信仰によって義とされる


ローマの信徒への手紙 5:1―11

 このように、わたしたちは信仰によって義とされたのだから、わたしたちの主イエス・キリストによって神との間に平和を得ており、このキリストのお陰で、今の恵みに信仰によって導き入れられ、神の栄光にあずかる希望を誇りにしています。そればかりでなく、苦難をも誇りとします。わたしたちは知っているのです、苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生むということを。希望はわたしたちを欺くことがありません。わたしたちに与えられた聖霊によって、神の愛がわたしたちの心に注がれているからです。実にキリストは、わたしたちがまだ弱かったころ、定められた時に、不信心な者のために死んでくださった。正しい人のために死ぬ者はほとんどいません。善い人のために命を惜しまない者ならいるかもしれません。しかし、わたしたちがまだ罪人であったとき、キリストがわたしたちのために死んでくださったことにより、神はわたしたちに対する愛を示されました。それで今や、わたしたちはキリストの血によって義とされたのですから、キリストによって神の怒りから救われるのは、なおさらのことです。敵であったときでさえ、御子の死によって神と和解させていただいたのであれば、和解させていただいた今は、御子の命によって救われるのはなおさらです。それだけでなく、わたしたちの主イエス・キリストによって、わたしたちは神を誇りとしています。今やこのキリストを通して和解させていただいたからです。


信仰義認という教義?

 わたしたちは「信仰によって義とされる」という言葉を耳にすると、信仰義認というキリスト教の教義を思い浮かべがちです。確かに、信仰義認という教えはキリスト教信仰の中心に位置していると言えるでしょう。特に、プロテスタント教会にとっては、「信仰のみ」という主張は宗教改革を押し進めていく上での重要なスローガンとなったのであり、それを抜きにして、わたしたちの信仰を語ることはできないほどです。パウロはローマの信徒への手紙やガラテヤの信徒への手紙の中で、信仰によってのみ義とされるのだ、ということを繰り返し、そして丁寧に語っています。しかし、わたしたちはパウロがなぜそれほどまで熱心に信仰について語らなければならなかったのかという理由を知らないで、ただ彼の発言を信仰義認という一言にまとめ上げ、わかったつもりになることはできません。もし信仰義認を一つの知識としてわたしたちの記憶の片隅にぶら下げているだけなら、それはパウロの意図に反して、信仰を何かの条件にすることにもなりかねません。例えば、信仰があればクリスチャンになれると考えないでしょうか。もし、そうであれば教会は信仰の有無を入会条件とするセクト型の宗教集団となってしまいます。実際に、この世にある多くの宗教はそのような条件としての信仰を求めます。十分に教義を学び、実践し、組織への忠誠を示すことが信仰であり、その信仰を積み重ねていくことによって、まさにそれが条件となって、その宗教の中での地位の向上を果たしていくという具合です。

 聖書がわたしたちに求めている信仰と、この世で流布している信仰とは区別されなければなりません。現代は、聖書にある様々な言葉が同時に、この世においても氾濫している時代です。例えば、神という言葉もその一つであり、それぞれの宗教が自分たちの願望を込めながら神を語ります。一体、それらの神々と教会が語る神とはどこが違うのでしょうか。神や信仰という言葉だけでなく、今やキリストという言葉ですら数々の宗教の中で用いられ、しばしば、特定のカリスマ的人物を指し示すために利用されています。多くの神、多くのキリスト、多くの信仰が乱立する時代の中でわたしたちは生きています。しかし、現代と同じような状況が、パウロの生きた当時の世界にもありました。それだけに、パウロをはじめ初期の教会がどのように信仰を確立していったかに目を向けることはは、わたしたちに多くの示唆を与えてくれます。パウロはカルト宗教のように、自分たちの仲間だけを囲み込んで神聖な領域を形成し、そこで信仰を純粋培養しようとはしませんでした。パウロはむしろ、そのような試みを持った内外の敵と戦わなければなりませんでしたし、彼の信仰理解はその戦いの中から勝ち取られてきたものとさえ言えるでしょう。そのことは「苦難をも誇りとする」(三節)という彼の言葉の中にも端的に表現されています。

パウロの戦い

 パウロが直面した危機は二つの方向からやってきました。一つは、彼が以前属していたユダヤ教世界からのものです。彼はユダヤ人であり、しかも正統な律法教育を受けた者でありながらも、そういった自らのアイデンティティから決別しなければなりませんでした。ユダヤ教はユダヤ民族を中心とした救いを語ります。しかし、パウロが福音の宣教者として語ったのは、特別に選ばれた「選民」とそうでない人々との間に境界線を引き、隔ての壁をもうける神ではありませんでした。そうではなく、彼はイエス・キリストの十字架の出来事を通じて、隔てられた人々を再び<結びつける>神を見いだしたのでした。パウロはその神の姿を、彼が受け継いだユダヤ教的伝統から「創造主なる神」として描いています。その神は同時に裁きをもたらす神でもあります。しかも、パウロは人間は誰一人として本来その裁きから逃れることのできない罪に満ちた存在であることを強調します。神の裁きの前にもはやユダヤ人であるとか異邦人であるとかいう区別は通用しないということです。パウロのこのような主張は、結果的に、同族のユダヤ人から激しい反発と憎悪を招くことになりました。彼はそのことのゆえに最終的に命を落とすことになるのですが、それを覚悟しても彼はユダヤ教的な壁を突破しなければなりませんでした。

 では、もう一つの危機のどこからやってきたのでしょうか。それは教会からでした。彼はこの内なる壁をも突き抜けなければなりませんでした。当時の教会の中心には、ユダヤ教的伝統にまだ未練を残したユダヤ人たちが多くいました。そうした伝統的ユダヤ人と異邦人との衝突は、特に食事の問題に関して起こりました。その問題をめぐり最初の教会会議がエルサレムで開かれたことがガラテヤ書二章や使徒言行録一五章に記されています。パウロはこの会議である種の確認を得た後、長らく伝道活動をしたアンティオキアを後にして、異邦人伝道へと向かいます。彼はその途上で、神によって義とされるとはどういうことなのかを絶えず問い直したはずです。それは、律法の行いによるものではありません。どのような立派な行いによっても神の義を勝ち取ることはできません。神の義とは、人間が請求できる対象物ではなく、神と人間との間に和解が成り立っている関係を指し示しているからです。その意味で、パウロが語る信仰も人間の主体的決断や努力目標といったことを意味しているのではなく、強調点はあくまでもイエス・キリストによる和解の出来事にしっかりと目を向けることにあります。すべてはそこから始まります。六節から八節の言葉はそのことを意図しています。「実にキリストは、わたしたちがまだ弱かったころ、定められた時に、不信心な者のために死んでくださった。正しい人のために死ぬ者はほとんどいません。善い人のために命を惜しまない者ならいるかもしれません。しかし、わたしたちがまだ罪人であったとき、キリストがわたしたちのために死んでくださったことにより、神はわたしたちに対する愛を示されました」。

信仰と神の国の類比

 先ほど、現代においてもパウロの時代においても、多くの神、多くのキリスト、多くの信仰があるということを述べましたが、パウロにとってこれらのことは明らかに一つの焦点を持って語られています。彼にとって、神とはイエス・キリストを死者の中からよみがえらされた方であり、キリストとはわたしたちが罪人であったときに、わたしたちのために死んでくださったナザレのイエスであり、信仰とはそのイエスにおいて頂点を持つ神の救済の出来事に身をゆだねていくことです。このイエス・キリストにおいて起こった救いの出来事を受けとめることなく、神と和解することも、神との間に平和を得ることもできません。

 パウロはこのような信仰がすべての人間的隔てを取り除くことを確信して宣教活動を続けたのでした。彼はガラテヤ書三章二六節以下で次のように述べています。「あなたがたは皆、信仰により、キリスト・イエスに結ばれて神の子なのです。洗礼を受けてキリストに結ばれたあなたがたは皆、キリストを着ているからです。そこではもはや、ユダヤ人もギリシャ人もなく、奴隷も自由な身分の者もなく、男も女もありません。あなたがたは皆、キリスト・イエスにおいて一つだからです」。彼は当時、ユダヤ人とギリシア人との間に、奴隷と自由な身分の者との間に、男と女の間に大きな隔てがあることを身をもって知っていたからこそ、キリストのによる恵みをこのように表現することができました。しかし、ここで語られている信仰という事柄が単に信仰義認というスローガンで成し遂げられたのでないことは明らかです。なぜ、彼はこれほどの情熱をどこから得たのでしょうか。彼の目にはいつもイエス・キリストが映っていました。ユダヤ人とギリシア人が食事をするその間に、奴隷と自由な身分者との間に、男と女の間に主イエスが立っていることを確信していたのです。主イエスは、罪人と呼ばれていた人々と交わり、神の国がまさにそこから始まることを告げられました。イエスは何重にも階層化されたユダヤ社会の隔ての壁を<下に>突破しながら、その一番奥深いところに根を張り、上に突き上がってくる神の国の力強さとその近さとを宣べ伝えたのでした。それに対し、パウロはイエスによって語られた神の国の力強さを「信仰」という事柄に置き換えながら、言わば<横に>展開していったと言えます。それゆえ、信仰を持つことが、イエスの神の国運動の継承者である証明となるのです。

(一九九五年一〇月一五日、札幌北光教会、小原克博)