37、ルカによる福音書11章29−32節

  「ヨナのしるし」



 29節。

  さて群衆が群がり集まったので、イエスは語り出された、「この時代は
  邪悪な時代である。それはしるしを求めるが、ヨナのしるしのほかに
  は、なんのしるしも与えられないであろう。

イエスの周りには、常に大勢の人々が集まりました。
なぜ、いつも多くの人がイエスの周りに集まったのでしょうか。
イエスが話が上手だったからでしょうか。
それもあるでしょう。
イエスが病人を癒したからでしょうか。
それもあるでしょう。
イエスが貧しいガリラヤの民衆に親しく接したからでしょうか。
それもあるでしょう。
イエスの人柄というものが、多くの人を引き付けたのかも知れません。
しかしそれだけでなく、イエスは普通の人とは違う、偉大な人物である、何
か素晴らしい奇跡を行うのではないか、といった期待もあったでしょう。
そういう中で、当時の人々が思い浮かべたのは、旧約聖書に出てくるエリヤ
のことでした。
エリヤは、紀元前9世紀に、イエスの時代よりも八百年以上も前に活躍した
預言者です。
エリヤは、バアルの預言者たちとの戦いの時に、神に祈ることによって天か
ら火を下しました。
イエスの時代、エリヤのような人物が現れて、不思議な業を行い、苦しんで
いるユダヤの民を救う、という期待がありました。
そこでガリラヤの民衆も、ひょっとしたらイエスもエリヤのように天から火
でも呼び寄せることができるのではないか、という期待ももったようです。
16節に、

  またほかの人々は、イエスを試みようとして、天からのしるしを求め
  た。

とあります。
これは、エリヤのように天から火を下すことを言っています。
それに対してイエスは、「この時代は邪悪な時代である」と言っています。
イエスはしばしば、ご自分が生活された時代を「邪悪な時代」とか「不義な
時代」とか「不信仰な時代」だとか「曲がった時代」などと言いました。
旧約聖書においては、ノアの時代のことが「時に世は神の前に乱れて、暴虐
が地に満ちた」と言われています。
「暴虐」は、この世の犯罪、悪をいっていますが、これは「世が神の前に乱
れる」ことから来るという理解です。
すなわち、この世の悪は、神に対する不信仰と無関係ではないのです。
 現在の私達の時代はどうでしょうか。
最近の政治家の腐敗など新聞を賑わす色々な問題を見ますと、やはり「邪悪
な時代だ」という印象をもちます。
そしてこれは、日本においては、まことの神に対する信仰がない所から来て
いるように思えます。
イエスもここで「邪悪な時代」と言っていますが、これはいろいろな社会的
な悪ということもあるでしょうが、何よりも神に対する不信仰を言っている
のです。
当時の人々はしるしを求めた、というのです。
イエスは当時、神の国の福音を伝え多くの人々が彼に従って来ました。
しかし、イエスが本当に神の子なのか、ということに関しては、多くの人が
なお信じることができなかったのです。
そこで人々はイエスに、エリヤがしたように天から火を降らせよ、と言った
のです。
そしてそうすることが出来るなら信じようと言ったのです。
イエスが十字架に掛けられた時、その右と左にも犯罪人が十字架に掛けられ
ました。
その時、一人はイエスのことを神の子と信じましたが、もう一人は「もし神
の子であるなら十字架から降りてみよ」と言って信じませんでした。
 私達人間は、しばしば疑ぐり深く、実際に目で見たり手で触れたりできな
いものを中々信じようとしません。
何かしるしを求めるという傾向にあります。
何か具体的なものが欲しいのです。
イエスを信じることによって、私達は救いに入れられている、と言われます
が、それが何か目に見える形で欲しいのです。
神の愛を受けているといわれますが、その具体的なものが欲しいのです。
それが人間の弱さかも知れません。
 御利益宗教は、これに訴えます。
すなわち、この宗教を信じたならば、病気が治るとか、災難に遭わないと
か、財産を得るとか、ということを言います。
しかしイエスは、しるしを求めるのは、不信仰だ、と言います。
 さて、ここで「ヨナのしるし」とは一体何でしょうか。
32節。

  ニネベの人々が、今の時代の人々と共にさばきの場に立って、彼らを罪
  に定めるであろう。なぜなら、ニネベの人々はヨナの宣教によって悔い
  改めたからである。しかし見よ、ヨナにまさる者がここにいる。

ヨナというのは、ご存じのように、旧約聖書に出て来る預言者です。
彼は、神によって預言者の使命を与えられました。
それは、アッシリア帝国の首都ニネベに行って、そこの人々に神の裁きを伝
える、ということでした。
しかしヨナは最初、神を信じない異教の大都市ニネベに行って神の言葉を伝
えても誰も信じない、と思い、恐ろしさのために、船で別の方に逃げまし
た。
その後どうなったかということは、ヨナ書に記されておりますが、このヨナ
書はたった3ページですから、5分もあれば読めますので、是非ご自分でお
読み頂きたく思います。
最初ヨナは、邪悪な町の人々が神の言葉など聞くはずがない、と思っていた
のですが、実際にニネベに行って神の言葉を伝えると、町中の人々が皆信じ
て、悔い改めた、というのです。
ここでイエスが「ヨナのしるし」と言っているのは、ニネベの人々が何か具
体的な裁きのしるしを見たからではなく、ただヨナの言葉を聞いて信じた、
ということなのです。
28節。

  しかしイエスは言われた、「いや、めぐまれているのは、むしろ、神の
  言を聞いてそれを守る人たちである」。

ここでイエスは、神の言葉を聞いて、それを守る人が本当に恵まれた人、本
当に祝福された人である、と言っています。
ニネベの人々は、邪悪な人々であったにもかかわらず、ヨナの言葉を神の言
葉と信じたのです。
そして信じただけでなく、自分達の在り方を反省して、悔い改めたというの
です。
これが「ヨナのしるし」です。
しるしと言っても、当時のユダヤ人が考えていたような天から火を降らすと
いうようなものではなく、ただ神の言葉を信じるということなのです。
そしてイエスは、天から火が降ってくれば信じるといったしるしを求めるこ
とは不信仰だ、と言うのです。
 ここで、もう一人の人が引き合いに出されています。
これも旧約聖書の有名な話しです。
31節。

  南の女王が、今の時代の人々と共にさばきの場に立って、彼らを罪に定
  めるであろう。なぜなら、彼女はソロモンの知恵を聞くために、地の果
  てからはるばるきたからである。しかし見よ、ソロモンにまさる者がこ
  こにいる。

この「南の女王」というのは、シバの女王のことです。
シバというのは、アラビア半島の南の地方ですが、この女王はソロモンの知
恵が素晴らしいのを聞いて、はるばるイスラエルに訪ねて来たのでした。
シバからイスラエルまでは相当の距離でした。
その旅も並大抵ではなかったでしょう。
しかしシバの女王は、そんなに苦労してまでも、ソロモンの知恵を聞きたか
ったということです。
しかも彼女は、多くの贈り物を携えてやって来ました。
ここには、真実のものを求める求めというのがあります。
そしてキリストは、ソロモンよりもはるかに優る者です。
どんな遠くでも、またどんなに大金を払ってでも、会いに行く値打のあるお
方です。
しかしキリストは、キリストの方から私達の方に来て下さったのです。
 旧約聖書には、そのキリストの預言が各所でされています。
来週は、イザヤ書の「見よ、おとめがみごもって男の子を生む」というイン
マヌエル預言について学びます。
イエスの時代よりも700年も前からキリスト誕生の預言がされていまし
た。
このような預言は、イエスの時代の人々には旧約聖書がありましたから、多
くの人はよく知っていました。
しかしそれが、イエスだとは、ほとんどの人が信じていなかったのです。
イエスは、神の国の福音を伝え、大いなる業を行い、まさに神の子として活
動していたのですが、多くの人はイエスをキリストとはまだ認めていなかっ
たのです。
人々は、イエスが天から火を呼ぶような何か大いなるしるしを行うなら信じ
ようと考えたのです。
 ただ言葉だけというのは、中々信じられないものかも知れません。
私達も、例えば「百聞は一見にしかず」という諺がありますが、確かにただ
言葉を聞くだけというのでは中々信じられないということがあります。
人間の言葉ならそうでしょう。
証人喚問などを聞いていても、人間の言葉は余りあてにならない、という思い
をします。
しかし、聖書は神のみ言葉です。
私達は、余り当てにならない人間の言葉と、神のみ言葉をはっきり区別する
必要があります。
 今の私達の時代にイエスが実際にこの世におられる訳ではありません。
イエスの言葉を直接聞くことができる訳でもありませんし、イエスの行動に
直に触れることができる訳でもありません。
まして、イエスによる不思議な業を経験するということもできません。
しかしながら私達には、イエスの救いの業を証する聖書があります。
この聖書の御言が確実なので、何も目に見えるような不思議な事が起こる必
要はないのです。
テモテへの第一の手紙1章15節に次のようにあります。(P.327)

  「キリスト・イエスは、罪人を救うためにこの世にきて下さった」とい
  う言葉は、確実で、そのまま受けいれるに足るものである。

私達は、この聖書の証言を、そのまま受け入れたいと思います。
イエスは、そのことが私達にとって最も恵まれていることだ、と言われまし
た。
私達は、この最も大いなる恵みに与かっていることを覚え、感謝をささげた
いと思います。

(1992年11月29日)