ローマ人への手紙5章17−21節

「永遠の命を得させるために」



 17節。

  もし、ひとりの罪過によって、そのひとりをとおして死が支配するに至
  ったとすれば、まして、あふれるばかりの恵みと義の賜物とを受けてい
  る者たちは、ひとりのイエス・キリストをとおし、いのちにあって、さ
  らに力強く支配するはずではないか。

ここで「ひとりの人」と言われているのは、最初の人アダムのことです。
パウロは12節以下の所で、アダムとキリストとを対比しています。
このパウロの思想は、後のキリスト教の神学にも大きな影響を与え「アダム
・キリスト論」というものが展開されました。
14節の最後の所に

  このアダムは、きたるべき者の型である。

とありますが、これはキリストを指しています。
アダムがあらかじめキリストを示しているということで、これを神学用語で「
予型論」(あらかじめの型)と言います。
最初の人間の創造において既にキリストが指し示されていた、というのがパ
ウロの理解です。
それでキリストのことを「第二のアダム」というような言い方もします。
このような予型論は、旧約聖書の中に沢山あり、例えば、イスラエルの民が
40年荒野をさまよったのは、イエスが40日荒野で悪魔の試みを受ける予
型だとか言われます。
 さて、パウロは、先程読んだ17節において、「ひとりをとおして死が支
配するに至った」と言っていますが、これは創世記3章の堕罪物語を言って
います。
聖書の理解においては、死というものは、アダムの罪に始まった、と理解す
るのです。
創世記3章17−19節。(P.4)

  更に人に言われた、「あなたが妻の言葉を聞いて、食べるなと、わたし
  が命じた木から取って食べたので、
  地はあなたのためにのろわれ、
  あなたは一生、苦しんで地から食物を取る。
  地はあなたのために、いばらとあざみとを生じ、
  あなたは野の草を食べるであろう。
  あなたは顔に汗してパンを食べ、ついに土に帰る、
  あなたは土から取られたのだから。
  あなたは、ちりだから、ちりに帰る」。

ここには、人間がその罪によって死すべき存在となった、ということが言わ
れています。
 聖書は、人間に関心があります。
確かに聖書には自然についても多く記されています。
イエスもガリラヤの美しい自然について多く語りました。
「野の花をみなさい」とか「そらの鳥をみなさい」と言われました。
しかしそれらは、野の花や空の鳥さえ神は養って下さるのだから、ましてあ
なたたち人間にはそれ以上にしてくれないはずはない、ということを引き合
いに出すために言っているのです。
創造物語においてもまず光が造られ、また植物や動物も造られます。
しかし創造の目標は、人間であって、これらものはすべて、人間が生きてい
くために必要なものとして神が備えて下さったものです。
神は常に私達に必要なものを備えて下さるのです。
そういうふうにして、神が人間のために何不自由なく用意して下さった状態
がエデンの園なのです。
したがって、人間はその創造者なる神にすべてを信頼し、神に従って生きる
べき存在なのです。
今日のテキストの19節に、

  ひとりの人の不従順によって、多くの人が罪人とされた

とありますが、最初の人間アダムは、すべてを与え恵む創造者に、禁断の木
の実を食べることによって不従順となったのです。
これが聖書における罪であり、アダムはこの罪を犯したのです。
そして私達は、この罪をアダムの責任にのみする訳にはいきません。
12節に

  すべての人が罪を犯したので、死が全人類にはいり込んだのである。

とありますように、パウロも人間の罪をアダム一人に責任転嫁しているので
はありません。
ヘブル語においてアダムは、「人間」という意味です。
ですから、アダムは、私達すべての人間を代表している、と言うことができ
ます。
 しかし神は、この人間をかけがえのない者として創造し、これをこよなく
愛されるのです。
ですから、不従順を示した人間に対して、決して滅びに放置しないのです。
これは親の子に対する愛情と似ているでしょう。
否、それよりもずっと大きいでしょう。
イエスが放蕩息子の譬話で話されたように、親を見捨てて放蕩ざんまい過ご
した息子であっても、親はその息子の帰りを待っているのです。
そして帰って来たならば、大喜びするのです。
これが聖書の神の本質です。
ですから、最初の人アダムが神への不従順によって罪を犯したのですが、神
は自ら第二のアダムを用意されたのです。
19節。

  すなわち、ひとりの人の不従順によって、多くの人が罪人とされたと同
  じように、ひとりの従順によって、多くの人が義人とされるのである。

ここの「ひとりの従順」というのは、言うまでもなくキリストの従順です。
ピリピ人への手紙の「キリスト賛歌」においては次のように言われています。
ピリピ人への手紙2章6−8節(P.309)。

  キリストは、神のかたちであられたが、神と等しくあることを固守すべ
  き事とは思わず、かえって、おのれをむなしうして僕のかたちをとり、
  人間の姿になられた。その有様は人と異ならず、おのれを低くして、死
  に至るまで、しかも十字架の死に至るまで従順であられた。

これは古代の教会で歌われていた讃美歌だと言われています。
ここでキリストを特徴づけているものは、従順ということです。
最初の人アダムが不従順であったというのと対照的です。
第一のアダムを特徴づけるものが不従順であったとすれば、第二のアダムを
特徴づけるものは、従順です。
そしてこれが、神が創造した本来の人間の姿です。
キリストはしかも「十字架の死に至るまで従順であられた」とあります。
これは徹底的な従順を表します。
 私達は、先日のイスラエル旅行において、イエスが十字架を背負って歩い
たと言われているヴィア・ドロローサも見てきました。
両側にアラブ人の店が並んだ比較的細い石畳の上り坂になっている通りでし
た。
もっともこれは、イエスの時代の道ではなく、イエスの時代の道は、その3
メートルほど地下に埋まっているということでした。
そしてイエスは、十字架の重さに耐えかねて、途中で何度か倒れた、と記さ
れています。
ヴィア・ドロローサには、14のステーションがあって、ここがイエスが二
度目に倒れた所というようなしるしが刻まれていました。
そして、このヴィア・ドロローサの最終のゴルゴタで十字架にかけられて死
んだのでした。
 イエスはなぜこのような苦難の道を歩まれたのでしょうか。
ヴィア・ドロローサの出発の所が総督ピラトの官邸があった所でしたが(も
っとも今はアラブ人の小学校になっています)、イエスはこのピラトの前で
裁判にかけられました。
ところがピラトは、イエスは何も悪いことをしていないことに気がついてい
ましたし、事実イエスも何も罪を犯した訳ではありません。
私達だったら、必死になって無罪を主張するところです。
しかし不思議なことにイエスは一言も自己を主張されなかった、というので
す。
そしてその結果ピラトは処刑の判決を出したのでした。
そしてこれは、神に従順に従ってのことでした。
その前、イエスはゲッセマネの園で神に一生懸命祈りました。
そこで彼は、

  父よ、みこころならば、どうぞ、この杯をわたしから取りのけて下さ
  い。しかし、わたしの思いではなく、みこころが成るようにしてくださ
  い。

と祈ったのでした。
このゲッセマネの園があるオリブ山にも私達は行きましたが、そこはエルサ
レムの町が見下ろせる小高い丘で、名の通りオリーブの木が沢山ありまし
た。
ゲッセマネというのは、「油搾り」という意味で、この辺ではオリーブの栽
培が盛んで、ここでその油を搾っていたのだそうです。
このゲッセマネの園でイエスは血の汗を流して祈られたのです。
これは、個人的な祈りではありません。
全人類を救うための祈りでした。
個人的な思いなら、十字架への道を取りのけて下さい、ということでした。
しかしイエスは、個人的な思いを優先させるのでなく、神のみこころに従順
に従うことでした。
この祈りの結果神にどういう答えが与えられたかは記されていませんが、
ピラトの前で何も答えず、十字架への道を歩まれた、というのがその答えだ
ったのでしょう。
 この神のみこころへの従順ということは、私達人間にとって非常にむつか
しいものです。
私達は常に自分の思いというものを優先させがちです。
自己本位、自分勝手な人間です。
神のみ旨に従わず、また他人をも顧みないのです。
そしてこれが人間の罪でしょう。
 そしてキリストは、このような不従順な罪の人間のために十字架にかから
れたのです。
これがゲッセマネの園で祈られた結論だったのです。
 21節。

  それは、罪が死によって支配するに至ったように、恵みもまた義によっ
  て支配し、わたしたちの主イエス・キリストにより、永遠のいのちを得
  させるためである。

ここに「永遠のいのちを得させるため」とあります。
最初の人アダムの不従順によって、私達は死すべき存在とされたのでした。
しかし神は、ご自分の被造物である人間をこよなく愛されるが故に、キリス
トの従順を通して、私達に永遠のいのちを与えて下さった、というのです。
キリストが、ゲッセマネの園で血の汗を流して一生懸命祈られ、そしてその
結果十字架への道を歩まれたのは、とりもなおさず、私達に永遠のいのちを与
えるためであったのです。
 先週の水曜日からレント(受難節)に入っていますが、イエスが何故苦難
の道を歩まれたかを今一度思い起こし、私達もこのキリストによる大いなる
恵みに入れられていることを感謝しつつこの時期を過ごしたいと思います。

(1992年3月8日)