランシスコ会の教会が建っていて、余りはっきりは
分かりませんでした。
 さて、ルカによる福音書4章には、イエスが、このカペナウムの会堂で一
人の悪霊に憑かれた人を癒した記事があります。
ですから、恐らくその会堂司であったヤイロは、その現場に居合わせたと思
われます。
そこで、自分の12歳のひとり娘が重病になった時、是非ともイエスに癒し
てもらいたいと思ったのでしょう。
彼はイエスの足下にひれ伏した、とあります。
当時の会堂司は、相当地位の高い人でした。
ですから、こういう態度に出るということは、普通なら考えられないことで
した。
ここに、この会堂司の謙虚な面が伺えます。
そして、彼は、心からイエスのことを信頼していたのでしょう。
「ひれ伏す」というのは、その者に対する絶対的な信頼の態度です。
礼拝というのは、旧約聖書においては元々、神の前にひれ伏す、ということ
です。
イスラム教では、今日でも、礼拝はこのような態度をします。
先日の旅行においても、エジプトにおいて、朝早く町に響くコーランの声で
目が覚めましたが、ホテルの窓から外を見ますと、畑にゴザのようなものを
敷いて、人々がメッカの方に向かって、文字通り、額を地面につけてひれ伏
していました。
非常に敬虔な姿だと思いましたが、彼らはアラーの神に絶対的な信頼をして
いるのでしょう。
 さて、ヤイロはイエスとは初対面ではありませでした。
イエスが会堂で話をされたのをしばしば聞いていた、と思われます。
あるいは、彼が礼拝についての責任をもっていたので、彼がイエスに会堂で
話をするように頼んだのかも知れません。
 さて、彼が一生懸命お願いをして、イエスたちが出掛けようとした時、長
血をわずらっている女が登場します。
そしてイエスは、この女性と接触します。
一刻も争う時です。
この時のヤイロの気持ちは、記されていませんが、恐らく、こんな女と関わ
らないで、早く自分の家に急いでほしい、と思ったのではないでしょうか。
しかしヤイロは、イエスにそのようなことを要求はしませんでした。
人間は、自分中心的ですから、不幸なことが起こったら自分が一番不幸だと
思い、自分に緊急なことが起こったら自分が一番緊急だと思い、自分に重要
なことが起こったら、自分のことを一番優先すべきだと思います。
ましてヤイロの場合、自分の娘が死にかけている訳ですから、それが一番緊
急であって、長血の女性のことは後回しにすべきだ、と思っても当然かも知
れません。
しかし、この会堂司は、そのようなことをイエスに要求はしませんでした。
自分にとっては、自分の娘のことを最優先させたかったでしょうが、イエス
にとっては長血の女性との接触も同じように重要だったのです。
ヤイロは、イエスにすべてを信頼したのではないでしょうか。
それゆえに、自分中心的な思いでイエスに無理を言わなかったのではないで
しょうか。
 その時、家から使いの者がやって来ました。
49節。

  イエスがまだ話しておられるうちに、会堂司の家から人がきて、「お嬢
  さんはなくなられました。この上、先生を煩わすには及びません」と言
  った。

この使いの者の言葉には、非難の響きがあります。
途中でぐずぐずしているからお嬢さんはなくなったのだ、もっと急いで来て
くれたら助かったのに、という響きです。
そして死んだ以上、もうイエスに来てもらっても何の役にも立たない、とい
う非難です。
ヤイロは、自分の娘が死んだというのを聞いて、ガックリ来たでしょう。
しかしそのことを彼は、イエスがぐずぐずしていたからだ、と言ってイエス
を咎めたりはしませんでした。
人間は、どうしようもないことでも、自分に不幸なことが起こった場合、何
か人を責めたくなるというような心理状況になります。
ましてこの場合、イエスが自分の娘のことを最優先してくれなかったから
だ、という思いになっても不思議ではありません。
しかし、ヤイロは、そういうようにしてイエスを咎めたり、恨んだりはしま
せんでした。
ここにもヤイロという人の人柄が現れているように思います。
否、人柄というよりは、イエスに対する信頼から来るものでしょう。
 この事態になって、イエスの方がまず語ります。
50節。

  しかしイエスはこれを聞いて会堂司にむかって言われた、「恐れること
  はない。ただ信じなさい。娘は助かるのだ」。

ここでイエスが一番先に言われたのは、「恐れるな」ということです。
この会堂司が自分の娘の死に直面して、一番感じたのは恐れかも知れませ
ん。
愛する者と、再び会うことが出来ない、という恐れです。
恐れというのはしかし、不信仰に通じます。
神を信じないというところから恐れが生じます。
ですから、「恐れるな」というのと「ただ信じなさい」というのは、同じこ
とを言っているのです。
ヨハネの第一の手紙4章18節には、

  完全な愛は恐れをとりのぞく

とあります。
これを信仰と置き換えてもいいと思います。
すなわち、「信仰は恐れをとりのぞく」。
ここで、イエスは、自分の娘の死に直面して恐れの気持ちを抱いている会堂
司に対して、「ただ信じなさい」と勧めます。
旧約聖書において、神が人間に、特に預言者に出会う時、しばしば「恐れる
な」ということを言いました。
これは「私を信じなさい」ということと同じです。
受胎告知を受けたマリアも、天使ガブリエルによって、「恐れるな」と言わ
れました。
また、イエスの誕生を告げられた、羊飼たちも、み使いによって「恐れる
な」と言われました。
主イエスは、また、私達に対しても「恐れるな」と言っておられるのではな
いでしょうか。
そして、「ただ信じなさい」と言っておられるのではないでしょうか。
 さて、イエスは会堂司の家にやって来ました。
52−53節。

  人々はみな、娘のために泣き悲しんでいた。イエスは言われた、「泣く
  な、娘は死んだのではない。眠っているだけである」。人々は娘が死ん
  だことを知っていたので、イエスをあざ笑った。

人々がイエスをあざ笑ったとありますが、これはパウロがアテネのアレオパ
ゴスの評議所でキリストの復活のことを述べた時に、アテネの市民がパウロ
に対してなした態度と同じです。
復活を信じるなどということは、世間一般の人にはあざ笑いの対象でしかな
いのでしょう。
しかしイエスは、「ただ信じなさい」と言われます。
疑うトマスに対してイエスは、「信じない者にならないで、信じる者になり
なさい」と言われました。
パウロは、コリント人への第一の手紙15章20節で、

  しかし事実、キリストは眠っている者の初穂として、死人の中からよみ
  がえったのである。

と言っています。
最後の敵として死を滅ぼしたのが、キリストです。
キリストは、死をも克服されるお方です。
そこで、ここでもヤイロの娘を生き返らせました。
54−55節。

  イエスは娘の手を取って、呼びかけて言われた、「娘よ、起きなさい」
  。するとその霊がもどってきて、娘は即座に立ち上がった。イエスは何
  か食べ物を与えるように、さしずされた。

ここでイエスは、「食べ物を与えるように」とさしずされたのです。
おもしろいことです。
しかし、イエスは、私達の命というのを非常に大事にされます。
そこで、娘の食事のことを心配されたのでした。
私達もただイエスを信じる信仰をもちたいと思います。

(1992年5月17日)