51、ルカによる福音書18章1−8節
「熱心な祈り」
今日の話もイエスの譬話です。 譬話は、神の私達人間に対する態度、あるいは神と私達人間との関係を説明 するために語られたものです。 そして、話は非常に素朴なものですが、その話自体に教訓的な意味や道徳的 な意味があるのではありません。 その話を通して、一つのメッセージが語られるのです。 そういう点から見ると、話自体は、現代の私達には少し分かりにくいことも あります。 あるいは、疑問を抱くような話さえあります。 例えば、16章で学んだ「『不正な管理人』のたとえ」などは、もし話自体 に道徳的な教訓があるとすれば、私達には分からない、あるいはつまずきを 覚えるものではないでしょうか。 何しろ証書を偽造するという話ですから。 また、17章の7節以下の「僕は主人に無条件に仕えるべきだ」というの も、もし奴隷に対する道徳的な教えだとするならば、非常に封建的なことに なってしまいます。 そして奴隷制度という非人間的な制度を擁護するものとなってしまいます。 事実、アメリカなどで、奴隷制度があった時、こういう話は、大土地所有者 には都合のいいものであったようです。 すなわち、奴隷は主人のどんな言い付けにも素直に聞くように聖書は教えてい る、と。 しかし、譬は、そのような道徳や教訓を教えているのではありません。 今日の話も、話自体は、大変奇妙な話かも知れません。 しかし、その話の意図は、1節に記されています。 イエスは、気を落とさずに絶えず祈らなければならないことを教えるた めに、弟子たちにたとえを話された。 とあります。 イエスはしばしば弟子たちに祈りの大切さを教えられました。 その代表的なのは、主の祈でしょう。 しかしイエスはここで、弟子たちに、「熱心に祈りなさい」とか「絶えず祈 りなさい」と命じるのではなく、譬話をして弟子たちに自ら祈りの大切さを 悟らせようとしているのです。 祈りというのは、ややもすれば、余り意味がない、あるいは祈っても効果が ない、と思われがちです。 特に合理主義的な風潮にある現代社会においてはそうです。 事実、祈ったからといって、事態が急に変化するものでもありません。 祈った通りのことがすぐに実現する訳でもありません。 弟子たちもイエスが熱心に祈っているのを横目で見ながら、祈りに対してそ のような思いをもっていたのかも知れません。 そこでイエスは、熱心に祈れば、必ず聞かれるということを言うために、こ の譬を話されたのです。 同じような譬話をイエスは、11章5節以下においてもされています。 これは以前にも学びましたが、話自体は非常に極端な話で、現在の私達には 分かりにくいことかも知れません。 すなわち、ある人の所に真夜中に友人が訪ねて来ました。 しかしその家にパンがなかったので真夜中なのに別の友人の所にパンを借り に行く、という話です。 そして友人に迷惑がられたにも拘わらず、しつこく戸をたたいて頼んだ所、 ついにパンを貸してくれた、という話です。 これなども、この話自体は、ここに出てくる人は非常に厚かましく、非常識 な態度だ、という印象をもちます。 とても私達が模範としてまねようとは思いません。 いくら聖書の話でも、私達にはとてもこんな真似はできない、と思われるの ではないでしょうか。 しかしこれは、この話自体に意味があるのでなく、ましてこの話に道徳的な 教えがあるのではありません。 この話を通してイエスが言いたいのは、9節にある 求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つ かる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。 ということです。 すなわち、熱心な求めに神は必ず答えて下さる、ということなのです。 それを言うためにイエスは、このような少し極端な話をされたのです。 さて、今日の話はどうでしょうか。 ある町に神を畏れず、人を人とも思わない裁判官がいた、というのです。 私達は、時代劇に出て来るような、悪人と共謀して悪いことをする悪代官を 連想するかもしれません。 この裁判官の所に、一人のやもめが来て、訴えたというのです。 3節。 ところが、その町に一人のやもめがいて、裁判官のところに来ては、 『相手を裁いて、わたしを守ってください』と言っていた。 当時のユダヤの社会においては、やもめは非常に弱い立場の存在でした。 旧約聖書では、やもめと孤児と外国人は、特に社会的に弱い立場の者とされ ています。 しかし、旧約聖書の法では、このような弱い立場の人を、厚く保護しなけれ ばならない、という規定がありました。 例えば、申命記24章の所では、外国人、孤児、寡婦をしえたげてはならな い、と言われています。 もし虐げるならば、神自らが報復すると言われています。 そして具体的には、寡婦からは質に着物を取ってはならないとか、畑を収穫 する時は、刈り尽くさずに、必ず寡婦や孤児や外国人が自由に取って食べて もいいように畑の四隅の所は残しておかなければならない、という規定があ ります。 また、裁判でも、寡婦や孤児に不利な裁判をしてはならない、という規定も あります。 このように、イスラエルには、寡婦や孤児に代表される社会的弱者を保護し なければならない、という法がありました。 しかし、現実には、そのような人がしえたげられました。 預言者はしばしば、そのような悪質な支配者たちを非難しています。 アモスは、貧しい者を騙して、土地を取り上げたり、財産を騙し取ったりし ていた当時の支配者階級を激しく非難しています。 今日の話で、このやもめが「相手を裁いて下さい」と言っているその相手は だれでどういうことをしたのかは、言われていませんので分かりませんが、 とにかく強い者に虐げられたのです。 よくあったのは、夫の土地をその死に乗じて騙し取るというようなことがあ ったようです。 とにかく、ここのやもめも、だれかに何か不正なことをされ、財産を騙し取 られたのではないかと思われます。 そして多くの場合、不正をした者は、裁判官に賄賂を贈って、自分に有利な 裁判をしてもらう、ということがありました。 まさに、時代劇に出てくる、悪人とグルになった悪代官のようです。 そういう事情から、その裁判官は、やもめの訴えを取り合わなかった、とい うのです。 しかしこのやもめは、簡単にあきらめずに、執拗に訴え続けたようです。 5節。 しかし、あのやもめは、うるさくてかなわないから、彼女のために裁判 をしてやろう。さもないと、ひっきりなしにやって来て、わたしをさん ざんな目に遭わすにちがいない。 譬はここで終わっています。 すなわち、この悪い裁判官は、やもめの熱心さに負けて、訴えを聞いてやろ うとした、というのです。 そして、この譬話を通してイエスが言いたいことが7節に記されています。 まして神は、昼も夜も叫び求めている選ばれた人たちのために裁きを行 わずに、彼らをいつまでもほうっておかれることがあろうか。 ここに聖書の神は、私達の熱心な声を必ず聞き給うという信仰が表明されて います。 この譬は、外典の「シラ書」の影響を受けている、と言われています。 私達の聖書には外典はついていませんが、カトリックでは外典は第二正典と 言われ、聖書の後ろにつけられています。 そこで、この度出された「新共同訳聖書」は、カトリックの人と共同で訳さ れたということもあって、この外典も訳されました。 新共同訳聖書の続編付きにはそれがあります。 そのシラ書の35章17−20節には次のようにあります。 主はみなしごの願いを無視されず、 やもめの訴える苦情を顧みられる。 聖書の神は、生きて働き給う神です。 生きているが故に、人々の苦しみの声を聞き給うのです。 エジプトでイスラエルの民が奴隷として酷使されていた時、神はその苦しみ の叫びを聞いて、これを救い出そうとしてモーセを召した、と言われていま す。 そして私達に求められるのは、この生ける神に信頼するということです。 私達がこの生ける神に信頼する時、神は必ず私達の悩みを聞き給うのです。 先程引用したルカによる福音書11章の続きの11−13節には、次のよう にあります。 あなたがたの中に、魚を欲しがる子供に、魚の代わりに蛇を与える父親 がいるだろうか。また、卵を欲しがるのに、さそりを与える父親がいる だろうか。このように、あなたがたは悪い者でありながらも、自分の子 供には良い物を与えることを知っている。まして天の父は求める者に聖 霊を与えてくださる。 子供は親を信頼して求めます。 そして親もその信頼に答えて子供にふさわしいと思う物を与えます。 そしてイエスは、神はなおさら私達に良い物を与えないことがあろうか、と 言います。 イエスは、全く神に信頼していました。 彼が常によく祈ったというのは、彼が全く神に信頼していたからです。 祈りというのは、神との人格的な対話です。 対話というのは、相手の人格を信頼してこそ成り立つものです。 話をする場合、相手が聞いてくれるという信頼がない場合、話しません。 相手がどれくらい真剣に聞いてくれるかということで、私達も相手にどれ位 本心を話すか、ということになります。 相手がどれ位自分のことを親身になって聞いてくれるか、ということで、半 分くらいにしておこうかとか、すべて話そうか、ということになります。 イエスは、全く神に信頼していたので、祈りにおいて、すべてを神に申しま した。 ゲッセマネでの祈りでは、「できることなら、この苦い杯を取り去って下さ い」と一見弱々しく思われる心の中を包み隠さず祈りました。 これはとりもなおさず、神に全信頼を置いていたからでした。 私達も、どれ位神に信頼を置くことができるかで、祈りの内容も違ってきま す。 私達は、神に全信頼を置き、絶えず祈る者でありたいと思います。 (1993年10月17日)