30、ルカによる福音書9章18−27節
「自分の十字架を負うて」
18節。 イエスがひとりで祈っておられたとき、弟子たちが近くにいたので、 彼らに尋ねて言われた、「群衆はわたしをだれと言っているか」。 ここには、場所が記されていませんが、同じ記事を伝えるマルコによる福音 書によりますと、ピリポ・カイザリアという町となっています。 これは、ガリラヤの東北にあるヘルモン山の麓で、ヨルダン川の水源の地方 です。 カイザリアというのは、皇帝という意味で、当時この地方を治めていたピリ ポが、この町を豪華に再建して、これを当時のローマ皇帝アウグストゥスを 称えるために、このような名前をつけたのでした。 ここには、パンというギリシアの神の神殿がありました。 この異教の町で、イエスは「ひとりで祈った」とあります。 イエスはよく祈られました。 そしてしばしば、イエスは弟子たちと一緒に祈るのではなく、弟子たちから 離れて「ひとりで」祈られました。 これは何故でしょうか。 祈りというのは、神との対話です。 イエスは、この神との対話において、ご自分の使命が何であるか、神のみ旨 が何であるかを常に問うていたのでしょう。 ここでイエスは、神にひとりで祈り、神のみ旨を確かめ、そしてそれを弟子 たちに教えようとされたのです。 そこで彼は、弟子たちに「人々はわたしをだれといっているか」と尋ねま す。 「イエスがだれか」ということは、キリスト教の最も根本的な問題です。 これに答えるのが、信仰告白ですが、この信仰告白によって、キリスト教が ユダヤ教から袂を分かったのです。 さて、尋ねられた弟子たちは、19節のように答えています。 彼らは答えて言った、「バプテスマのヨハネだと、言っています。しか しほかの人たちは、エリヤだと言い、また昔の預言者のひとりが復活し たのだと、言っている者もあります」。 「バプテスマのヨハネ」は、イエスに洗礼を授けた人物であり、ユダヤ人に は尊敬されていました。 このバプテスマのヨハネは、ヘロデ・アンティパスの妻ヘロデヤの策略によ って殺されました。 ヨハネの弟子や人々は、このことにショックを受けましたが、しかしヨハネ の再来が現れるという希望ももっていたようです。 そしてここで、人々の中には、イエスのことをバプテスマのヨハネの再来だ と言っていた人もいたようです。 次の「エリヤ」は、紀元前9世紀のイスラエルの偉大な預言者です。 この時代、アハブという王様がフェニキアの王女イゼベルと結婚したため に、フェニキアのバアル宗教が入り込み、ヤハウエの礼拝者が大迫害を受けま した。 そのときに、このバアル礼拝と戦ったのが、エリヤです。 彼は最後は死んだとは言われずに、列王紀下2章11節を見ますと、 エリヤはつむじ風に乗って天にのぼった。 と言われています。 そして旧約聖書の一番最後のマラキ書4章5節には、 見よ、主の大いなる恐るべき日が来る前に、わたしは預言者エリヤをあ なたがたにつかわす。 とあります。 すなわち、ずっと昔につむじ風に乗って天にあげられたエリヤが、再び地上 に遣わされて、世界の終末を告げる、というのです。 イエスの時代のユダヤは、ローマの圧迫下にあり、民衆は苦しい生活をして いましたので、世界の終末を期待する向きがありました。 そして、850年も前につむじ風に乗って天に移されたエリヤが、世界の終 末を告げるために再びつむじ風に乗ってやって来ることが期待されたので す。 そのような中で、イエスがこの再来のエリヤではないか、と思っていた人た ちがいたようです。 次に「預言者のひとり」だと言っていた人々がいた、というのです。 ここの預言者は、旧約の預言者と同列の者で、神から遣わされて、神の言葉 を伝える者ですが、ここでは特にメシアの到来を予言する預言者が意図され ているでしょう。 イエスも、メシアの到来を予言する預言者だと考えていた人々もいたようで す。 いずれにしても、これらの人々は、メシアその人ではなく、メシアの到来 を準備する人たちです。 一般の人々は、イエスをそのように見ていた、ということでしょうか。 次にイエスは、弟子たちに聞きます。 20節。 彼らに言われた、「それでは、あなたがたはわたしをだれと言うか」。 ペテロが答えて言った、「神のキリストです」。 この問いは、キリスト教信仰にとって、根本的な問いです。 そして、この問いは、世々のキリスト者が常に問われてきた問いですし、今 も私達に問いかける問いです。 イエスは、最初「群衆はわたしをだれといっているか」と聞きました。 これは世間一般の風評こと、いわばうわさです。 世間のうわさというのは、無責任なものです。 人はしばしば、世間のうわさに左右され、振り回されます。 しかし、大事なのは、自分がどう思うか、自分がどう判断するか、自分がど う信じるか、ということです。 そこでイエスは、弟子たちに、弟子たちの信仰を問うたのです。 イエスが、私達にとって、否この私にとって、どういうお方か、ということ が問題なのです。 これは、世間一般の風評といったものではなく、この私の主体的なもので す。 そして、その答えいかんによっては、命を賭けなければならない時もあるで しょう。 23節に、 だれでもわたしについてきたいと思うなら、自分を捨て、日々自分の十 字架を負うて、わたしに従ってきなさい。 とありますが、これはルカが生活していた当時の教会の厳しい現実が反映さ れていると思われます。 ローマ帝国の世界にあって、まさに「キリストを告白する」ことは、命がけ の時もあったのです。 私達の時代においては、信教の自由というのが保証されていて、このような 命を賭けるといった厳しいものがないのは、幸いだと思います。 しかし、やはり、キリスト者としての私達にも、それなりの十字架というの があるのではないでしょうか。 さて、ペテロは、弟子たちを代表して、「神のキリストです」と答えまし た。 マタイによる福音書のテキストにおいては、「あなたこそ生ける神の子キリ ストです」というふうになっています。 この信仰告白は、教会の一番最初の信仰告白であると同時に、私達にとって も一番根本的な信仰告白です。 マタイによる福音書のテキストにおいては、「この告白の土台の上に教会を 建てよう」と言っています。 教会の拠って立つ土台は、このイエスを神の子キリストとする告白です。 私達は、イエス・キリストとくっつけて言っていますが、これは最初から くっついていた訳ではありません。 イエスとキリストがくっつけられるには、初代教会での信仰の戦いがあった のです。 キリストというのは、ヘブル語のメシアのギリシア語訳です。 メシアというのは、元々「油注がれた者」という意味です。 これは、イスラエルにおいては、王が即位する時、預言者によって頭に油が 注がれたことに由来します。 従って、メシアというのは、元々は王のことでした。 しかし、紀元前6世紀にイスラエルの王国は滅ぼされ、王が存在しなくなり ました。 しかし、その後も、やがて本当の王が現れて、イスラエルの民を救うという 期待がなされ、そのような人をメシアとして待望しました。 イエスの時代にも、そのようなメシアがユダヤの民に期待されていました。 すなわち、当時ユダヤを支配していたローマから独立を勝ち取り、かつての ような国を再建する政治的な指導者です。 ペテロが答えた、「神のキリスト」というのは、あるいはそのような当時の 一般的な期待であったのかも知れません。 しかし、イエスは、そうではない、と言います。 22節。 「人の子は必ず多くの苦しみを受け、長老、祭司長、律法学者たちに捨 てられ、また殺され、三日目によみがえる」。 この時からイエスは、もう十字架を覚悟されていたのです。 当時一般に期待されていたメシアとは全く違った姿でした。 しかしこれが、神の意図された真のメシアだったのです。 当時の人達が考えていた権力的な支配者ではなく、私達の人間の罪を救うた めに、神のみ旨に従順に従って、苦難の道を歩まれる、それが真のメシアだ ったのです。 弟子たちも、イエスの生前には、それを悟らなかったのです。 21節に イエスは彼らを戒め、この事をだれにも言うなと命じた とありますが、これはキリストについての誤った理解を宣伝されてはならな い、という思いからでした。 「イエスはキリストだ」という告白をなす場合、それは一般的にそう言わ れているというのではなく、自分自身との関わりで捉えるべきことです。 すなわち、イエスは、この私の罪の贖いのために、十字架にかかられ、また 私達に永遠の命を授けるために、復活されたのだ、ということです。 このキリストの苦しみに少しでも与るのが、「自分の十字架を負う」とい うことです。 しかし、私達の苦しみは、根本的な所で、キリストの十字架によって、すで にキリストによって負われているのです。 私達の十字架をも、キリストが共に負って下さっているのです。 私達が負う十字架は、ほんのわずかのものでしょう。 コロサイ人への手紙1章24節。(P.315) 今わたしは、あなたがたのための苦難を喜んで受けており、キリスト のからだなる教会のために、キリストの苦しみのなお足りないところ を、わたしの肉体をもって補っている。 そして、この「十字架を負う」というのは、26節にあるように、キリスト とキリストの言葉を恥じとしない、ということです。 パウロは、ローマ人への手紙1章16節で、 わたしは福音を恥としない と言っています。 私達に命を与えるために十字架にかかられたキリストを心から信じ、このキ リストに生涯、全存在をかけて従って行く者となりたいと思います。 (1992年7月5日)