人の道と神の道


使徒言行録 16:6―10

 さて、彼らはアジア州で御言葉を語ることを聖霊から禁じられたので、フリギア・ガラテヤ地方を通って行った。ミシア地方の近くまで行き、ビティニア州に入ろうとしたが、イエスの霊がそれを許さなかった。それで、ミシア地方を通ってトロアスに下った。その夜、パウロは幻を見た。その中で一人のマケドニア人が立って、「マケドニア州に渡って来て、わたしたちを助けてください」と言ってパウロに願った。パウロがこの幻を見たとき、わたしたちはすぐにマケドニアへ向けて出発することにした。マケドニア人に福音を告げ知らせるために、神がわたしたちを召されているのだと、確信するに至ったからである。


物語る人ルカ

 使徒言行録は、ペトロやパウロの歩みを中心にしながら、初代教会がたどった足跡を書き記した書物です。最近の研究によれば、この使徒言行録は、ルカによる福音書の著者ルカが書いたものであることがわかっています。ルカは福音書の続編として使徒言行録を書き記したようです。したがって、使徒言行録は初代教会の逐次記録の寄せ集めや客観的な歴史資料ではなく、そこにははっきりと福音書記者ルカの神学的な方向性を見ることができます。そもそも、ルカは福音書の中で何を強調したのでしょうか。彼は、他の福音書に比べて、ひたすらにイエス・キリストの出来事を物語るということに集中しました。ルカにとって信仰とは、義認論や救済論といった知識を頭の中で整理し、それを知的に受け入れることではありませんでした。むしろ、徹底して物語を語ることによって、読者自身をイエス・キリストの出来事の中に引き込もうとしました。つまり、信仰はすでにできあがった教えを受け入れることではなく、神の救いを自分自身の生活の中で再経験することによって与えられていくのです。

 ルカのこのような主張が、使徒言行録の中にもはっきりと受け継がれています。使徒言行録は初代教会におけるスーパースターたちの武勇伝ではありません。どのような小さな存在であっても、読者自身がペトロやパウロたちの伝道グループの一員として、その物語を再体験するように促されています。使徒言行録では、一六章一〇節を先頭にして、「わたしたちは」という言葉が繰り返し、文章の主語になっています。物語に出てくる人物はただ、それを読む私たちにとって第三者的な他人ではありません。「わたしたちは」と使徒言行録が語るときに、それを読む私たちも、すでにその一人になっていると考えるよう求められているのです。

幻によって示されたこと

 以上のような大きな枠組みを理解した上で、次に与えられたテキストが語る言葉に耳を傾けていきましょう。ここではパウロを中心とした伝道旅行の一部が記されています。パウロはその生涯の中で、三度の大きな伝道旅行をしましたが、与えられたテキストはその内の第二伝道旅行の一部に当たります。新共同訳聖書の付録についている「8 パウロの宣教旅行 2、3」という地図を参考にしていただきながら、まず地名を追っていきたいと思います。パウロたち一行は、伝道の拠点地であるシリアのアンティオキアを出発して、デルベ、リストラ、イコニオンという町を通っていきました。おそらくパウロたちは、このイコニオンという町から、アジア州の州都であるエフェソという大都市へと向かうことを最初、計画していたようです。イコニオンからエフェソまでは大きな幹線道路がありましたし、エフェソのような大都市では伝道の成果も期待できたからです。しかし、一六章六節で「彼らはアジア州で御言葉を語ることを聖霊から禁じられたので、フリギア・ガラテヤ地方を通って行った」と記されています。何と、聖霊が彼らの計画を断念させたのです。彼らは西へ向かうことを諦めて、北の方へと、つまり、フリギア・ガラテヤ地方に進路を向けます。そこまでいくと、もう少し北上すればビティニア州の大都市に至ります。これらの都市も伝道をするには魅力ある場所ですが、七節で「ビティニア州に入ろうとしたが、イエスの霊がそれを許さなかった」と記されている通り、再度、彼らの計画は断念させられます。パウロたちの伝道計画が変更を余儀なくされた背後に、どのような具体的な事情があったのかは一切記されていませんが、いずれにしても、「聖霊」と「イエスの霊」によって彼らは行く先々を遮られ、結果的にトロアスに下ることを余儀なくされます。人間的な計画がことごとく打ち破られる中で、一行はトロアスへと至ります。しかし、そのトロアスで、それまでの経緯の中に隠されていた意味が明らかにされる出来事が起きます。

 トロアスに着いた夜、パウロは幻を見ました。その幻の中で一人のマケドニア人が現れ、「マケドニア州に渡って来て、わたしたちを助けてください」とパウロに願います。パウロたちはこの幻によって、目が開かれます。自分たちの意志に反してトロアスにまで至った道のりの背後に、深遠な神の導きの手を感じたのです。パウロたちが考えもしなかったマケドニア伝道を実現させるために、それまでの計画の挫折があったことを知らされます。計画の挫折に意味があったと分かるのは、このように後になってからです。計画が何らかの事情によってうまくいかないときに、彼らは確かに失意の淵に沈んだことでしょう。しかし、今や、その計画の断念の中にこそ、神の導きがあったことを知り、それは彼らにとって、確かに「聖霊」と「イエスの霊」がなした業に違いなかったのです。

 いずれにしても、パウロが見た幻をきっかけに彼らの伝道はまったく新しい局面へと入っていきます。使徒言行録では、他にも多くの箇所で幻を見るということが記されており、それぞれが事態の新しい展開を告げる働きをしています。その例を少しばかり挙げると、九章一〇節以下では、幻の中で主がアナニアに現れ、ダマスコに向かう途中で天からの光によって目が見えなくなったパウロのもとに行くように命じられます。また、一〇章九節以下で、ペトロは律法で食べることを禁止されている食事が天から地上に降りてくる幻を見、それを食べるようにという声を聞きます。この幻とそれに続く出来事によって、ペトロは神がどんな人をも汚れた者とはされないこと、人を分け隔てなさらないことをあらためて確信させられます。また、一八章九節や二三章一一節では、夜、主の幻がパウロに現れ、力強い励ましの言葉を与えています。この他にも多くの幻が語られていますが、どれも非現実的な夢物語として理解されてはいません。現代において夢や幻というと、個人の心理的要因が作り出すイメージとして、すべて個人の内部の問題として処理される傾向が強いのですが、当時の人々にとっては、夢や幻は自分以外の存在者によって外から与えられる出来事であり、それはしばしば未来を予告したり、決断を促したりする働きを強く持っていました。何でも心理学的に理解しようとする現代人の感覚と、およそ二千年前、人々が共有していた幻や夢に対する超自然的な意識とを単純に比較してしまうならば、聖書に書かれていることは、すべて非現実的という一言で片付けられてしまいかねません。もちろん、そう一言で済ますことのできないリアリティを聖書は持っています。ただ、神の言葉のリアリティを受け取るのに、昔の人と現代人とはそれを媒介する手段が少し違うだけです。この手段は絶対化されてはなりません。確かに、聖書の中では多種多様な夢や幻がそれを見る者たちに指針を与えていますが、夢や幻そのものが権威づけられ、絶対視されることは一度もありません。神の語りかけ、神の導きは人間の予期せぬときに突如としてやって来ます。それをキャッチするために当時の人々が持っていた有効なアンテナの一つが、夢であり幻であったわけです。

神の語りかけに出会う道

 私たちにとって有効なアンテナは、必ずしも、当時の人々と同じ意味での夢や幻である必要はありません。このことは、次のようにたとえることができます。初代教会の時代、聖書の言葉はパピルスや羊皮紙に人の手によって書き留められました。それらが言葉を書き留め、伝達するための当時、もっとも有効な手段だったからです。そのような時代はしばらく続きますが、一六世紀、ヨハネス・グーテンベルクの活版印刷の発明によって、聖書の言葉を伝達する手段は根本的に変えられてしまいます。印刷機によって、聖書は大量に紙の上に印刷されることになります。現代では、旧約聖書も新約聖書も一冊に製本されて、誰もが簡単に手に入れることのできる時代です。さらに最先端の技術によって、聖書のすべての文字をたった一枚のCD―ROMに収めることもできます。ここで考えてみて下さい。パピルス、羊皮紙からグーテンベルクを経て、CD―ROMに至るまで、それぞれ手段はまったく異なりますが、それらが伝達しているのは、やはり同じ聖書の言葉なのです。パピルスに書かれた聖書の言葉の方が価値がありCD―ROMに入っている聖書の言葉が安っぽいなどと言うことができるでしょうか。伝達手段に変化があったとしても、聖書の言葉の真実性は何ら損なわれてはいません。逆に言えば、ある伝達手段だけを固定的に考えてしまうときに、私たちはかえって聖書の言葉をないがしろにしてしまいます。例えば、宗教改革直前のローマ・カトリック世界はその一例です。ローマ法王や権威ある教会だけが神の言葉を独占的に取り次ぐことができると考えられたのです。マルチン・ルターら宗教改革者たちは、聖書の言葉をそのような束縛から解放しようとしたのでした。したがって、使徒言行録に即して言えば、聖書で幻が重要な役割を果たしているからといって、それをまったく字義通りに真似しようとすることは、聖書はパピルスか羊皮紙に書かれないと価値がないと考えるのと同じくらいナンセンスなことです。

 今、述べて来たことは、聖書に書かれている幻の出来事の意味を低めるものではありません。まったく逆です。現代人が、幻という表現手段と一緒にその内実までも捨て去りがちであることに対して私たちは警戒し、それとは違った道をたどる必要があります。私たちは初代教会の人々が見た幻の意味を深く追求していかなければなりません。しかし、より広い意味において。弟子たちがイエスを通じて垣間見た罪人に対する神の愛や弱い者に与えられる神の力は、イエスがこの世を去ると同時に終わってしまったのではありませんでした。イエスがその身をもって示して下さったことを弟子たちは旅をしながらあらためて再体験していきます。そこから教会が生み出されてきました。その歩みの中でしばしば幻は弟子たちに行くべき道を示しました。そして、それはしばしば人間的な思い入れや常識的計画を破綻させました。

 現代に生きる私たちにも神の語りかけをとらえるアンテナが必要です。もちろん、それは時には夢や幻であっても構わないでしょう。しかし、それらに限定される必然性はまったくありません。いずれにせよ、私たちの知性だけではなく、体全体の感覚を使って神の語りかけを柔軟にキャッチすることが求められています。その際、「気をつけて、目を覚ましていなさい。その時がいつなのか、あなたがたには分からないからである」(マコ一三・三三)というイエスの言葉を忘れることはできません。私たちが幻を見るという意味は、夢見心地に、あるいは幻の中でうつろな気分になってもよいということではなく、神の語りかけにいつでも柔軟に応えることのできる、砥ぎすまされた感性を持つということでもあるからです。そして、神の語りかけに応えることによって、私たちの内にある宗教的生真面目さが打ち砕かれていくのです。人生こうあるべきだとか、信仰はこうあるべきだと思い込んで、その道をかたくなに進む者にとって、計画の挫折は失敗であり、敗北です。しかし、幻の中で万事を益として下さる神(ロマ八・二八)と出会う者は、一つの計画の挫折でさえ、さらに大きな次の計画の入り口として理解することができます。パウロたちの伝道旅行が一直線には進まなかったように、私たちの人生にも紆余曲折がつきものです。しかし、それはまったく無駄に曲がりくねっているのではありません。パウロはローマの信徒への手紙一一章三三節でこのように感嘆の声をあげています。「ああ、神の富と神の知識のなんと深いことか。だれが、神の定めを究め尽くし、神の道を理解し尽くせよう」。聖書が語る幻は、人の道と神の道が交差するところです。その意味で、私たちはパウロの感嘆に声を合わせつつ、幻を見続ける者でありたいと思います。

(一九九四年八月二八日、札幌北光教会、小原克博)