ローマ人への手紙6章1−14節
「キリストと共に生きる」
今日は、キリストの復活を記念するイースターの礼拝です。 キリストの復活を共に祝いたいと思います。 聖書において、キリストの復活は非常に重要なこととして記されています。 聖書の記者は、キリストの復活の証人だと主張しています。 この復活がもしなければ、キリスト教は起こらなかったでしょう。 4つの福音書は、いずれもこのキリストの復活の記事で終わっています。 しかし、この復活という出来事が具体的にどういうことであったのかは分か りません。 福音書の記事においても、4つの福音書で少しずつ記事が違っています。 大体共通しているのは、日曜の朝、女の弟子たちが(一人の場合と、二人の 場合と、3人の場合がある)イエスの納められた墓に行くと、石が取りのけ られていて、中が空だった、というのです。 そしてその後、男の弟子たちも復活のイエスに出会った、というのです。 これは、客観的な事実というよりは、弟子たちの復活の体験です。 福音書には、弟子たちの間にも疑うものもいた、と記されています。 また当時のユダヤ人たちの間には、イエスの弟子たちが夜こっそりとイエス の遺体を盗んだのだ、といううわさがあった、ということも記されていま す。 しかし、これを信じた弟子たちは、力を得て、イエスのことを伝える者とな ったのです。 これが復活の出来事であった、と言うことができるでしょう。 そして、イエスの弟子でなかったパウロも復活の主に出会ったのです。 コリント人への第一の手紙15章3−8節。(P.274ページ) わたしが最も大事なこととしてあなたがたに伝えたのは、わたし自身も 受けたことであった。すなわちキリストが、聖書に書いてあるとおり、 わたしたちの罪のために死んだこと、そして葬られたこと、聖書に書い てあるとおり、三日目によみがえったこと、ケパに現れ、次に、一二人 に現れたことである。そののち、五百人以上の兄弟たちに、同時に現れ た。その中にはすでに眠った者たちもいるが、大多数はいまなお生存し ている。そののち、ヤコブに現れ、次に、すべての使徒たちに現れ、そ して最後に、いわば、月足らずに生まれたようなわたしにも、現れたの である。 これは、教会の最も古い伝承だと言われています。 これによりますと、復活の主は、一番最初にケパ、すなわちペテロに現れ、 そして一番最後にパウロにも現れた、と言っています。 これは、恐らく、パウロがダマスコのキリスト者を迫害に行く途上で起こっ た出来事のことでしょう。 使徒行伝9章の記事を見ますと、パウロは、ダマスコのキリスト教徒を迫害 するためにダマスコの近くまで来た時に、突然、天から光がさして、「サウ ロ、サウロ、なぜわたしを迫害するのか」と呼びかける声を聞いた、とあり ます。 ですから、パウロは、復活の主に直に出会ったのではなく、その声を聞いた だけでした。 しかしこれは、パウロにとっての復活体験でした。 彼は、この復活の主の声を聞いたことによって、回心し、キリスト教の迫害 者からキリスト教の伝道者に変えられたのです。 このような復活の体験をしたなら、大きく変えられる、ということが特徴で す。 弟子たちの場合は、イエスが捕らえられ、十字架にかけられた時、彼らは恐 ろしさのために逃げ、どこかに身を潜めていたのでした。 おそれを抱き非常に弱々しい態度でした。 そのような弟子たちが、復活のキリストに出会うという体験をした時に、勇 気と力を与えられ、今度は身を潜めるのでなく、堂々と人々の前に出て行っ て、キリストのことを宣べ伝えたのでした。 これはまさに、彼らの復活の体験によったとしか思えません。 さて、パウロは、今日の所で、私達の洗礼も、一種の復活体験だ、と言っ ています。 3−4節。 それとも、あなたがたは知らないのか。キリスト・イエスにあずかるバ プテスマを受けた私達は、彼の死にあずかるバプテスマを受けたのであ る。すなわち、わたしたちは、その死にあずかるバプテスマによって、 彼と共に葬られたのである。それは、キリストが父の栄光によって、死 人の中からよみがえらされたように、わたしたちもまた、新しいいのち に生きるためである。 ここでパウロは、バプテスマによって、古い私達がキリストと共に葬られ、 新しいいのちに生かされた、ということを言っています。 洗礼というのは、正にそのような意味をもつ象徴的な行為です。 ギリシア語でバプテスマは「水につける」という意味ですが、初期の教会に おいては、洗礼の時は文字通り水につけられたのです。 これは、古い自分が死んで、水に埋葬されるということを意味しました。 しかし、古い自分に死ぬということは、それと同時に神の栄光と力によって 実現したキリストの復活に与ることでもあります。 キリストが父の栄光によって、死人の中からよみがえらされたように、私達 もまた新しいいのちに生きることができる、とパウロは言います。 言葉を替えて言えば、罪に対して死んで、新たないのちに生かされた、と いうことです。 洗礼というのは、見方によれば、何の意味もない、ただの形式のようにも思 えます。 また、何かいかめしい儀式に過ぎないようにも思えます。 洗礼を受けたからと言って、その人が急に変わる訳でもありませんし、他の 人とは違った特別な体験をするという訳でもありません。 表面的には何ら変わることはありません。 それでは、洗礼というのは、単なる形式なのでありましょうか。 決してそうではありません。 それは、一つの象徴的な行為なのです。 象徴行為というのは、単なる人間の行為ではなく、そこにおいて神の言葉と 神の力が働く行為なのです。 私達プロテスタントでは、この洗礼と聖餐がサクラメント(聖礼典)です が、両者とも、単なる形式的・魔術的な儀式ではなく、そこで神の言葉と神 の力が私達に働きかける象徴行為なのです。 私達の目には、そこに変化や神の力を認めることができないかも知れません が、そこで神によって新たな変化が起こっているのです。 私達が今日の礼拝でも行う聖餐式も、そこでパンを食べ、ぶどう酒を飲む訳 ですが、この行為においてキリストの肉と血に与っているのです。 このように内面に働いている力を認めるのが信仰者の生き方なのです。 洗礼の時、私達の目には分かりませんが、そこで大きな変化が起こっている のです。 すなわち、罪に汚れた古い自分がキリストと共に十字架につけられ、新しい いのちに生かされたのです。 そしてこれは、私達が自らの決意や努力で変わったのではなく、神によって 変えられたのです。 これを受け入れ、信じつつ生きるのがキリスト者の生き方です。 新しいいのちに生かされていると信じ、感謝と喜びをもって生きるのがキリ スト者の生き方なのです。 8−9節。 もしわたしたちが、キリストと共に死んだなら、また彼と共に生きるこ とを信じる。キリストは死人の中からよみがえらされて、もはや死ぬこ とがなく、死はもはや彼を支配しないことを、知っているからである。 ここでパウロは、「キリストと共に生きることを信じる」と言っています。 これはパウロの最も重要な確信です。 パウロの確信はまず、キリストは事実よみがえったのだ、ということです。 コリント人への第一の手紙15章20節でパウロは、 しかし事実、キリストは眠っている者の初穂として、死人の中からよみ がえったのである。 と言っています。 事実というのは、先程も言いましたように当時のユダヤ人の間には、イエス の弟子たちが夜こっそりとイエスの遺体を盗んだのだ、といううわさがあっ たが、それをはっきり否定しているのです。 これはコリントの信者に当てた言葉ですが、彼はコリント伝道の前になした アテネでも同じような主張をしました。 しかし、アテネの市民は、このパウロの言葉を受け入れませんでした。 アテネの有名なパルテノン神殿の建っている丘のアクロポリスのすぐ横に、 アレオパゴスの評議所の跡があります。 私達も、先日の旅行でそこにも行きました。 白っぽい岩の上がそうだ、ということで、登りましたが、その下に、使徒行 伝のパウロがアレオパゴスの評議所でした説教がギリシア語で書かれていま した。 ここでパウロは、アテネの市民にキリストの復活のことを述べましたが、彼 らはパウロのことをあざ笑ったのでした。 そこでパウロのアテネ伝道は失敗に終わり、ついにアテネには教会を建てる ことができませんでした。 その後パウロは、そこを去ってコリントに行ったのでした。 アテネで復活のことを言ったので伝道に失敗したということで、パウロはコ リントで復活のことを言わなかったかと言うと、そうではありません。 むしろより強調して、 キリストは眠っている者の初穂として、死人の中からよみがえったので ある と主張しました。 パウロにとって、キリストの復活は、なるべく触れないでおきたい事ではな く、何よりもまず主張すべきことでした。 それは、パウロ自身が、キリストの復活によって新しいいのちに生かされた からであります。 パウロにとって、キリストの復活は、自分のいのちでした。 キリストの復活がなければ、真の意味でのパウロの命もあり得なかったので す。 また、私達にとっても、キリストの復活は、なるべく触れたくないもので はなく、私達の信仰の一番中心になるべきものであり、また、ここよりすべ ての希望が出て来るのです。 八瀬の教会墓地には、「わたしはよみがえりであり、いのちである」という ヨハネによる福音書11章25節のみ言葉を記していますが、わたしたちの 信仰の中心もこれでありたいと思います。 私達は、キリストの復活を信じ、またキリストと共に生きる希望を持つもの でありたい、と思います。 (1992年4月19日)