共にある礼拝


出エジプト記 10:8―11

モーセとアロンがファラオのもとに呼び戻されると、ファラオは二人に言った。「行って、あなたたちの神、主に仕えるがよい。誰と誰が行くのか。」「若い者も年寄りも一緒に参ります。息子も娘も羊も牛も参ります。主の祭りは我々全員のものです」とモーセが答えると、ファラオは二人に言った。「よろしい。わたしがお前たちを家族ともども去らせるときは、主がお前たちと共におられるように。お前たちの前には災いが待っているのを知るがよい。いや、行くならば、男たちだけで行って、主に仕えるがよい。それがお前たちの求めていたことだ。」ファラオは自分の前から彼らを追い出した。


礼拝の歴史

 私たちは毎週日曜日には礼拝があることを知っています。初めて礼拝に出席した時からそうなっているのですから、なぜそうなのかということについてはあまり考えないかもしれません。およそ二千年前から教会の礼拝は毎週日曜日に行われてきました。なぜなら、日曜日に主イエスが復活されたからです。それが礼拝の根拠であり、私たちの信仰の拠り所になっています。しかし、毎週礼拝をするということ、あるいは礼拝という形式はもっと古い起源を持っています。キリスト教の礼拝は明らかに旧約聖書のイスラエルの礼拝と深い関係を持っています。今日は出エジプト記の一部から、礼拝とは何かということを汲み取っていきたいと思います。

 旧約聖書の中で礼拝ということを考える上で最も大きな意味を持ったのが出エジプトの出来事です。出エジプト記は、エジプトで奴隷となっていたイスラエルの民がモーセに率いられて約束の地カナンヘと旅立って行く物語です。途中、シナイ山でモーセは神から十戒を授けられ、神はイスラエルの神となる契約がなされます。そのことによって、神は単に一人一人が勝手に信仰の対象とするものではなく、イスラエルが全体として向き合うものになったのでした。エジプトを脱出し、神と契約を結んだ一連の出来事を後の預言者も繰り返し思い起こさせます。一見、運命にもてあそばれているような悲惨さの中においても、神が救いへと導いている確かさを出エジプトという歴史的事実を通じて示そうとするのです。一言で言うならば、神は歴史を導く神だと言うのです。一人一人の宗教心の中にこじんまりと潜んでいる神ではなく、イスラエル全体の歴史に関りを持っている神なのです。この考え方は後に全世界の歴史を支配する神として理解されるようになります。

 このような神の理解とそこから生まれる礼拝のあり方は伝統的な日本人にとってはどうも異質な感じがします。日本では人生の様々な場面でそれにふさわしい神様に祈りをささげます。受験の神様、縁結びの神様、安産の神様。苦しまずにポックリと死にたい人にはポックリ寺というのも用意されています。一人一人の個別的な需要に応えられるようにたくさんの神様がいます。そして、それぞれの神様が特定のファン層を持っています。それに対して、旧約聖書では一人の神が全イスラエルあるいは全世界に対して語られる。それは、特定の人、特定の集団だけに関心を寄せる神ではありません。そのことを今日の聖書箇所は端的に表現しています。

 この箇所は、エジプト脱出に先立って神が十の災難をエジプトに引き起こしている最中でのモーセとエジプトの王様であるファラオとの問答です。ファラオはもう災難を引き起こされることにはこりごりで、早くモーセたちに出ていってもらいたいのですが、男だけが行けばよいと言うのです。その前にモーセは九節でこのように語っています。「若い者も年寄りも一緒に参ります。息子も娘も羊も牛も参ります。主の祭りは我々全員のものです」。過酷な砂漠を旅するのに若い者だけでなく、そこには年寄りも招かれています。また、小さな子供たちだけでなく家畜までもが主の祭りへと招かれています。このように全員を巻き込んだ出来事をイスラエルは信仰の根幹において共有しているのです。

信仰の継承

 共有された出来事、神の救いを思い起こすことが、そのまま礼拝となります。出エジプト記一二章二六節以下では、過越の祭りの意味を子供に問われたら、どのように答えるべきかということが記されています。「また、あなたたちの子供が、『この儀式にはどういう意味があるのですか』と尋ねるときは、こう答えなさい。『これが主の過越の犠牲である。主がエジプト人を撃たれたとき、エジプトにいたイスラエルの人々の家を過ぎ越し、我々の家を救われたのである』と」。出来事を端的に子供に伝える。そのことが礼拝となり、それによって信仰が親から子へと継承されていったのでした。

 私たちは教会として一体、何を共有しているのでしょうか。あるいは、どのようにして信仰を継承していくのでしょうか。自分自身の信仰だけが問題ならば、もちろん、このような問いすら必要ありません。私たちの教会はプロテスタント教会ですが、プロテスタント教会は伝統的に言葉に集中してきました。人間には五感があると言われますが、私たちはそのうちの聴覚に非常に大きな力点を置いています。そして、教会学校という言葉によって典型的に示されているように、信仰を教育によって伝達できるようなものとして考えてきたのです。

 もちろん、礼拝において私たちはキリスト教についての教えを学んでいるのではありませんし、キリスト教についての教えを伝達していくのでもありません。教会はキリスト教について教えるのではなく、イエスの弟子として生きることを最終的に目指しています。福音書の中でイエスは律法学者たちとしばしば論争をします。しかし、イエスは新しい教えで彼らを説き伏せようとはしているのではありません。そうではなく、新しい現実をもたらそうとするのです。つまり、イエスにとっては、貧しさや病気、悪魔や孤独との対決が前面に立っているのであって、決して、律法学者たちの教えとの対決が前面に立つのではありません。同様に、教えが礼拝の中心要素とはならないのです。

 教会は学校ではありません。また、信仰は教育によっては継承されません。私たちが、出エジプトに対応するような出来事を持てるとすれば、それは礼拝を共にすることによって生み出されます。信仰は礼拝を共にすることによって受け継がれていきます。

共同体としての礼拝

 礼拝は共同体としての教会がその真価を問われる時でもあります。礼拝において今、「私」が何を受けたかを考えることは大切なことです。しかし、同時に「私たち」が何を受け、なお何を目指しているのかを考えることが忘れられてはなりません。たとえば、出エジプトの時、子供たちはどのように扱われたのか、あるいは、イエス・キリストは幼子を抱き上げて何を言い、どのように振る舞われたのかといった聖書的事実に対して私たちは目を閉ざすことはできないのです。

 モーセはあのエジプト脱出を「主の祭り」と呼びました。礼拝と言うと上品で、厳粛な感じがしますが、礼拝はそもそもは「主の祭り」に違いありません。いろいろな人がその祭りに加わればにぎやかになるのは当然のことです。映画の『十戒』の脱出シーンを思い浮かべてもらっても良いでしょう。家畜はそれぞれ鳴き声を上げ、砂ぼこりを捲き上げ、人々は喜びの声をあげる。これが主の祭りであり礼拝の起源です。たとえば、教会の礼拝において子供がいれば、何となくざわざわします。礼拝は厳粛でなければならないという伝統の中では、そのざわめきは礼拝の中からは追い出されてしまいます。たいていの教会では母子室によって子供とその母親は礼拝から隔離されてしまいます。神と向き合う真剣さのあらわれとしての厳粛さなら問題はありませんが、厳粛さそのものが目的とされるようになると、それは教会にとっては自殺行為に近いものです。騒がしいものを人為的に排除していくことによって、聖霊をも追い出そうとすることになりかねないからです。

 聖霊は本来、息とか風という意味を持っていますが、息の詰まるような雰囲気の中では風は吹きぬけて行くことができません。聖霊は個人的に感じ取る対象物ではなく、まさに礼拝という共同体全体にダイナミックに関っています。それはざわめきや、動きをともなう祭りの中でこそはっきりと経験されるものです。そこにいるだけで、私たちの五感を通じて端的に神の家族であることを味わうことのできる、そのような礼拝を聖書は指し示しています。教会は性別や年齢によって区別された集団の集合体ではなく、老若男女、おとなも子供も共に集い、共に生きようとする共同体であるはずです。私たちは自分一人の力によって神の国を知ることはできません。礼拝に招かれている一人一人が神の家族であるという信仰に立ってこそ、私たちは神の国を受け継ぐ者とされていくのです。

(一九九三年二月二一日、札幌北光教会、小原克博)