55、ルカによる福音書19章28−36節

  「イエスを乗せたろば」



 前の所、すなわち19章1−10節は、イエスが徴税人ザアカイと出会わ
れた記事でした。
その場所は、エリコでした。
イエスが最初の宣教活動をなしたのは、ガリラヤの地方でした。
そしてイエスの最終目標は、エルサレムです。
エリコからエルサレムまでは、約6時間の道程でした。
このエルサレムで彼は十字架にかかり、また復活されたのでした。
そして、このエルサレムに最初の教会が誕生したのでした。
さてイエスは、このザアカイとの出会いの町エリコを後にして、いよいよエ
ルサレムに上ります。
イエスのこの最終目標であるエルサレムに一歩一歩近付いています。
28節。

  イエスはこのように話してから、先に立って進み、エルサレムに上って
  行かれた。

ここに「先に立って進み」とありますが、イエスはこのエルサレムに重大な
る決意をもって行かれているようです。
このエルサレムには、当時のユダヤ教の指導者たちが沢山いました。
イエスはしばしばこのユダヤ教の指導者とぶつかり、彼らの中にはイエスを
非常に憎み、イエスの命を狙っていた人達もいました。
イエスはなぜ、そんな危険な所にあえて行かれたのでしょうか。
ザアカイの物語の最後の所に次のようにありました。(10節)

  人の子は、失われたものを捜して救うために来たのである。

すなわち、イエスは、私達人間を救うためにあえて危険なエルサレムに上っ
て行かれたのです。
イエスは、たまたま偶然にエルサレムに行かれたのではありません。
明確な目的をもって、エルサレムに行かれたのです。
神の御計画に従って、あえて危険な所に行かれたのです。
この記事は、イエスが十字架にかかる数日前の出来事です。
ルカによる福音書は24章ありますから、この最後の一週間の出来事のため
に約4分の1のスペースを裂いています。
他の福音書も同じように、イエスの生涯の最後の一週間の出来事を最も詳細
に報告しています。
福音書の最大の関心は、イエスの受難ということです。
ある新約聖書学者は、福音書は、長い序文のついた「受難物語」である、と
言いました。
確かにそうだと思います。
イエスの生涯は、受難へと向かう生涯であった、と言っていいと思います。
誕生の物語りにおいて既に、受難へと向かっていたということは、アドベン
トの時にも述べました。
 29−30節。

  そして、「オリーブ畑」と呼ばれる山のふもとにあるベトファゲとベタ
  ニアに近づいたとき、二人の弟子を使いに出そうとして、言われた。
  「向こうの村へ行きなさい。そこに入ると、まだだれも乗ったことのな
  い子ろばのつないであるのが見つかる。それをほどいて、引いて来なさ
  い。

オリーブ山は、エルサレムの東に位置します。
ちょうど比叡山から京都の町がよく見渡せるように、オリーブ山からはエル
サレムの町がよく見下ろせます。
オリーブ山の東側にベトファゲがあり、さらにその東にベタニアがありま
す。
エルサレムに巡礼する者は、エリコからベタニアを通り、オリーブ山に沿っ
た道を通って、ベトファゲで身を清めてからエルサレムに入ったそうです。
最後の一週間、イエスは、エルサレムとオリーブ山を行ったり来たりしてい
ます。
私達も先年このオリーブ山にも行きました。
名前のように昔からここにはオリーブが栽培されていたのですが、現在も大
きなオリーブの木がありました。
イエスが血の汗を流して祈られたというゲッセマネの園もあり、そこに「園
の教会」というのがありました。
オリーブ山からは城壁に囲まれたエルサレムの旧市街が一望のもとに見下ろ
せますが、一番目立つのは、黄金色のドームのイスラム教のモスクでした。
イエスは、このオリーブ山からエルサレムの町をご覧になって、嘆かれたと
いうことです。
41−42節。

  エルサレムに近づき、都が見えたとき、イエスはその都のために泣い
  て、言われた。「もしこの日に、お前も平和への道をわきまえていたな
  ら・・・。しかし今は、それがお前には見えない。

エルサレムはダビデが都に決め、そこに神の箱を運んで、神の都としまし
た。
そして、その子ソロモンはそこに壮麗な神殿を建て、神の住まいとしたとい
うことで、この町は非常に繁栄をしました。
しかし一方では、大都会特有の罪のうずまく町となりました。
特に権力者たちが、権力欲のために多くの人の血を流しました。
支配者階級が常に傲慢に振る舞いました。
イエスの時代エルサレムは、神への不信仰の町でした。
大勢のパリサイ人や律法学者などがおり、宗教的な行事も盛大に行われてい
たにもかかわらず、神への真の信仰には欠けていたのです。
そしてついにはイエスを十字架にかけてしまったのです。
そのようなエルサレムの罪を思って、イエスは涙を流されたのです。
しかしイエスは、そのような罪人を救うために、あえてこの罪の町エルサレ
ムに入られたのです。
 さて、イエスは、エルサレムに入られる時、弟子たちに命じて子ろばを連
れて来させました。
当時、エルサレムの近くの村では、エルサレムへの巡礼者のために、ろばを
飼育していた人達がいたということです。
ここの持主も、旅行者のために貸すためのろばを飼育していた人だと思われ
ます。
弟子たちが、その家の前につながれているろばの子をほどいていると、その
持主が、「なぜ、子ろばをほどくのか」と言いました。
すると、弟子たちは、「主がお入り用なのです」と答えました。
ここで主イエスが用いられたのは、実に無力な子ろばでした。
36節を見ますと、「人々は自分の服を道に敷いた」とあります。
これは王に対する態度です。
ですから、人々はイエスを王と期待したのです。
当時のユダヤは、ローマの属州で、人々の生活は苦しいものでした。
ただ経済的に苦しかっただけでなく、被支配民族としてあらゆる差別を受け
ていました。
民衆は、この苦しい状態から救い出してくれるメシアを待ち望んでいまし
た。
そしてその期待が、イエスに寄せられたのです。
 しかしイエスは、そのような政治的な指導者ではなかったのです。
そのことを知った民衆は失望しました。
そこで道に自分の服を敷いた人々も、やがてイエスを憎むようになり、「十
字架につけよ」と叫んだのです。
 弟子の中にも、そのようにして失望した者がいました。
イスカリオテのユダです。
 イエスは、そのような政治的な指導者ではなかったのです。
それが「子ろば」を用いたということで象徴的に言われています。
ユダヤを政治的に解放する王であるならば、恐らく白馬に乗って堂々とやっ
て来たでしょう。
ろばは、馬に比べると、見栄えもよくなく、また愚鈍な動物とされていまし
た。
馬は専ら、戦いの時に重宝されたのです。
一方ろばは、戦争には役に立ちませんでした。
重荷をかついだり、畑を耕したり、旅人を運んだり、平和的なことに使われ
ました。
 イエスは、あえてこのろばを選び、「ろばに乗って」エルサレムに入城し
たのです。
メシアがろばに乗ってエルサレムに入城するということは、旧約聖書のゼカ
リヤ書に預言されています。
ゼカリヤ書9章9−10節。(p.1489)

  娘シオンよ、大いに踊れ。
  娘エルサレムよ、歓呼の声をあげよ。
  見よ、あなたの王が来る。
  彼は神に従い、勝利を与えられた者
  高ぶることなく、ろばに乗って来る
  雌ろばの子であるろばに乗って。
  わたしはエフライムから戦車を
  エルサレムから軍馬を絶つ。
  戦いの弓は絶たれ
  諸国の民に平和が告げられる。
  彼の支配は海から海へ
  大河から地の果てにまで及ぶ。

このゼカリヤの預言において、やはり王がろばに乗ってエルサレムに来ると
言われています。
そしてこの王は神に従い、高ぶることなく、と言われています。
まさに、イエスの姿そのものです。
彼は、自ら剣を取って、白馬にまたがって、堂々とやって来るのでなく、高
ぶることなく、ろばに乗ってくる、とあります。
真の平和を求める姿です。
 イエスは、本当はエルサレムに行きたくなかったでしょう。
それは、彼の身が、ユダヤ教の指導者たちに狙われていたからです。
ですから、本当は素朴な人々のいるガリラヤの地方にいたかったでしょう。
しかし、そんな危険な町にあえて行ったのは、神の意志に柔順に従うためだ
ったのです。
イエスの十字架は、神のみ旨でした。
これは、我々人間の罪を救うための神のご計画でした。
そしてイエスは、自ら謙そんな者として、これに従ったのです。
そしてここで弟子たちに命じて子ろばを引いてこさせたのです。
そして、この弟子たちも、イエスの命令に柔順に従っています。
 そしてこのろばは、あらかじめ用意されたものでした。
イエスが人々の罪を救うために受難の道を歩まれるその序曲として、このろ
ばは実にふさわしい乗物でした。
ろばは、馬のように華やかな動物ではありません。
むしろ愚鈍な動物とされていました。
しかし、重い荷物を運んだり、土を耕したりして、目立たないが貴重な働き
をします。
イエスの受難の預言として、イザヤ書53章7節には、

  苦役を課せられて、かがみ込み
  彼は口を開かなかった。
  屠り場に引かれる小羊のように
  毛を切る者の前に物を言わない羊のように
  彼は口を開かなかった。

とあります。
まさに、この受難の道を歩まれるイエスを乗せるのに、神の用意したろばは
ふさわしいものでした。
このイエスの柔順によって、私達が救いに入れられていることを覚えたいと
思います。

(1994年1月30日)