ローマ人への手紙1章8ー15節
「信仰による励まし」
8節。 まず、第一に、わたしは、あなたがたの信仰が全世界に言い伝えられている ことを、イエス・キリストによって、あなたがた一同のために、わたしの神 に感謝する。 ここでパウロは、ローマの教会の人たちに語ろうとするに先立って、何よりもま ず彼らのことについての感謝をしています。 これは、古代の手紙の習慣であったかも知れませんが、パウロはただ形式的にこ う言っているのではありません。 彼は当時のローマ帝国の首都ローマに教会が出来ることを節に望んでいましたの で、ローマにキリストの信者の群れが出来たことを心から感謝していたのです。 ローマにいつ誰が福音を伝えたのかは分かっていません。 また、ローマの教会がどのようにして成立し、それがどのような教会であったの かも分かりません。 それは、勿論パウロが伝えたのでもなく、イエスの十二弟子のだれかが伝えたの でもなさそうです。 初期の教会においては、パウロだけでなく、多くのキリスト者が、色々な方面に 福音を伝えていたことがうかがえます。 使徒行伝の記事を見ますと、聖霊降臨の時に120名の者が一同に会していた、 とあります。 また、その同じ日に3千名の人が仲間に加わった、とあります。 これらの人々のうちの何人が、やがていろいろな所に伝道に赴いたことが考えら れます。 そしてある人はローマにまで行って、福音を伝えたのでしょう。 パウロは、パウロで、何とかしてローマに伝道したい、という気持ちを強く持 っていました。 しかしそれは、色々な事情から中々実現しませんでした。 13節。 兄弟たちよ。このことを知らずにいてもらいたくない。わたしはほかの異邦 人の間で得たように、あなたがたの間でも幾分かの実を得るために、あなた がたの所に行こうとしばしば企てたが、今まで妨げられてきた。 ここでパウロは、自分のローマ行きの願いが色々な事情のために妨げられてき た、と言っています。 どういう事情でかは言われていません。 人生には、中々自分の思いどおりに行かない場合があります。 そういう時私達は、しばしば、いらだちを覚えたり、不満を抱いたり、あるいは 人を憎んだり、ある時は自暴自棄になったりします。 しかしそれが、神のみ旨であれば、必ず道が開かれます。 パウロは、どんな絶望的な状況であろうと、希望を決して捨てませんでした。 9節。 わたしは、祈りのたびごとに、絶えずあなたがたを覚え、いつかは御旨にか なって道が開かれ、どうにかして、あなたがたの所に行けるようにと願って いる。このことについて、わたしのためにあかしをして下さるのは、わたし が霊により、御子の福音を宣べ伝えて仕えている神である。 ここでパウロは、念願のローマ行きは、「必ず道が開かれる」ということを確信 しています。 キリスト者は、常に希望に生きるものです。 パウロは、コリント人への第一の手紙13章の所で、最も大切なものとして、「 信仰・希望・愛」ということを言いましたが、彼は常に希望に生きた人でした。 表面的には、どんなに絶望的な状況であっても、決して希望を捨てませんでし た。 ローマ人への手紙の前に私達は、ピリピ人への手紙を学びましたが、この手紙は 獄の中で書かれたものでした。 場合によっては、死ぬことになるかも知れない、という覚悟もしていました。 にもかかわらず、彼は希望を抱きいつかまた、ピリピの教会を訪問出来ると確信 していました。 そして、このローマ人への手紙は、第三伝道旅行の時にギリシアのコリントで書 かれたようです。 コリントから、船で西に行けば、ローマに行くことが出来ます。 恐らくパウロは、すぐにでもローマに行きたかったでしょう。 しかし彼はその思いとは反対の方向へ、すなわちエルサレムに向かったのでし た。 それは彼には、どうしても一旦エルサレムに帰らなければならない用事があった からでした。 それは、ヨーロッパの教会で集めた献金をエルサレムの教会に届けるというもの でした。 しかしエルサレムには、パウロの命を狙っているユダヤ人もいました。 そこで、親しい人達は、エルサレムには行かない方がいい、という忠告もしてい ました。 しかしパウロは、エルサレムの教会に献金を届けることを、とても大事なことと 考えていました。 そこでエルサレム行きを強行したのでした。 そして、人々の忠告のように、彼はエルサレムでユダヤ人たちに捕らえられ、獄 につながれることになったのです。 もうこれで、念願のローマ行きは絶望と思われましたが、彼はローマの市民権を 持っていたので、それでローマで裁判を受けたいという願い出をなし、しばらく 放っておかれていましたが、ついに、囚人として護送されるという形でしたが、 とにかく念願のローマに行くことができました。 使徒行伝の最後は、28章30ー31節のように結ばれています。 パウロは、自分の借りた家に満2年のあいだすんで、たずねて来る人々をみ な迎え入れ、はばからず、また妨げられることもなく、神の国を宣べ伝え、 主イエス・キリストのことを教えつづけた。 これは恐らく、囚人としてどこかの家に幽閉された形であったのでしょうが、と にかく不自由な身でありながら、ローマで福音を伝えることが出来たのでした。 こういう形は、パウロが期待していなかった形であったでしょうし、また想像も していなかった形でしたでしょう。 しかし、神は不思議な仕方で、み旨を実現されるのです。 さきほどの9節では「いつかは御旨にかなった道が開かれ」とありましたが、こ の段階ではまだ、どういう形で道が開かれるかは、まったく分かりませんでし た。 まさか、囚人としてローマに送られることになるとは、全く予想もしていなかっ たでしょう。 しかし、神の導きというのは不思議なものです。 神はしばしば、私達の想像や予想のしない所から、新たな道を開いて下さるので す。 そして後から考えれば、それが神のみ旨であった、と信じることが出来るので す。 ですから、どんな境遇になっても、決して希望を捨ててはいけません。 キリスト者は、常に希望に生きる者です。 ローマ人への手紙5章3ー5節に次のようにあります。(238ページ) それだけでなく、患難をも喜んでいる。なぜなら、患難は忍耐を生み出し、 忍耐は錬達を生み出し、錬達は希望を生み出すことを、知っているからであ る。そして希望は失望に終わることはない。なぜなら、わたしたちに賜って いる聖霊によって、神の愛がわたしたちの心に注がれているからである。 パウロは、伝道旅行の間に数々の言うに言われない患難にぶつかりましたが、し かし常に絶望するのでなく、またすてばちになるのでなく、希望を失いませんで した。 さて、パウロは、ローマの教会に行く目的が二つありました。 11ー12節。 わたしは、あなたがたに会うことを熱望している。あなたがたに霊の賜物を 幾分でも分け与えて、力づけたいからである。それは、あなたがたの中にい て、あなたがたとわたしとのお互いの信仰によって、共に励まし合うために ほかならない。 その目的の一つは、共に励まし合うことです。 ローマの教会は出来てまだ、日も浅かったようです。 どれ位の信者がいたかは分かりませんが、それほど多くはなかったでしょう。 特にローマと言えば、ローマの昔からの神々が沢山あり、新興のキリスト教はい ぶかしく思われたのではないか、と思われます。 現に、少し後には、すなわちネロ帝の時には、ローマの大火の責任を着せられ、 キリスト者は大迫害を受けます。 そういう中にあって、少数者のキリスト者は、同じ信仰を共にする者が互いに励 まし合うということが非常に大切です。 そしてこれは、直に会って互いに励まし合うということは勿論大切ですが、それ が出来なくても祈りにおいて励まし合うということが大切です。 パウロも、10節の所で、実際にローマに行くことが出来ない時に、絶えずロー マの人のことを覚えて祈っていた、とあります。 また、パウロ自身もいろんな人の祈りに支えられ、励まされていたことを感謝し ています。 私達も、この祈りにおいて、互いに支え合い、励まし合うことが大切です。 私も、多くの人の祈りに支えられて、牧者の仕事をなすことが出来ている、とつ くづく思います。 今はもう天に召されていますが、ある寝たきりのご婦人を訪問した時、その婦人 が「私は病気で礼拝にも行けず、教会の奉仕も何一つ出来ませんが、先生のお働 きのためにいつも祈っています。」と言われ、それにとても励まされました。 今も、私のつたない働きのためにいろんな人が祈って下さっていることを思うと 実に大きな励ましです。 また、私も教会員の方々のために祈っています。 さらに、祈りだけでなく、実際にお互い励まし合うということは、大切なこと です。 パウロは、そのためにも是非ともローマに行く、ということが彼の悲願でした。 しかしその励ましは、「お互いの信仰によって」とあります。 単なるこの世的な励ましではありません。 信仰による励ましこそ、私達を真に励ますものです。 この世的な励ましは、一時的な、その場しのぎの励ましにはなりますが、真の励 ましにはなりません。 むしろ時がたてば、失望に終わるものです。 先程のローマ人への手紙5章の所にあったように、信仰による励ましは失望に終 わらない、真の励ましです。 さて、パウロのローマ行きのもう一つの目的は、伝道です。 15節。 そこで、わたしとしての切なる願いは、ローマにいるあなたがたにも、福音 を宣べ伝えることなのである。 ここでパウロは、「切なる願い」と言っているように、彼は是非ともローマに行 って伝道したい、と願っていたのです。 パウロは、自分を異邦人に福音を宣べ伝えるために召された者だ、と強く理解し ていました。 14節に「ギリシア人にも未開の人にも」と言っていますが、これはユダヤ人か ら見た異邦人のことです。 その異邦人が最も多く一つ町に住んでいたのがローマです。 そしてパウロのその切なる願いは聞かれ(先程言ったようにパウロの予想してい たような形ではなかったが)、福音は世界の中心地に伝えられたのです。 そしてその中心地からまた、全世界に広められ、やがて日本にも伝えられたので す。 この主のみ業は、驚くべきことではないでしょうか。 そして、パウロは、ローマの教会の人や、当時の教会の人々だけでなく、私達を も信仰によって励まして下さっているのです。 私達もこのことを覚えて、互いに励まし合う者となりたいと思います。 (1991年5月12日)