50、ルカによる福音書17章11−19節

  「信仰による救い」



 11−13節。
  
    イエスはエルサレムへ行かれるとき、サマリアとガリラヤとの間を通ら
  れた。そして、ある村に入られると、十人のらい病人に出会われたが、
  彼らは遠くの方で立ちとどまり、声を張りあげて、「イエスさま、わた
  したちをあわれんでください」と言った。

イエスの伝道活動は、大体3年位であったようですが、その大半はガリラヤ
地方で行われました。
ガリラヤは、イスラエルでも北に位置し、イスラエルの中心であってエルサ
レムからはかなり遠く離れており、いわば辺境の地でした。
ガリラヤ地方は、自然に恵まれ、人間も素朴でした。
私達も昨年参りましたが、ガリラヤ湖の周辺は非常に自然の美しい所でし
た。
イエスは、このガリラヤ湖の周辺の地域で活動し、弟子たちもすべてこの地
方の人達でした。
そして、そのガリラヤとエルサレムのあるユダヤとの間にサマリアの地方が
ありました。
このサマリアに住む人とユダヤ人とは、宗教的な対立のために、普段はほと
んど交渉はありませんでした。
そこで、ユダヤ人がガリラヤからユダヤに行く場合、サマリアを通るのを避
け、迂回したのでした。
イエスも、サマリアにはほとんど足を踏み入れなかったようです。
ここで、イエスは、ガリラヤからエルサレムに行く途中で、「サマリアとガ
リラヤの間を通られた」とありますが、これはサマリア地方とガリラヤ地方
の境ということでしょう。
いわば、国境です。
ですから、サマリアに足を踏み入れたというのではないでしょう。
 さて、その境にある村に十人のらい病人がいた、というのです。
この村は、サマリアに属するのか、ガリラヤに属するのか、分かりません。
らい病というのは、現在は、その菌の発見者の名を取って「ハンセン病」と
呼ばれていますが、現在ではその治療薬が開発されたため、感染する人も発
病する人も全くなくなりました。
しかし、かつてかかった人は、離れ小島のような所に隔離され、肉親とも交
わりを断たれ、実に大きな苦しみを負わされていました。
現在でも、そのようなハンセン病の療養所が、例えば瀬戸内海の長島など、
日本各地にあります。
現在では、この病気はもはや感染することも発病することもないにもかかわ
らず、いまだに偏見や差別があります。
ですから昔はなおさらでした。
聖書でもらい病人がしばしば出てきますが、当時の社会においては、その偏
見・差別は非常に大きいものがありました。
らい病は、皮膚感染をするということから、それにかかった人は、社会から
締め出され、孤立した所に隔離され、そこで同じ病気の人と共同生活をした
のでした。
肉体的な苦痛に加え、肉親などからも隔離されるという精神的な苦しみもあ
り、生活も貧しく、何重もの苦しみでした。
昔ベン・ハーという映画があり、主人公のジュダのお母さんと妹がらい病に
かかり、町から離れた洞窟で仲間と暮らしていたシーンがありましたが、と
ても悲惨でした。
今日のテキストでも、十人のらい病人が、サマリアとガリラヤの国境の小さ
な村に隔離されて住んでいたようです。
彼らは、社会からも肉親からも、絶縁されて、集団で暮らしていたのです。
しかしここでは、サマリア人もユダヤ人も、一緒に暮らしていたようです。
ここに差別された者同士のいたわりあいがあったのかも知れません。
当時のユダヤの社会では、サマリア人と一緒に暮らすことはおろか、話をす
ることもはばかられたのです。
 さて、この十人のらい病人たちは、イエスが自分達の住んでいる村を通り
かかったというので、大声で叫んだ、というのです。
しかし、彼らはイエスの所に近付いて行くとか、イエスの衣に触るというこ
とはしませんでした。
これは、らい病人は、人々に近付いてはならない、という掟があったからで
す。
そのため彼らは、一般の人に語りかける時は、遠くから大声で叫ばなければ
なりませんでした。
原文には、「イエスさま」の後に「先生(επιστατα)」という語があ
ります。
新共同訳聖書では、ちゃんと「先生」と訳されています。
これは、弟子が先生に尊敬をこめて言う場合の語です。
彼らは、今までイエスに会ったこともなく、まして教えをこうたこともなか
ったでしょう。
しかし彼らは、イエスを神から遣わされた使者だと理解したのでした。
彼らは「わたしたちをあわれんでください」と叫びました。
神が憐れみをかけて下さったら、あるいは自分たちの病気は治るかもしれな
い、と思ったのでしょう。
「あわれんでください」というのは、神に対する信頼の表明です。
自分達は、全く無力である、という思いをもつ時、神のあわれみを求めるの
です。
自分に頼るなにものかがあると思う場合、神のあわれみを求めることはしな
いでしょう。
しかし自分に何も頼るものがなく、神のあわれみを求めたならば、神はそれ
に答えて下さるのです。
神が私達にあわれみをかけて下さるなら、そこに新しい可能性が開けるので
す。
14節。

  イエスは彼らをごらんになって、「祭司たちのところに行って、からだ
  を見せなさい」と言われた。そして、行く途中で彼らはきよめられた。

当時のユダヤにおいては、らい病であるかどうかの診断は、祭司がすること
になっていました。
その辺の規定については、レビ記13章に詳しく記されています。
らい病の人が、治った場合、彼は祭司の所へ行って体を見せ、治ったことの
証明をしてもらったのです。
そして祭司が治ったことを証明すれば、その人は社会に復帰することがで
き、普通の生活をすることができたのです。
ここでイエスが祭司の所に行きなさい、と言われたのは、彼らの病気が癒さ
れるのだ、という宣言を現しています。
そしてそれを証明してもらいなさい、ということなのです。
そして、この十人のらい病人は、祭司の所へ行く途中に治った、というので
す。
ここにイエスの、このらい病人たちに対する憐れみ、愛が現されています。
イエスは、この十人のらい病人たちが必死で叫ぶその声を聞いて、彼らの今
までの苦しみ、悲しみ、つらさというものを深く知ったのでしょう。
そしてそれに同情し、憐れみをかけられたのでしょう。
主イエスは、私達のつらさ、苦しみを知りたもうお方です。
そしてそれを知ったなら、それを共に負って下さるお方です。
マタイによる福音書11章28節には次のようにあります。(P.17)

  すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい。あな
  たがたを休ませてあげよう。

十人のらい病人は、長年この病気で苦しんでいたので、治ったのを知った
時、非常に喜んだことでしょう。
彼らは、イエスに神の憐れみを求めたために、癒されたのでした。
ここに、人間の力ではどうしようもなくても、神の憐れみが注がれると、大
いなる可能性がある、ということが言われています。
彼らは、癒されたのは、決して自分たちの力によったのでも、いかなる人間
的な力によったのでもありません。
ただ、神の憐れみによったのです。
神が憐れみをかけ給う時、そこには実に大きなことが起こるのです。
そこで、かれらのまず第一になすべきことは、神に感謝し、神のみ業をほめ
たたえることでした。
しかし、まず神をほめたたえた人は十人のうち一人だけだった、というので
す。
それもサマリア人だったというのです。
 他の九人はどうしたのでしょうか。
彼らは決して神に感謝をしないというのではないと思います。
恐らく、癒されたことで、大いに喜び、まず祭司の所へ行って、その証明を
もらうことしか考えなかったのです。
それが、彼らが社会で生きている上で最も大切なことだと思えたのです。
その証明があれば、家族の所にも堂々と帰れるし、社会に戻ることもできる
し、仕事をすることもできる。
ですから彼らは、まず、自分のあらゆる権利を保障してくれる祭司の証明と
いうものをまず求めたのです。
そしてまず自分の権利を確保してから、神に感謝しようとしたのかも知れま
せん。
決して神に感謝すること、神を讃美することを忘れたのではありません。
しかし、サマリア人がしたのは、何よりもまず神に感謝し、神をほめたたえ
たことでした。
自分の権利を確保してから、神に感謝する、というのでなく、すべてのこと
をする前にまず神に感謝を捧げる、ということでした。
このサマリア人の態度を見て、イエスは、「あなたの信仰があなたを救っ
たのだ」と言われました。
信仰というのは、神を第一とする態度です。
自分のことをすべてしてしまってから、神をあがめるというのでなく、まず
神をあがめ、それから自分のことをするのです。
キリスト教では、最初から週の初めである日曜日に礼拝を守ってきました。
これは、私達の生活が、まず神への感謝と神讃美で始めるということを表し
ています。
私達は、神より豊かな恵みをいただいています。
この恵みを与えて下さる神に、私達はまず感謝し、讃美することから始める
のです。
自分のことを優先し、その残った時間を神讃美に捧げるというのではありま
せん。
このサマリア人は、らい病は癒されましたが、また祭司の証明はもらってい
ませんでした。
ですから、まだ、社会的には、隔離から解放された訳ではありませんでし
た。
現在の時点ではまだ、人々に近付くことはできないし、家族のもとに帰るこ
ともできなかったのです。
ですから、普通なら、まず祭司の所に行って、その証明をもらいたいところ
です。
しかし彼は、自分にあわれみをかけ給うた神に、まず感謝を捧げたかったの
です。
ですから、真っ先にイエスの所に戻って来たのです。
これをイエスは、「あなたの信仰があなたを救ったのだ」といわれたので
す。
私達も、普段の生活において、信仰以外のことを優先しがちですが、まず神
に感謝し、神のみ名をほめたたえる生活をすることができるようになりたい
と思います。

(1993年9月26日)