61、ルカによる福音書22章54ー62節
「ペテロの裏切り」
54節。 それから人々はイエスを捕らえ、ひっぱって大祭司の邸宅へつれて行った。 ペテロは遠くからついて行った。 イエスが十字架につけられる前日、すなわち受難週の木曜日の夜、イエスは12 弟子たちと最後の晩餐を取られ、その後、オリブ山で祈られた後、イスカリオテ のユダに先導された祭司たちのよって捕らえられました。 まず、大祭司の邸宅に連れて行かれたということは、イエスを一番捕らえたちと 思っていたのが、祭司たちであった、ということであったのでしょう。 この場合の祭司というのは、パリサイ派ではなく、政治権力と密接に結びついて いたサドカイ派です。 この時の大祭司は、カヤパという人でしたが、この邸宅は、そのしゅうとのアン ナスの屋敷であった、ということがヨハネによる福音書に記されています。 しかし、ルカによる福音書では、この大祭司の邸宅でイエスに対してどういう 審問がなされたのか、ということは記されていません。 ここでは、恐らく、イエスは有罪だという判断が下されたと思われます。 63節で、イエスに対して嘲弄したり、打ちたたいたりしていますが、これは有 罪と判断された者に対する態度だと思われます。 ルカのここでの興味は、捕らえられたイエスについて行ったペテロにありま す。 イエスが捕らえられた時、他の弟子たちは、逃げてしまったのです。 しかし、ペテロだけは、「遠くから」ではありますが、イエスに「ついて行っ た」のです。 この「ついて行った」という語は、「従う」という意味の語ですから、ペテロだ けは逃げずにイエスに従ったのです。 最後の晩餐の席でペテロは33節のように言っています。 シモンが言った、「主よ、わたしは獄にでも、また死に至るまでも、あなた とご一緒に行く覚悟です」。 このペテロの言葉は、建前上言ったのではなく、ペテロの本心、ペテロの実際の 覚悟でした。 そして、その覚悟のように、他の弟子たちは逃げ去ったにもかかわらず、彼だけ はついて行ったのです。 しかし、人間の覚悟や決心は、どんなに堅いものであっても、弱いものです。 この「ペテロの裏切り」の物語りは、そのような人間の覚悟や決心というもの が、本質的に弱いものである、ということを示しています。 しかし、それ故にこそ、キリストが私達の所に来られたのです。 さて、ペテロは、大祭司の邸宅でイエスがどうなるのか心配であったでしょ う。 そして、人込みにまぎれて、じっとイエスの方を見ていたでしょう。 56ー57節。 すると、ある女中が、彼が火のそばにすわっているのを見、彼をみつめて、 「この人もイエスと一緒にいました」と言った。ペテロはそれを打ち消し て、「わたしはその人を知らない」と言った。 ここでペテロは、ある女中の言葉に、直ちに否定したのです。 彼は、たった1時ほど前に、イエスに対して「主よ、わたしは獄にでも、また死 に至るまでも、あなたとご一緒に行く覚悟です」と言ったばかりでした。 それを彼は忘れていた訳ではなかったでしょう。 しかし、「わたしはその人を知らない」という答えは、恐らく反射的に出た発言 であったのでしょう。 人間、自分に身の危険が襲った時、無意識に、反射的に身を防ぐ行動に出ます。 例えば、何か自分に者が飛んで来た場合、反射的にそれを避けようとしたり、手 でそれを防ごうとします。 ペテロのこの答えは、そのようなものであったのでしょう。 咄嗟にそう答えるということが身の危険を避ける方法だと、思われたのでしょ う。 ペテロは、頭では「たとえ死ぬようなことがあっても、イエスに従って行こう」 と思っていたでしょう。 それゆえに、他の弟子たちがイエスを見捨てて逃げ去ったにもかかわらず、自分 一人イエスの捕らえられた後からついて行ったのでした。 頭では分かっていても、いざ実際に、自分に身の危険が押し迫った時、自分の体 が思ったように行動しないのです。 ここに人間の弱さがあります。 信仰を守り通す、あるいは殉教などということを思ったりもしますが、いざ実際 にそのような事態になった場合、それが出来るでしょうか。 戦争中、日本においてもキリスト者は、しばしば特攻警察から「天皇とキリスト とどちらが偉いか」という質問をされたということです。 普段の時なら、キリストに決まっている、と思っていても、いざ実際その場にな ってみると、果たしてそういう風に言えるでしょうか。 日本の教会は、そういう事態に直面して毅然として信仰を守り通すことが出来な く、汚点を残しましたが、しかし私達であったら果たして毅然と出来たかと言う と、恐らく出来なかったであろう、と思わずにいれません。 ペテロは、咄嗟の質問だったので、反射的に否定してしまっただけだったので しょうか。 まずい事を言ってしまった、今度尋ねられたら、思い切って本当のことを言い、 イエスへの忠誠を示そう、と思ったかも知れません。 しかし、しばらくして尋ねられた時の、同じ答えをしてしまいました。 58節。 しばらくして、ほかの人がペテロを見て言った、「あなたもあの仲間のひと りだ」。するとペテロは言った、「いや、それはちがう」。 この時も、まずい事を言ってしまった、今度尋ねられたら、思い切って本当のこ とを言い、イエスへの忠誠を示そう、と考えたかも知れません。 しかし、1時間後にまた同じ答えをしてしまいました。 59ー60節。 約1時間たってから、またほかの者が言い張った、「たしかにこの人もイエ スと一緒だった。この人もガリラヤ人なのだから」。ペテロは言った、「あ なたの言っていることは、わたしにわからない」。すると、彼がまだ言い終 わらないうちに、たちまち、鶏が鳴いた。 ペテロは、とうとう3度イエスを否定してしまいました。 最後の晩餐の席でペテロが、死に至るまでイエスと一緒に行く覚悟だ、と言った 時、イエスは「ペテロよ、あなたは鶏が鳴くまでに、3度私を知らないと言うだ ろう」と言いました。 いくら勇ましいことを言っても、人間は本当は弱いものだ、ということをイエス は知っておられるのです。 61節。 主は振りむいてペテロを見つめられた。そのときペテロは、「きょう、鶏が 鳴く前に3度わたしを知らないと言うであろう」と言われた主のお言葉を思 い出した。 イエスがこの時どういう状態にあったかは記されていない。 ヨハネによる福音書の記事を見ると、この時イエスは、大祭司の尋問を受けてい ました。 そしてその答えに腹を立てた兵士によって平手打ちをくっていました。 イエスは恐らく心身共に疲れていたでしょう。 勿論遠くで起こっていたペテロたちの会話は聞こえていなかったでしょう。 しかし鶏が鳴いたことによって、ペテロに何が起こったのか分かったのでしょ う。 ペテロを見つめられた、とあります。 これはどのような視線だったのでしょうか。 少しまえ、死ぬようなことがあってもイエスについて来ると言ったのに、その舌 の根も乾かないうちに、自分を裏切った、という咎めだてのまなざしだったので しょうか。 そうではありません。 むしろ、赦しと励ましのまなざしだったのです。 イエスには最初からペテロの弱さが分かっていたのです。 それゆえ、鶏が鳴く前に3度イエスを否認する、と予告したのです。 イエスは私達の弱さを知っておられるのです。 その弱い私達に代わって、主は十字架にかかられたのです。 遠藤周作の小説に『沈黙』というのがあります。 江戸時代のキリシタンへの迫害を描いたものです。 キリシタンたちが、踏み絵を踏まされて、次々と殺されていきます。 そして司祭にもそのことがやってきました。 その時次のようにあります。 「その時、踏むがいいと銅版のあの人は司祭にむかって言った。踏むがいい。お 前の足の痛さをこの私が一番よく知っている。踏むがいい。私はお前達に踏まれ る為、この世に生まれ、お前達の痛さを分つため十字架を背負ったのだ」と。 踏み絵を踏んだからイエスを裏切った、というのでなく、そのような弱い者も、 イエスは赦す、というのです。 否、そのような弱い者のためにキリストは十字架にかかられた、と言うのです。 ここでイエスは、振り向いてペテロを見つめられましたが、これは咎めだての まなざしではなく、赦しと励ましのまなざしだったのです。 しかし、ペテロはそれを十分には理解せずに、外に出て激しく泣いた、とあり ます。 この時のイエスのまなざしが赦しのまなざしであったということは、この時はペ テロには分かりませんでした。 そして、それが分かるのは、恐らく復活の後であったでしょう。 恐らくペテロは、3度までも主を否んだ自分のふがいなさに失望したのでしょ う。 「イエスと共に死ぬ覚悟です」と言っておきながら、いざとなったらこわくてそ う言えなかった自分のふがいなさに悔しかったのでしょう。 イエスの一番弟子として、自他共に認め、常にイエスのそばにいて、弟子たちの なかでも、最も重要な働きをしてきた自分であるが、もやはイエスの弟子と呼ば れる資格がない、と思われたのではないでしょうか。 この時のペテロの絶望、悲しみはどのようなものだったでしょうか。 しかし、ペテロはイエスを裏切ったかも知れませんが、イエスはペテロを決して 見捨ててはいなかったのです。 イエスが復活した後に弟子たちのうちで一番先に出会ったのはペテロであっ た、と記されています。 その時ペテロには、あのイエスのまなざしが赦しと愛のまさざしであった、とい うことが分かったのでしょう。 そして、最後の晩餐の席でのイエスの言葉を思い出したでしょう。 32節。 しかし、わたしはあなたの信仰がなくならないように、あなたのために祈っ た。それで、あなたが立ち直ったときには、兄弟たちを力づけてやりなさ い。 実は、イエスは、裏切っている時も、ペテロのために祈っていてくれていたので した。 イエスは、私達に対しても、信仰がなくならないように、と祈って下さっている のです。 それで、私達も辛うじて信仰を維持することが出来るのです。 ペテロは、このイエスの祈りに支えられて、後には初代教会の指導者として活 躍しました。 ガラテヤ人への手紙や使徒行伝を見ますと、初代教会の働きにおいても、ペテロ はしばしば人間的な弱さを現しました。 しかし、その時々に主の祈りに支えられました。 伝説によりますと、ペテロは最後はローマで殉教した、ということです。 ポーランドの作家にシェンケヴィッチという人がおり、この人が『クォ・ヴァー ディス』という小説を書きました。 初期のキリスト者たちの殉教をテーマにしたもので、映画にもなりました。 その中で、ペテロが迫害のローマから逃れている時に、主に出会いました。 そして「主よ、いずこに(クォ・ヴァーディス・ドミネ)」と尋ねた所、主は「 お前が私の民を置いて去るならば、私は再び十字架にかけられるためにローマに 行くであろう」とお答えになりました。 その言葉を聞くと、ペテロは踵を返してローマに戻り、逆さ十字架につけられ、 殉教の死を遂げた、ということです。 ペテロは幾度も弱さをさらけ出しましたが、そのたびに復活の主に赦され、祈 り、励まされました。 同じように弱い私達も常に主の祈りと赦しに支えられていることを覚えましょ う。 (1991年3月17日)