十字架の言葉は、滅んでいく者にとっては愚かなものですが、わたしたち救われる者には神の力です。それは、こう書いてあるからです。
「わたしは知恵ある者の知恵を滅ぼし、
賢い者の賢さを意味のないものにする。」
知恵のある人はどこにいる。学者はどこにいる。この世の論客はどこにいる。神は世の知恵を愚かなものにされたではないか。世は自分の知恵で神を知ることができませんでした。それは神の知恵にかなっています。そこで神は、宣教という愚かな手段によって信じる者を救おうと、お考えになったのです。ユダヤ人はしるしを求め、ギリシア人は知恵を探しますが、わたしたちは、十字架につけられたキリストを宣べ伝えています。すなわち、ユダヤ人にはつまずかせるもの、異邦人には愚かなものですが、ユダヤ人であろうがギリシア人であろうが、召された者には、神の力、神の知恵であるキリストを宣べ伝えているのです。神の愚かさは人よりも賢く、神の弱さは人よりも強いからです。
しかし、伝道者としてのパウロは、キリスト教を売り込むために、人を魅惑するようなセールスポイントを出しませんでした。今日の聖書箇所によれば、パウロが語るのはただ十字架の言葉です。しかも、パウロは、自分が伝える言葉がユダヤ人にはつまずかせるものであり、異邦人には愚かなものとして受けとめられることを承知で、十字架の言葉を語ります。もちろん、パウロは当時の人々が何を求めているかを知っていました。二二節には、このように記されています。「ユダヤ人はしるしを求め、ギリシア人は知恵を探しますが」。彼らには求めるものがあります。しかも、当時の世界の様子を少しイメージしてみれば、それらが切実なものであることも分かります。
当時の世界状況は、現代とよく比較されるほど、非常に目まぐるしく移り変わっていました。ローマ帝国が世界に通じる道を整備することによって、それまで特別な変化もなく、こじんまりとまとまっていた地方の人々も、世界文化・世界経済の激しい流れにさらされることになります。以前なら、代々受け継がれてきた生活習慣をただ繰り返しているだけで、十分に生きるということの責任を果たすことができました。そのような時代には、自分が何者かという問いは、比較的簡単に答えることができました。自分が属している社会や文化はそれほど大きく変化しなかったので、自分自身の位置を容易に定めることができたのです。しかし、聖書の舞台となった地中海世界全体が、激しい相互交流によって、それぞれの伝統的生活習慣を根底から揺さぶられるようになります。そのような世界では、自分とは一体何者であるのかというアイデンティティへの問いに答えるのは、かつての時代ほど容易なことではありません。この世界に生きなければならなかった人々は、それがユダヤ人であれギリシア人であれ、一体自分が何者であるのかを教えてくれるものを探し求めていたわけです。
したがって、ユダヤ人が求めている「しるし」とは、漠然としたものではありませんでした。ユダヤ民族の運命をもてあそび、抑圧を続けるローマ帝国の支配に終止符を打つような終わりの時のしるしを求めていたのです。それは熱烈なメシア待望の思想と密接に結びついています。天の軍勢を引き連れてローマ帝国を撃破する、力強いメシアの現れを待ち望み、それゆえに、そのしるしを求めていたのでした。イエスが十字架につけられた時、「神の子なら、自分を救ってみろ。そして十字架から降りて来い」(マタ二七・四〇)という人々のののしりの声に対して、イエスが奇跡的な力を発揮して十字架から降りてきたとするならば、それこそがユダヤ人の求めていた「しるし」となったことでしょう。もちろん、イエスはこのような意味でのしるしを示されずに、十字架で息を引き取られました。
また、ギリシア人が求めていた「知恵」も、切実な要求から出てきたものでした。ローマ帝国が保証してくれるはずの正義や平和が徐々に揺らぎ始めてきた時代の中で、人々はもはやこの世の力に依存せずに、直接的に自分たちを救いへと導いてくれる真理を求めました。特にコリントでは、物質的なもの、肉体的なものを否定して、神秘主義的に永遠の真理と一体化するような知恵思想が流行していたようです。
このようにユダヤ人、ギリシア人が自分たちの存在を確証するための切実な要求を持っていたことをパウロは知っていました。現代的な宗教セールスマンであれば、このような状況を知っていれば、顧客のニーズに合った商品を提供することでしょう。ユダヤ人に対しては奇跡を行うイエスの姿を神々しく伝え、ギリシア人に対しては十字架ぬきのイエスの復活と昇天を語れば、営業成績が伸びることは間違いありません。しかし、パウロは彼らの求めるものにもかかわらず、ただ十字架の言葉を語ろうとします。さらにそのことが、まさに神ご自身の宣教の愚かさによってなされることをパウロは語ります。
ここで言う「愚かさ」とは、二重の意味で愚かです。第一に、神は人々が求めているものを直接に与えようとはしていないこと。第二には、ユダヤ人とギリシア人の間に当然とある考えられた区別を、神は無視しているということです。それどころか、ガラテヤの信徒への手紙三章二八節にあるパウロの言葉を借りるならば、ユダヤ人もギリシア人もなく、奴隷も自由な身分の者もなく、男も女もない、ということになります。それらの区別を当然の常識と考えていた人々にとっては、常識的区別をひとまたぎにしていまうキリスト教宣教は極めて愚かなものとして映ったに違いありません。
いずれにせよ、現代の我々は、十字架と言われてもピンと来ません。十字架は一種のシンボルのようなものになっています。十字架は、病院のしるしとして用いられたり、あるいは、教会のてっぺんにあって標識のような役割をしています。時代によっては、十字架が教会の宗教的権威の象徴として用いられたこともあります。もっとも、私たちは十字架をシンボル以上のものとして理解していると言うこともできるでしょう。しかし、当時の十字架刑のすさまじさに、私たちはどれほど迫ることができるでしょうか。
そもそも、十字架刑はローマ帝国による反逆者に対する一つの処刑法でした。イエスが十字架にかけられたことは、ローマ帝国に対する反逆という政治的な意味を持っていました。それと同時に、さらに深刻な宗教的な意味として、十字架は神からの呪いを表していました。生前どのような働きをした人であれ、十字架にかかれば、それは神から見捨てられたということを意味しました。それほど十字架にかかって死ぬということは、決定的な重さを持っていました。ですから、弟子たちがイエスの十字架に直面して、すっかり意気消沈し、方々へ散っていったということも理解できないことではありません。イエスの弟子たちは、十字架が意味する重さに耐えることができなかったわけです。
パウロが言う十字架の言葉とは、そのような十字架につけられたイエスを宣べ伝えることでした。それは理解しやすく、受け入れやすい言葉では決してありません。しかし、十字架が持つ悲惨さ、重さ、不可解さがこの世の知恵に突きつけられることによって、十字架につけられ死んだイエスを復活させる神の力が明らかにされていきます。まったく神に見捨てられた絶頂において、まさに神の力が働こうとする緊張が十字かには秘められています。十字架は、絶望と希望、死と生、沈黙と言葉がせめぎあっている場所です。
私たちは十字架の持つ神秘のすべてを汲み尽くすことはできません。しかし、それでもなお、私たちにとって主イエスの十字架は、イエスの生涯を見つめ、イエスの復活を信じる時に欠くことのできない焦点を与え続けてくれます。それは同時に、私たちが与えられた命を生きる上での焦点となります。私たちの人生は、幸福や不幸が気まぐれに出現する運命によって翻弄されているのではありません。私たちは、絶望の中にこそ希望の糸口が隠されていること、死の中にこそ再生への可能性があることを見る恵みを与えられています。主イエスの十字架のゆえに、沈黙は沈黙に終わりません。沈黙に慰めの言葉を与え、闇の中にあって光となる神の力と神の知恵を私たちの身に受け、それを宣べ伝える者でありたいと思います。
(一九九四年三月二七日、札幌北光教会、小原克博)