パウロは、アレオパゴスの真ん中に立って言った。「アテネの皆さん、あらゆる点においてあなたがたが信仰のあつい方であることを、わたしは認めます。道を歩きながら、あなたがたが拝むいろいろなものを見ていると、『知られざる神に』と刻まれている祭壇さえ見つけたからです。それで、あなたがたが知らずに拝んでいるもの、それをわたしはお知らせしましょう。世界とその中の万物とを造られた神が、その方です。この神は天地の主ですから、手で造った神殿などにはお住みになりません。また、何か足りないことでもあるかのように、人の手によって仕えてもらう必要もありません。すべての人に命と息と、その他すべてのものを与えてくださるのは、この神だからです。神は、一人の人からすべての民族を造り出して、地上の至るところに住まわせ、季節を決め、彼らの居住地の境界をお決めになりました。これは、人に神を求めさせるためであり、また、彼らが探し求めさえすれば、神を見いだすことができるようにということなのです。実際、神はわたしたち一人一人から遠く離れてはおられません。皆さんのうちのある詩人たちも、
『我らは神の中に生き、動き、存在する』
『我らもその子孫である』と、
言っているとおりです。わたしたちは神の子孫なのですから、神である方を、人間の技や考えで造った金、銀、石などの像と同じものと考えてはなりません。さて、神はこのような無知の時代を、大目に見てくださいましたが、今はどこにいる人でも皆悔い改めるようにと、命じておられます。それは、先にお選びになった一人の方によって、この世を正しく裁く日をお決めになったからです。神はこの方を死者の中から復活させて、すべての人にそのことの確証をお与えになったのです。」
アテネは紀元前五世紀の頃、都市国家の中心として繁栄の極みにありました。教会が誕生した頃、アテネの栄光ももはや過去のものとなっていましたが、それでもギリシア文化の中心地としての地位を担い続けていました。当時の世界文化の発祥の地がアテネであったからです。つまり、パウロがアテネで語り、そして、それを使徒言行録がとりたてて強調していることの背景に、「世界」を視野に入れようとするキリスト教宣教の方向性をうかがうことができます。アテネはアテネという一つの都市でありながら、同時に「世界」全体を象徴的に表しています。そのことは、今日の聖書箇所の言葉の中にも明確に反映されています。具体的には、二四節の「世界とその中の万物」、二五節の「すべての人」および「すべてのもの」、二六節の「すべての民族」、三〇節の「どこにいる人でも皆」、三一節の「すべての人」といった表現です。こういった表現から端的にわかることは、パウロが語ろうとする福音は例えばイスラエルといった宗教的に特別扱いされてきた民に向けられているのではなく、すべての人々に分けへだてなく向けられているということです。かつて何を信じていたとか、どのような宗教的伝統に属しているか、といったことはもはや問題にはされていません。一つの出来事を境にして、それ以降、すべての人が等しく神の前に立たされています。もちろん、一つの出来事とはイエス・キリストの出来事のことですが、その出来事以前の時代をパウロは三〇節で「無知な時代」と呼んでいます。
一六節に記されているように、パウロは確かにアテネの至る所にある偶像を見て憤慨していますが、決して頭ごなしに無知な時代に生きてきた人々の信仰をさげすみ、拒絶しようとはしていません。むしろ、彼らが「知られざる神」にささげていた信仰が、本来の信仰へと導かれるようにその道案内を務めようとしています。それでは、旧約聖書的な土壌の中で理解され、伝えられてきたイエス・キリストの出来事を、パウロはまったく異質な文化を持った土地においてどのように語ろうとしているのでしょうか。このことは今日のわたしたちの宣教にも大いに関係する事柄です。パウロがいかに福音を語ったかということは、わたしたちが現代の多くの神々の中で、いかに福音を語るべきかという課題にヒントを与えてくれるからです。
パウロは神はそういう神ではないと語ります。ここにパウロが神を語る上での一つの特徴が見られます。いきなり神とはこういう方だ、というのは難しいので、まず、どういう方でないかを語ります。二四節では手で造った神殿にはお住にみならないと語られ、二五節では人の手によって仕えてもらう必要がないと語られ、二九節では金、銀、石と同じものではないと語られています。このようにして、パウロは神とはどういう方かを絞り込んでいこうとします。彼の語り方は、旧約聖書的な表現を折り交ぜながらも、基本的には当時のギリシア思想に準じた表現を多用しています。アテネの人々が偶像を崇拝していることを責めたてるよりも、むしろ彼らが何かを求めていることを積極的に認め(二二節)、彼らの求める心に手を貸すようにしてパウロは語ります。二七節にあるように、神は、探し求めれば見いだされる神として語られています。その意味でも、パウロの語る言葉はそれを聞くアテネの人々の考えにきわめてよく響いに違いありません。まず聞く者と同じ地平に立とうとすること、これはパウロの基本的な宣教の姿勢です。それはまた、コリントの信徒への手紙二の九章一九節以下に典型的に記されています。パウロは、すべての人に対しすべてのものになったと語っていますが、それはパウロが八方美人であることを意味しているのではなく、そのようにしてまでも最終的にイエス・キリストを伝えようとするパウロの信仰的情熱を表しています。
イエスの復活は霊魂の不滅の一例として語られはしませんでした。復活は、死者の復活という終末論的な事柄として語られたのであり、パウロはそれがたとえギリシア人たちに対し、つまずきになるとわかっていても、復活を復活として語らざるを得なかったのです。神の言葉が忠実に宣教されるところでは、信じる者と同時にあざける者がいます。いくら弁舌の優れた人であっても、この福音のつまずきを取り除くことはできません。パウロがアテネの人々に対してなした演説は実に洗練された言葉がちりばめられていますが、それがかえって十字架と復活のつまずきを強調しているかのようです。
イエスの十字架と復活のつまずきの上に立っている教会は、ある意味で、いつもこのつまずきを身にまとっているはずです。もし、教会がそつなくこの世を渡り歩いて、あまりに立派にこの世の組織として通用しているとすれば、それを疑ってみる必要があります。教会がこの世に迎合して、イエスと共につまずきや愚かさを担うことを忘れてしまっているかもしれないからです。パウロは「知られざる神」を明らかにしようとして時代に適った表現の工夫をしています。しかし、最終的に彼が語ろうとするのはイエス・キリストを通してしか神を知り得ないということです。わたしたちにとって神を知るとは、イエス・キリストを知ることです。イエスの生きざまに触れ、イエスが引き起こしたつまずきから目を反らさず、イエスが自らまとった愚かさをわたしたちも身にまとっていくその時に、神がどういう方なのかが心の中に染み渡ってきます。そして、わたしたちはそのように神を知り、そのような神を伝えていかなければならないのです。
(一九九五年八月二七日、札幌北光教会、小原克博)